【25年の因縁】有働由美子と膳場貴子“6才差のライバル関係” NHK時代に激しいエース争いを繰り広げた2人の新たなチャレンジ

有働由美子アナと膳場貴子アナの人生は対照的

 仕事も生き方も人それぞれ──「多様性」という言葉がいまほど認知されていない頃から、有働由美子(55才)と膳場貴子(49才)は、人生の行く末を自ら選び取ってきた。対照的な人生を歩んでも、その姿勢は変わらない。

【写真】腰を絞った黒ワンピ姿の有働由美子アナ。他、サンダル・膝丈ワンピ姿の有働アナ全身姿、アザーカットも

 新年度のスタートとともにテレビ各局の「顔」も大きく変わった。なかでも注目は有働由美子と膳場貴子の去就だ。年の差は6才。同年代とはいえないが、ともにNHK出身で「日本を代表するアナウンサー」として現場を牽引してきた。

「NHKにいた時期が長く重なるわけではないのですが、2人の人生は思わぬところで交錯してきたというか、この4月もやっぱりこの2人が比べられるのか……と。膳場さんがNHKに入局して以来もう25年以上になりますが、2人の間の因縁が切れることはないのだなと感じました」(NHK関係者)

 有働はメインキャスターとして5年半にわたり担当した報道番組『news zero』(日本テレビ系)を3月で卒業し、4月スタートの音楽情報番組『with MUSIC』(日本テレビ系)のMCに。一方、膳場は8年間務めた『報道特集』(TBS系)を卒業し、『サンデーモーニング』(TBS系)のキャスターに就任した。

 有働は1991年にNHKに入局した。もともと久米宏(79才)のファンで『ニュースステーション』(テレビ朝日系)を好んで視聴していたという有働は、報道を志してアナウンサーという仕事を選んだ。

「就職活動時、民放のテレビ局の内定も勝ち取ったそうです。待遇面では、民放の方が数段上だった。それでも、企業としての安定度に加え、“海外支局が数多くあるから”という理由で、NHKを選んだそうです」(芸能関係者)

 大阪放送局を経て1994年から東京アナウンス室に勤務。すぐに若手の登竜門である『おはよう日本』に起用されると、3年後の1997年には、元来の野球好きが高じて『サタデースポーツ』の司会に抜擢された。

 その年、「東京大学医学部出身」という経歴を引っさげてNHKに入局したのが膳場だった。膳場も、中学生の頃から夢はアナウンサー一本。それもNHK限定で、「“民放のアナウンサーはチャラチャラしていてイヤだ”というのが理由だった」(別のNHK関係者)という。

「実家は世田谷にある大地主のお嬢さまで、東大出身の才媛と、入局早々に話題になりました。3年間の静岡勤務後、2000年に東京アナウンス室に異動した。有働さんと同じように『おはよう日本』を担当したのはもちろん、『プロジェクトX』といった骨太の看板番組を担当したことで、硬派なアナウンサーというイメージが出来上がりました」(前出・別のNHK関係者)

 文字通り、先輩・後輩となった有働と膳場。だが、2人はそれぞれ異なる“持ち味”で、いいライバル関係になっていく。有働は2001年から3年間、紅白歌合戦の紅組司会を務めた。その3年目の2003年に、有働とともに司会を担ったのが、膳場である。

「2003年の司会発表直前には“有働アナが膳場アナに取って代わられるのでは”という下剋上の噂が飛び交うほど。結局、『共同司会』に落ち着きましたが、当時は膳場さんの追い上げがすさまじく、すでにどちらもエースと言われていただけに、見えない火花が飛び散っているようでした」(前出・NHK関係者)

 その後、有働は何度もフリー転身が囁かれながら、「局アナ」としてのキャリアを積み上げた。膳場がNHKを去った翌2007年には、アメリカ総局(ニューヨーク)に特派員として勤務。アナウンサー職のまま特派員になるのは、NHKの歴史の中で初の名誉で、就職活動時の目標の1つが叶うことになった。2010年の帰国後には、有働の代名詞ともなる『あさイチ』への出演も始まった。

「報道もスポーツもエンタメも経験した有働さんの、実体験に基づいたコメントには、女性視聴者という強い味方がつきました。お堅いアナの中で、珍しくバラエティー力があった有働さんは貴重だった。アナの役割を大きく変えた功績は、有働さんにしかなしえなかったことだと思います。

 フリーになって以降も幅広く活躍していますが、どんな場面でも庶民的な女性目線を意識した有働さんの言動は支持され続けています」(前出・NHK関係者)

報道キャスターとしての「経験値の逆転」

 遡って、膳場は2006年、海外駐在する結婚相手に同行するためにNHKを退局した。だが、フリーになった膳場の“現場復帰”は思いの外早かった。退職から半年後の2006年9月に『筑紫哲也 NEWS23』のサブキャスターに就任するため帰国。2007年5月からは筑紫哲也さん(享年73)の病気療養に伴い、代理ではあるがメインキャスターの座が転がり込んだ。

 2009年に正式にメインに就くと、何度かあった番組リニューアルを経てもメインを張り続けた。『NEWS23』への出演は2016年まで、産休を挟んで約10年間続いた。その後、『報道特集』のMCも務めた。振り返れば、膳場は常に報道に携わってきたわけだ。

「有働さんにしてみれば、同じ報道志望で、後輩の膳場さんが、ヒリヒリするような報道の最前線に立ち続けたことで、報道キャスターとしての“経験値の逆転”が起きてしまったんです。焦りに似た感情はあったようです」(前出・芸能関係者)

 その証拠に、有働が2018年にNHKを退社した際、理由を「ジャーナリストとして生きていきたい」としていた。そして、冒頭のようにこの4月、有働と膳場の新天地でのチャレンジが始まる。

「日本テレビの夜のニュースの顔だった有働さんが土曜夜の音楽番組に。土曜夕方の報道番組の膳場さんが、日曜朝の顔に変わります。これまでとはジャンルや時間帯が大きく異なるわけですから、番組のメインを担う存在として、有働さんも膳場さんも地力が求められますし、比較されるでしょう。それでも、努力で名誉を勝ち取ってきた働く女性のパイオニアである2人は、結果を残すのでしょう」(別の芸能関係者)

 仕事や結婚などで人生の転機を乗り越えながらも、正反対の道を歩んできた有働と膳場。新たなステージで、2人はどんな輝きを見せてくれるのだろう。

※女性セブン2024年4月25日号

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