《格差解散「ANZEN漫才」》最後の日は「観客わずか12人」みやぞん不在の相方がひとり語った本音「墓まで持っていくような話ばかり」

解散したANZEN漫才、独立したみやぞん(インスタグラムより)

  3月31日、お笑いコンビ「ANZEN漫才」が解散し、23年間の活動に別れを告げた。足立区生まれで幼なじみだった、みやぞんとあらぽん。そんな「ANZEN漫才」最後の日、あらぽんはトークライブのステージにひとり立っていた。100人規模の会場で待っていたのは12人の観客だった──。

【写真】ハイブランドバックにサングラス、颯爽とジェット機に乗り込むみやぞん

 昨年12月に今年3月末での解散を発表した「ANZEN漫才」。きっかけは、みやぞん本人からの申し出だった。みやぞんは「会社を離れて自分の力でいろいろなことにチャレンジしていきたい」と語り、話し合いを重ねた。みやぞんは年内をもってフリーとなり、あらぽんは所属事務所に残って活動を続けることとなった。

 足立区で生まれ育った2人は、保育園、小学校、中学校も同じの幼なじみだった。

「彼らは中学3年生でコンビを組み、高校生の時に初舞台を踏みました。ネタ合わせは荒川の土手で行い、足立区の治安の悪さをネタにしていましたが、“人を傷つけない安全なお笑いをしたい”という思いを込めて、『ANZEN漫才』にしたそうです。実は2人は2007年頃に1度、方向性の違いでコンビを解散しています。1年で再結成しましたが、その時にお互いの必要性を実感したそうです」(芸能事務所関係者)

 稽古を重ねていつしか、みやぞんの奏でるギターに合わせて歌うあらぽんのラップが「ANZEN漫才」の定番ネタとなった。2016年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)の若手芸人企画で話題となり、みやぞんは『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)で大ブレイク。2018年には『24時間テレビ』のチャリティーランナーも務めた。こうしたなか、あらぽんとの溝は広がっていく──。

「みやぞんの海外ロケが多くなり、多いときは月の半分を海外で過ごすスケジュールでした。コンビとしてお笑い賞レースに向き合うことが難しくなっていったそうです。足立区で暮らすあらぽんとは対照的に、みやぞんは利便性から都内の高級住宅街にある2LDKマンションに引っ越すなど、コンビ内格差は開いていきました。最終的に事務所もあらぽんも、稼ぎ頭だったみやぞんの意見を受け入れるしかなく、解散を受け入れることになりました」(同前)

配られたバッジには笑顔の2人

 話は冒頭の「あらぽんトークライブvol.2」に戻る。18時、ジーパンにシャツ、キャップとスニーカーというラフな装いで登場したあらぽん。まばらな観客席に向かい、「いいですね。この感じ最高です。こういう場所。めちゃくちゃ落ち着く」と、コメント。2時間のライブでは、テレビに出だした頃の思い出、現在ハマっているという「ひょうたん」、そして娘について熱く語った。今後はひょうたんを加工してストラップやオブジェを作成する「ひょうたん芸人」として活動していく構想も明らかにした。
そうしたなかライブ終盤、ついにあらぽんが解散について口を開いた。

「コンビ最後の日なので、その話をしようかと思ったんですけど、3か月でいろいろ起きちゃったので。今ブログに最後の日記みたいなのを一応書いて……」と説明。その解散の心情を綴ったというブログにはこう記されていた。

《コンビ歴23年間という長い時間 ただお笑いで売れたいという目標だけをみてきた期間だったと思います(略)苦しいなという事を本気で思い出せばどんどん出てくると思います(略)だいたいが墓まで持っていくような話ばかりだと思うんですよ だから過去におきた ほんと苦しい事をわざわざ思い出してまた嫌な気持ちになる必要はないと思ってしまいます なので苦しい、嫌な事はね もう忘れました》(一部抜粋)

 実際にライブで解散についての具体的な言及はほとんどなく、よほど苦しい思い出だったのだろうか。だが、ライブ終了後のあらぽんに悲壮感はなく、ファンとの記念撮影に応じ、「ANZEN漫才」のバッジが配られた。そのバッジには、みやぞんとあらぽんが笑顔で写っていた。

 お互いのインスタアカウントに、コンビ名を残しながらも相互フォローはない。最後までSNSで解散について言及することはなかったみやぞん。“世界の果てまで”行ってしまったのだろうか。

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