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北野武監督の映画論「単なるエンタテインメント。考えるのは楽しませることだけ」

舞台劇にもなる脚本も構想中?「今は新作の準備をしたい」と語る北野武監督(写真:逢坂聡)

 過去にはベネチア国際映画祭の金獅子賞、銀獅子賞(監督賞)を受賞。世界から高い評価を受ける北野武監督の唯一のシリーズ作品が、3作目にして最終章を迎える。前作から5年ぶりの今作『アウトレイジ 最終章』でも、裏社会に生きる男たちの裏切り、騙し合いの駆け引きのおもしろさは健在。昨今のメジャー大作とは一線を画する作風で、日本映画界へ一石を投じる北野監督に、シリーズ完結について、そして次なる創作への想いを聞いた。

◆無常の美学を封印したヤクザ・エンタテインメント

――北野武監督にとって、初のシリーズプロジェクトとなった『アウトレイジ』。先日の第74回ベネチア映画祭で大喝采を浴びた本作を含め、3作全てが海外の有力映画祭で上映される人気シリーズですが、ついに完結を迎えます。
【北野武】1作目の『アウトレイジ』(10年)で1本撮ったら終わりだと思ってたんだけど、最後の最後に会長を裏切って、若頭が頭になったときに、どうもこのまま終わったら嫌な感じがして。このグループ(暴力団組織の山王会)は絶対にまた、裏切られて潰されるなと思って。そうそそのかしたのは警察なんだけど。その刑事を、2作目の『アウトレイジ ビヨンド』(12年)で主人公の大友(ビートたけし)が殺してしまう。あまりにも余韻を残してしまったので、こりゃ3本目を作らなきゃしょうがないなって。

――惹句に偽りなし、今回も登場するのは“悪”ばかり。シリーズ最大スケールとなる日本と韓国を舞台に、チャチな面子や利権をめぐり、ベテラン役者陣が繰り広げる裏切り、駆け引き、騙し合い。前作に続き登板した花菱会の西野(西田敏行)と中田(塩見三省)は、若頭と若頭補佐に出世。年月を重ね、すごみの増した演技に圧倒されました。
【北野武】本番が始まったら、一気にいくからね。大したもんだなあと思った。やっぱり根性が違うよ。(10年ぶりの北野映画出演となる)大杉(漣)さんも、技量をわかった上で役にあてはめてるから、ほとんどNGがない。キレイにセリフが言えなくても、そういう芝居に見える。実際に人がしゃべるとき、全部はっきりした言葉で、きっちり話すことなんてないし。なるべく一発本番の緊張感で、テンションを上げて撮っていったんだ。その方がおもしろいから。

――アナログかつ独創的な暴力描写もシリーズの持ち味。本作ではどんなことを意識されましたか。
【北野武】言葉の罵り合いでやり合うところに、機関銃をぶっ放すシーンが入るのもどうかなとは思ったんだけど、最後だから、打ち上げ花火っぽく華々しくやるかって。ドテッ、ドテッと人が倒れていくのも生々しいからハイスピードで撮った。あのシーンは、映像的にはどうしても屋上とかハレーションがある感じになるんだけど、『ソナチネ』(93年)のイメージを外すためにもう少し乾いた感じでやろうとしたんだ。最後に大友が、ヤクザ映画らしく、みんな撃ち殺してやろうかってくらいで。

――古い殻を脱ぎ捨て、新しいことにチャレンジするのが北野流。本シリーズでは、海外で絶賛された無常の美学を残しつつ、痛快なヤクザ・エンタテインメントに徹しています。
【北野武】どこの国でもそうだけど、“悪”はエンタテインメントの対象になる。でも今回はとくに、ヤクザというより、拳銃と暴力をなくしたら「普通の社会だな、これ」っていうのを描こうとして。ヤクザだから「あのヤロー、殺せ!」ってなるけど「うまく取り立ててやるから、あいつをなんとかしろ」っていう上とのやりとりは、普通の企業でもある。国会も同じ。それをヤクザで表現しただけ。今はそういう時代だと思う。

◆筋を通した結果の末路に一般社会にも通じるアイロニー

――本作で、花菱会と緊張関係に陥る、日韓を牛耳る国際的フィクサー・張会長(金田時男)率いる張グループも、ヤクザではありませんね。
【北野武】張グループは最初「うちはヤクザじゃないんで」って筋の通し方をするんだけど、実はそっちの方がヤクザ的だったという(笑)。張会長の子分を殺した、花菱会の花田(ピエール瀧)が謝りに来たとき、「金持って帰れ!」っていうのは、昔からうちの近所ではあって。金を持って謝りに来た相手に対して、その金額が気に入らなかったら、同額分を足して「これ持って帰って、親父にちゃんと聞いてこい!」と突き返してたんだ。「こんな金がお詫びのつもりか?普通はこれくらい持ってくるだろう!」って意味なんだけど、はっきり「金が少ない」とは言わないんだよね、下品だから。それをやられて、お金が増えたって喜ぶ花田のバカさ加減がおもしろいと思ってね。

――礼儀知らずの花田の一件を契機に、これまでの因縁に決着をつけるべく、大友が韓国から帰国するというわけですね。
【北野武】大友は昔風のヤクザだから。裏切りも何も一切せず、単純で、自分の親分や兄弟分がやられれば復讐するし、不義理をしたら指を詰めて謝りに行く。今回も、世話になってる張会長が狙われたんだから、自分なりの考えで、やり返しに行かなきゃって。それがヤクザの仁義だから。シリーズ3作通して、めちゃくちゃ残酷なことをしてきた大友が、最後にヤクザらしく、自分でけじめをつけるエンディングで、うまく収まったなって思う。

――義理人情のカケラもなく、組長の座をめぐり、露骨な内部抗争に暴走する花菱会の幹部に比べ、一匹狼の大友をどう捉えていますか。
【北野武】花菱会とかいろいろな組織が裏であれこれと画策するなか、大友だけは相変わらず、昔ながらに世話になった人への義理を通す。それを美学とも思わず、当たり前のこととして、ただ単純に義理を果たすっていうか。要するに成り上がることを知らないバカなんだけど。何も色のついていないキャンバスみたいなもんだよね。実際にはいろいろな色が塗りたくってあるから見えないんだけど、たまに白いところが見えるみたいな感じかな。

――裏切りがバレれば悪、バレなければOKという、正義の定義さえ曖昧な組織のなかで、大友然り、警視庁の繁田刑事(松重豊)然り、組織の末端にいる者ほど筋を通した結果、そこから離脱せざるを得なくなる構図にも、ある種のアイロニーを感じます。
【北野武】トップに上がるためには、責任は取らない。自分のせいでも人のせいにするってことは多いから。大会社の社長も、官僚も、みんなそうだよね。総理大臣を連れて来たら、これよりスケールのでかい映画になると思うよ(笑)。

――スケールだけ大きくなっても、大友がいないと全然笑えないですよ。
【北野武】そこに入ると、大友は全然ダメだな(笑)。

◆今は新作の準備をしたい。舞台劇にもなる脚本も構想中?

――シリーズを振り返ったとき、ヤクザ映画という型を使って、閉塞した現代社会にツッコミを入れてやろうという遊び心はありましたか。
【北野武】映画って、単なるエンタテインメントだから。観客からお金を取って観せるんだから、考えるのは楽しませることだけ。社会に対する何とかなんて、後からつけた理屈だよ。言いたいことは、映画を使わなくたって言えるしね。

――18本目の監督作品となった本作。本シリーズならではのアプローチはありましたか。
【北野武】(自分が出演する際には)狂言まわしとして映画に出ることが多いんだけど、このシリーズでは、物語をやや大友の立場で見ていたね。義理人情に厚い、古いヤクザの大友の目線で、近代ヤクザのマヌケさを「あんなやり方、おかしいだろう?」って感じで見て、映画全体を作ったつもり。

――そう聞くと、大友に会えなくなるのは、やはり淋しいですね。
【北野武】試写を観た人からは「哀しかった」って声がシリーズでも一番多かったね。やろうと思えば、ストーリーはいくらでも作れるんだけど、新しい映画も撮りたいしなあ。

――今、どんなことにご興味が?
【北野武】やっぱりまずは新作の準備をしたいね。それから車を売り払って、一台だけいい車を買いたい。ゴルフとか、運動もしたいな。最近運動してないなと思って。昨日家捜ししてたら、シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』(57年)に対抗して書いた『十二人のイカレたヤクザたち』って脚本が出てきたんだよ。ノート4冊分くらい。ついに全国制覇した親分の初会合に、全国から集まった12人のヤクザが撃ち合って、全員死んじゃうの。やっと到着した親分が、死体だらけの会場を見て「やっぱりバカだな、こいつらは」と言って終わり(笑)。その罵り合いを、西田さんや塩見さん、うまい役者の怒鳴り合いでやれたらって。舞台劇にもなりそうだなと思うんだ。

――次は演劇界に挑戦ですか!? お話を伺っているだけで、古希を迎えるのが楽しみになってくるような、仕事に対するエナジーですね。
【北野武】年を取ったなりに、生活から削ぎ落としたものもあるからね。酒の量もわざと減らしてるんじゃなくて、飲みたくなくなった。いい酒をちょっとだけでいい。あと女にもまるっきり興味がなくなったりとか。年相応にやってて最近、オレだけテレビの放送コードが違うんじゃないか?って思った。炎上しそうなことをめちゃくちゃ言っても怒られないんだよね。たぶん諦めだね。いくら怒ってもあいつはダメだっていう(笑)。
(文:石村加奈)
(コンフィデンス10月16日号掲載)