山田裕貴、満たされない“ジョーカー”に共感 「ずっと乾いた状態」
クランクイン! 写真:高野広美
2019年に公開され、世界を震撼させた映画『ジョーカー』。社会から爪はじきにされた孤独な男のタガが外れ、狂気の道化=ジョーカーになっていくさまをソリッドに描き、第76回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、第92回アカデミー賞主演男優賞&作曲賞を受賞。その“続編”となる『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が11日に劇場公開される。そして本作の日本語吹き替え版声優に抜てきされたのが、俳優の山田裕貴だ。劇中ではジョーカーを追い詰めるハービー検事にふんしているが、本人はジョーカーに共感する部分も多いという。作品の魅力やジョーカー役のホアキン・フェニックスの怪演、さらには自身が抱える“苦悩”について――。表現者としての本音を語ってもらった。
■俳優目線で“ジョーカー”を分析
――山田さんは雑誌の企画でジョーカーメイクをご自身で行い、2020年放送の『情熱大陸』では「新時代の怪優」と紹介されていましたね。怪優といえば、ジョーカーを演じる役者の絶対条件かと思います。
山田裕貴(以下、山田):そうでしたね。紹介をしていただけた時はとてもうれしくて、その呼び名に見合うようにならなければと思ったことを覚えています。
前々からジョーカーというキャラクターを演じてきた人たちは「役に入り込む方が多い」とは聞いていました。ホアキン・フェニックスさんに取材したというワーナー・ブラザースの方も「まだ役が抜けていなくて、ジョーカーなのかホアキンなのか分からなかった」とおっしゃっていました。それくらい没入できる役柄というのもあるでしょうし、おっしゃる通りどれだけ入り込めるかが肝でしょうから「怪優」や「怪演」と呼ばれるのでしょうね。僕自身、彼らの芝居を見て感じるものはたくさんあります。『ダークナイト』のヒース・レジャーさんの場合は歩き方や表情が独特でしたが、ホアキンさん版のジョーカーはよりドキュメントに近い、リアルなイメージを抱きました。無理に作っているわけではなく、本物の時間を感じさせるといいますか、もちろんお芝居ではありますが「この人は本当に生きている」という感覚を強く受けました。
――山田さんがお芝居をされる際は、作品や役によって「これは没入が必要だ」と選択して臨まれるのでしょうか。
山田:自分とはかけ離れている役柄もあるため、毎回それができればすごくいいなとは思います。僕の場合、意外と明るい役のほうが難しいということもあります。
――なるほど。テンションを上げないといけない大変さがあるのですね。
山田:そうなんです。逆に、自分のあまり見せない部分を解放するような役柄の方が、入り込みやすくはあります。ドラマ『ホームルーム』や『先生を消す方程式。』はジョーカーをイメージしながら演じたこともあり、すごく入り込めました。
――ハービー・デント役は、同じ吹き替えと言えど『Ultraman: Rising』とはまるで違ったものだったのではないでしょうか。
山田:『Ultraman: Rising』はCGアニメーションだったので、実写の吹き替えに挑戦するのは今回が初めてでした。こちらとしてはお芝居をされている俳優さんの声のトーンに合わせようとしてしまいますが、声を張って出した方が「ニュアンスが出ているからOK」と言われることが多くて。自然にしゃべればしゃべるほど抑揚がなくなりニュアンスが失われてしまうので、そのバランスを取るのはとても難しかったです。
――非常によく分かります。吹き替えにはリアル芝居とはまた別の正解がありますよね。独特の文化といいますか、お客さんの中に「このゾーンこそ吹き替え」というものがある気がします。
山田:音量にしろトーンにしろ本来であればリアルに沿った感覚でセリフを言いたい自分はいますが、マイクに乗せると「何か違う」となってしまって。それがゴールだと思いつつも、これまでの癖で違和感を覚えてしまう自分がいて、なかなか大変でした。
――山田さんは以前『東京リベンジャーズ』でのドラケン役の影響が大きいからこそ、イメージが付きまとうことへの葛藤もあるとおっしゃっていましたよね。はたから見ていると、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』で実写吹き替えに挑戦されて、ますます活動領域が広がってきた印象ですが、こうした葛藤の部分についてはいかがでしょう。
■満たされないジョーカーに共感
山田:あくまで一部の声ですが、声の出演をさせていただいた作品の方が評価していただくこともあって「もう顔が出ない方がいいのかな」と半分冗談、半分本気で思うことはあります。ですが、やっぱり楽しくはあります。僕はアニメーションが大好きなので声優さんへの憧れもありますし、ジョーカー役はデビュー作の『海賊戦隊ゴーカイジャー』からご一緒させていただいている平田広明さんでしたから。自分が普段活動しているフィールドとは違えど、成長している部分を見せられたらなという思いはありました。ちなみに平田さんからは「責任重大だからな」とDMをいただき、そんなプレッシャーのかけ方がありますか!?と思いました。
――『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は、周囲に求められるジョーカーとしての虚像と、アーサーという本人の乖離(かいり)がひとつのテーマかと思います。山田さんが興味を抱いたポイントはございますか?
山田:妄想の中と思しきシーンが登場しつつ、現実のように見えているシーンももしかしたらにせ物かもしれず、本当ってどこにあるの?と思いました。僕たちが生きている世の中も、見えているものだけで人は動きますよね。でもその「見えている」部分は誰かがコントロールしていて、「それって真実なの?」と思うことも多くあります。結局、本人にしか本当のところは分からないものだと思います。
そんななかで、アーサーはものすごく悲しい人物だと僕は捉えています。誰からも愛されず、誰かに信じられるということもなく、つらい心を誰も見てくれなかったからこそ彼はジョーカーになるしかなかったのではないでしょうか。メイクをして、仮面をかぶって――僕には、ジョーカーはアーサーの“盾”のように映りました。
僕が『ジョーカー』を見た時に今までとの一番の違いだと感じたのは、「笑い」の部分です。これまでも笑いたい時に笑うジョーカーはいましたが、泣きたい時や怒りたい時など感情を出したい時に、発作として笑いになってしまうジョーカーは恐らく初めてではないでしょうか。「全てが仮面である」というメッセージが伝わってきて、非常に示唆的だなと感じました。
例えば僕たち俳優がテレビの中で楽しく笑っていたとしても、実はその日ものすごく悲しいことが起こっていたかもしれないし、裏側や真実は分かりませんよね。それなのに「目に見えているものが全て」としてしまう世の中に対して僕も疑問を抱いているので、愛されてあがめられるジョーカーになりたいと思う気持ちは十分理解できてしまいました。
スタッフさんと打ち合わせをするなかで「この映画自体がピエロメイクで、見ている人たちすらだまそうとしているんじゃないか。でもそれ自体も間違っていて、答えなんてどこにもないかもしれない」といったような話をしました。見る人によって感想が全く違っていて、僕が今お話ししていることも正しくないのかもしれないので、ぜひご自身の目で確かめてみてほしいです。
――「本当のところは本人にしか分からない」という点でいうと、1年ほど前、ある媒体で山田さんにお話をうかがった際に「自分の芝居が面白くないんじゃないかと思ってしまう」と話されていたのが強く印象に残っています。今現在はいかがでしょう?
山田:今もなかなか面白いと思えていません。もっと作れるのかな、作らない方がいいのかなと日々悩み続けていますし、一つひとつのパフォーマンスに納得いっているかといえばそうでもありません。
海外の俳優さんのように作品の打ち合わせ段階から参加し、何年もかけて準備を行うというのは中々難しくて。1つの作品が終わったら、すぐ次の作品に入ったり、作品が重なることもありました。毎日現場で必死にその役を生きるしかない状態が長らく続いていたので、その限界が見えたのだと受け止めています。ただ、少年ジャンプ魂を捨てていない自分としては「自分で限界を決めるなよ」と思ったりもしますし、冷静にこの状態を見ている自分もいます。
ただこのままだと大きな渦を起こせる感覚はなくて、ずっと乾いた状態です。「何が足りないのか」と日々探し続けています。だからこそ、満たされないジョーカーに共感するのだと思います。何か突破口が見つかるように、もう少しあがいてみたいと思っています。
(取材・文:SYO 写真:高野広美)
映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(通称『ジョーカー2』)は、10月11日より全国公開。
10/10 06:30
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