「このフェスは続いていく…」クリープハイプ『ライジングサン』ライブレポ
ロックバンド、クリープハイプが8月16日・17日に北海道石狩市の石狩湾新港樽川埠頭横野外特設ステージで行われた「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 in EZO」の2日目にトリとして出演した。バンドとしてライジングサンに強い思いがあったというライブの模様をニュースクランチ編集部が現地で取材した。
24回目を迎える老舗ロックフェスで初の大トリ
今年で24回目を迎えた「RISING SUN ROCK FESTIVAL」。そもそも、かねてからメディアで「ロックフェス」というものに対して、愛憎混じった思いを吐露していた尾崎世界観。
「ステージのかぶりがあるからこそ、自分のステージにどれくらいの人数が見に来ているか可視化される」「ステージから自分のライブを見ずに移動していく人がよく見える」「ロックフェスのクイックレポートは、MCをツギハギしたもので無意味ではないか(※これに関しては、この記事を書いている自分が喉元に刃物を突きつけられているようで生きた心地がしない)」
それでも、24回目を迎える老舗ロックフェスで、大好きなクリープハイプがトリを務めるという事実を、この目に焼き付けずにはいられなかった。
オールナイトである2日目の朝4時。まだ夜明け前で会場は暗い。ステージにメンバーがリハーサルにやってくる。フェスに出演するときにクリープハイプは、リハで本編では披露しない楽曲を少しだけ披露する。
この日は『大丈夫』と『手と手』。『手と手』は彼らが初めてライジングサンに出演したときも披露されていた楽曲。それが12年前と考えると感慨深い。『大丈夫』には「あー、辛くてたまらないなら 酒飲んで酔っ払ってそのまま朝になるまで寝てれば良いよ」という歌詞があるけど、この日は朝にクリープハイプが見られる貴重な時間なのだ。寝てなんかいられない。
一番大きなステージのトリで、ほかのステージの演奏は終わっているといっても、2日間テントを張って参加している観客にとっては、楽しさとともに疲労がピークに達する時間。お客さんの集まり具合を心配していたが、リハの音につられてか、SUN STAGEにどんどんお客さんが集まってくる。
バンドが変わることなく支持を広げてきた証
そして時間となる。「クリープハイプです、よろしく。特別な夜も終わりかけているけど、ギリギリ滑り込んで間に合ったから、とっておきの危ない、ヤバい夜遊びをしましょう」と尾崎世界観の言葉からライブがスタート。1曲目は人気の高い『キケンナアソビ』。アダルトで妖艶な雰囲気を歌詞にも曲にもまとうこの曲を、深夜から明け方にかけての野外で聞けるという贅沢を噛みしめる。
個人的な思いをここに記すと、このフェスには2001年から2006年まで6回連続で訪れていた。当時、陽が落ちてからは、海が近く、周りに建物がない立地条件もあって、8月といえど吐く息が白くなることも珍しくなかったが、地球温暖化の影響か、今年は陽が落ちてしばらくしても半袖で過ごせるほど。それでも、この時間になると少し肌寒く、長袖を着ていてちょうどいいくらいの気候になっていた。
2曲目の『火まつり』は、ベースの長谷川カオナシがメインボーカルを取る楽曲。この時間に、童謡のような趣をもつこの曲を聞くと、楽曲がより立体的に見えてくるようだ。「その冷たい火まつりに僕もまぜてよ」という歌詞に、まだ夜が明けきらないシチュエーションもあいまって背筋がゾクッとする。
続いて『身も蓋もない水槽』『社会の窓』『社会の窓と同じ構成』と、クリープハイプのなかでも特に攻撃的な3曲が並ぶ。『火まつり』もそうだが、『身も蓋もない水槽』は12年前に発表されたアルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』に収録された楽曲だ。その頃から、曲も歌詞も何ひとつ古くなっていないことに驚くし、うれしい。
『身も蓋もない水槽』は曲の終盤、「バイト先のクソが」と連呼されるが、この曲を作った当時の尾崎世界観にとって、「バイト先のクソ」はまだリアリティのある歌詞だったのだろう。そこから12年、バイトという言葉がリアリティを持たなくなってもまだ、クリープハイプが鳴らすこの曲は息が詰まるほどのリアルを感じる。
それは続いて披露された『社会の窓』もそう。メジャーデビューを果たした自分たちを、上から目線で愛でるリスナーをイメージし、自分たちを俯瞰で描いたこの曲を、10年以上経って緊張感を持って聞かせられるのは、このバンドが変わることなく着実に支持を広げてきたことの証である。
“夏のせい”にしましょう
クリープハイプが初めてライジングサンに出たのは2012年のdef garage。それから12年経って、一番大きなステージの大トリを務めることになった。
ここでも個人的な思い出を記すと、邦楽ロックフェスの先駆けとなった1999年のRISING SUN ROCK FESTIVALの模様を特集した、当時の『ROCKIN'ON JAPAN』が印象深い。そこに載っていた、バックステージで思い思いにくつろぐミュージシャンの姿を見て、“いつかこっち側に行ってみたい”と高1の自分は思った。かといって、特にギターを持ったわけではなかったけど。
尾崎は以前「悔しいと感じていたから、昔から夏フェスとかはお客さんとして行かなかった」と語っていた。年齢の近い自分と尾崎世界観は、同じ時代の空気を吸っていたはずだ、もしかしたら同じ『ROCKIN'ON JAPAN』を読んでいたかもしれない。
でも、憧れて物理的に近づこうとする人間と、距離を取る人間、その差を改めて感じたし、そのうえで自分は誇らしい気持ちになった。物理的に近づきたくて毎年通ったフェスの大トリを、一番カッコいいと思うロックバンドが務めて、文句のないステージを見せてくれている、その事実がたまらなくうれしかったからだ。
「今まで朝帰りは1人や2人でするものだったけど、数万人でできるのがすごく楽しみだった」という尾崎のかみしめる言葉に続き、いつもライブでは「セックスしよう!」の大コールが起こる『HE IS MINE』。「だいぶ明るくなっちゃったけど、まだ夜だから、めちゃくちゃデカいのお願いします」と投げかけられた言葉がニクい。
この日、千歳空港で保安上の問題が発生し、移動が間に合わずキャンセルになったり、到着がギリギリになってしまったミュージシャンが多く、多分に漏れずクリープハイプのメンバーも羽田空港で4時間以上も待たされたらしい。
思い入れのあるフェス、その初の大トリに間に合わなくなる可能性もあるとなると、メンバーも気が気ではなかっただろし、疲労もとてつもなかったと感じる。
ただ尾崎は「それもすべて“夏のせい”にしましょう」と言い、その言葉だけで次の曲が『ラブホテル』だと気づいた観客から歓声があがる。こんなタイトルのこういう曲を、多くの観衆が待ち望んでいることが改めて少しおかしいし、その曲に大衆性を持たせて、10年以上も第一線でバンドを続けていることの偉大さを感じた。
普段のライブと地続きでやっていいんだ
残念ながら、この日の明け方は雲が多く、ライジングサン……つまり、わかりやすく日の出を見ることは叶わなかった。ただ、雲越しに空が明るみ出した、その狭間で続けて歌われた『オレンジ』と『ナイトオンザプラネット』は、シチュエーションもあいまってとても美しい光景であった。
子どもの頃からどうして夜が来て、どうして朝になるのかが不思議だったと尾崎は語る。今、その瞬間やっと見られてうれしい、と。
12年前、バンドの人気を押し上げた『オレンジ』と、歌詞が一番新しいアルバムのタイトルにもなっている『ナイトオンザプラネット』の2曲が、バンドの過去と現在、夜と朝をつなげるようでエモかった。
『イト』『栞』という、クリープハイプを知らないリスナーにも波及しているキラーチューンを披露したあと、ラストに歌われるのは『二十九、三十』。以前、クリープハイプの熱狂的なファンである、お笑いコンビ・パーパーのほしのディスコが「まだ芸人として仕事があまりなくて、コンビニでバイトしている頃、『二十九、三十』を聞いて自分を奮い立たせていた」と話していて、“すごくわかる!”と思った記憶がある。
先の見えない不安に投げ出しそうになるけど、根拠のない自信が自分の中にはあるし、それをサビだったら言える。この曲が発表されてからちょうど10年経ち、30歳目前だった尾崎世界観も、もうすぐ40歳を迎える。それでも、この曲の輝きが鈍ることはない。
ライジングサンに初めて出たときはdef garageというステージで、そこから、EARTH TENT、そして一番大きなSUN STAGEと出演ステージは着実に大きくなっていったのだけど、初めてのSUN STAGEでのライブは全然うまくいかなくてダメだった、と尾崎は明かす。
そこで、漫画や映画で描かれているような奇跡は起きなかったけれど、それでも見てくれるお客さんは“奇跡を見た”みたいな顔で見てくれるから救われた。伝説のライブじゃなくても、普段のライブと地続きでやって良いんだと思えたと。
個人的にも12年ぶりのライジングサンへの参加で、僕が当時、音楽雑誌で見ていたバンドも大御所になったり、影も形もなくなってしまったりしていた。「音楽雑誌で見たバンドも世代や時代が変わる。でも、このフェスは続いていく」と尾崎は話した。
同じ空気を吸っていたクリープハイプが立派に音楽業界を生き抜き、こうしてフェスのトリを務めたことは救いであったし、「皆さんと一緒に歳をとっていけたら」という言葉は、あの頃から今も変わらず音楽を好きでい続ける自分を肯定してもらえたようだった。
10/11 18:00
WANI BOOKS NewsCrunch