TikTokでのドール配信で人気の桜川シュウ「目標はパリコレのランウェイです」

プリンセスのような衣装に身を包み、ドール(西洋人形)になりきってライブ配信する「ドール配信」で注目を集める女性がいる。TikTokクリエイターの桜川シュウだ。TikTokのフォロワーは42万人超、2023年にはTikTokが優れたクリエイターを認定する「LIVE Pro」の初代メンバーに選出された。ニュースクランチのインタビューでは、無言のパフォーマンスで人気を集める彼女のここまでの道のりを聞いた。

▲桜川シュウ【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

世界から注目を集める「無言のパフォーマンス」

うつろな視線がゆったりと周囲を漂う。物憂げな表情は時折、微笑んだり戸惑ったりするが真正面に向くことはない。穏やかなBGMのなか、おとぎ話のような衣装を纏った彼女は、無言のままで佇んでいる。なぜ喋らないのだろう? それは彼女が人形だからだ。

TikTokクリエイター・桜川シュウの「ドール配信」には、毎回多くの視聴者が集まる。TikTokのフォロワーは42万人超、ライブ配信は多いときで2万人以上が同時接続して、桜川演じるドールを眺めている。

リアルタイムチャットには「かわいい」「綺麗」といったコメントに混じって、英語、フランス語、スペイン語が並ぶ。ドール配信はアメリカやフランスのメディアにも取り上げられており、日本のロリータ文化として世界からも注目を集めつつある。

パフォーマンスの最中、ドールはほとんど声を発しない。コメントやSEに反応して笑顔を見せたり、驚いたりする程度だ。無声映画のようなコンテンツに、なぜこれほどの支持が集まっているのか。その理由は桜川自身が徹底して作り込こんだ世界観にある。

「今、演じているドールは11体です。それぞれに個別の設定やストーリーを設けていて、例えば、第3ドールの『カードドールくん』は、小さな森の王子さまだったけど、兄弟との権力争いに敗れてお母さんと逃げているところ不幸にも命を落として、その魂がドールに乗り移ったという設定です。

ほかのドールたちも、少し不幸な背景や悲しいストーリーを抱えていて、衣装や小道具にはそれを読み解くヒントを散りばめています。視聴者さんのなかには、そのヒントをもとにドールの過去を考察するのを楽しみにしている人たちもいます」

▲「演じているドール11体、全てに個別の設定やストーリーがあるんです」

TikTokには一般の視聴者によるドール配信の考察動画もアップロードされている。幻想的なビジュアルはもちろん、その背後に見え隠れする儚くせつない世界観も視聴者を惹きつける理由の一つだ。

一度は捨てた「ドールへの憧れ」

ライブ配信はゲーム実況や雑談配信などのコンテンツが中心だ。そのなかにあって、桜川の存在は異彩を放っている。異色のライブ配信コンテンツはどのようにして生まれたのか。そのルーツは幼少期にさかのぼる。

1995年、佐賀県生まれ。子どもの頃からアニメのプリンセスに憧れ、フリフリの洋服やアクセサリーに夢中だった。その後、愛知県に引っ越して小学校に通い始めると、学校にもプリンセスさながらの洋服で登校した。

かわいいものに囲まれて過ごすのが何よりも好きな少女だった。しかし、ほどなくして、その「好き」を封印する時期が訪れる。

「フリフリの洋服なんか着ていると“ぶりっ子だ”って、いじめられるじゃないですか。佐賀からの転校生だったこともあって、いじめにはすごく敏感で“自分を守らなきゃ”って強く感じたんです。だから、それからはフリフリはやめてボーイッシュに転換しました。一旦、好きなものは捨てて、強く生きるために男の子みたいになろうって」

長かった髪の毛はバッサリ切ってショートカットにした。剣道や合気道といった武道を習い始めると、周囲からの評価は「元気で活発な子」に変わった。中学生からはロックバンドでギターとボーカルを担当。メロコアバンドのエモーショナルな楽曲をコピーして演奏する姿は、学園祭の目玉になるほど人気を集めた。

「もともと気が強い子だったんだと思います。壁があるなら自分の力で乗り越えてやろう、みたいな。高校はアルバイト禁止の学校だったんですけど、頑張って貯金して、30万円のギターを自分で買いました」

強く生きることへの憧れもあった。桜川は幼少期に両親が離婚し、シングルマザーの家庭で育っている。アメリカ育ちで経営者だった母は、子どもたちに寂しい思いをさせないよう気丈な姿を見せ続けた。離婚を決意したときには、子どもたちに「ママはスーパーマンなんだ。パパがいなくても今の百万倍あなたたちを幸せにできる」と言って聞かせた。

「パワフルな母の姿がロールモデルだったので、“好き”を捨てて生きることにも意義は見出せていたんですよね」

それが桜川にとっての「強く生きること」だった。

▲「ママはスーパーマンなんだ、という言葉は凄く印象に残ってます」

トップライバーにのぼり詰めるも……

芸能の世界に足を踏み入れたのは高校時代のこと。地元のイベントにバンドで出演したときに、モデル事務所にスカウトされた。その後、大学に通いながらモデルや女優として活動を続け、卒業後には上京し、芸能界で生きていく……つまり「好きを仕事にしていく」ことを決めた。

東京での生活は決して楽ではなかったが、2年ほどの下積み生活を経て、モデルや女優の仕事は着実に増えていった。

コロナ禍が訪れたのは、その矢先のことだ。掴みかけていたチャンスは、一転してピンチへと姿を変えた。決まっていた仕事は次々とキャンセルされ、空白のスケジュールだけが残った。窮地に立たされた桜川は、当面の生活費をまかなおうとライブ配信を始めるが、これが図らずもキャリアの転機になった。

「私がライバーをしていたPococha(ポコチャ)は、当時、歌や雑談がコンテンツの中心だったんです。しかも、座ったままマイクに向かってお喋りしたり歌ったりするのが主流だったので、“カメラのアングルや照明を工夫すれば目立てるんじゃないかな”と思ったんです。

その頃には大人の世代の視聴者さんも増え始めていて、投げ銭をしてくださる人も多かった。そこをターゲット層にしようと決めて、それで何をしようか考えたときに思いついたのが昭和歌謡でした。

それからは、山口百恵さんや中森明菜さんの歌を一生懸命覚えて、踊りも楽しめるように全身が映るカメラアングルにして、昭和の歌謡ショーみたいな演出で配信したんです。そこから一気に視聴者数が増えて、人気もどんどん出ていきました」

演出に用いたカメラや照明の知識は、下積み時代の撮影現場で身に付けたものだった。中年以上の層をターゲットにしたコンテンツも狙い通りにハマった。

日ごとに視聴者数は増えていき、配信開始から1か月ほどでライバーの当時の最高ランクであるSプラスを獲得できた。持ち前の行動力とストイックさで掴み取った、芸能界入りしてから初めての成功だった。

その後も桜川の人気は継続し、3年に渡ってトップライバーとして活動している。コロナ禍には危ぶまれた収入面も安定した。ただ、人気が高まるにつれて、心のどこかに満たされなさがくすぶっていることも感じていた。

「今まで、がむしゃらに目の前の壁を乗り越えてきたけど、ふと“これでいいのかな?”と思っちゃったんですよね。好きなことを表現するために芸能界に入ったのに、今の私は本当に好きなことをできているのかなって……」

▲「今の私は本当に好きなことをできているのかな」

「私はずっと二面性で生きていたと思うんです。強いとかわいいの二つの顔で。じつは、小学生のときにフリフリの服を着るのはやめていたんですけど、お部屋の家具とか小物はずっとかわいいままでした。あと、彼氏といるときだけはガーリーなブランドの服を着るとか。

それはずっと表に出さずに生きてきたんですけど、“思い切って出してみよう”って決心できたんです。今なら、自分の好きなものをちゃんと作り込んで表現できると思ったし、ファンになってくれる人たちもきっといるって思えました。それがドール配信を始めたきっかけです」

2022年に桜川は人気を確立していたPocochaからTikTokライブにプラットフォームを移し、ドール配信を始める。コンテンツの内容は一変した。それまでの歌や視聴者とのコミュニケーションが中心のコンテンツから、プリンセス風のドールになり切るパフォーマンスへ。

ドールの儚げな世界観を届けるため、あえて言葉を発せず無言で演技することに決めた。自分の好きなかわいいものを思いっきり表現するために、衣装や背景、ライティングにもこだわりを貫いた。しかし、込めた思いとは裏腹に、視聴者からの反応は実に冷たいものだった。

「最初の頃はアンチコメントばっかりだったんです。“気持ち悪い”とか“何がしたいの?”っていうのがほとんど。それで少し落ち込むこともあったんですけど、たくさんのアンチコメントの合間に、たまに“好き”とか“かわいい”っていうコメントがあるんです。少ない人数でしたけど、その人たちが私の“好き”を認めてくれるなら、それでいいやって開き直れたんですよね」

周囲の目を気にして「好き」を捨てた、あの頃の自分はいなかった。むしろ、ネガティブなコメントは、パフォーマンスを磨き上げるモチベーションにすらなっていた。桜川はドールの数をさらに増やし、エフェクト機能などを駆使して、ライブ配信の演出もアップグレードさせていく。

ドール配信の世界観が厚みを増し、独自のコンテンツが確立されていくにつれて、アンチコメントで覆われていたコメント欄は様子を変えていった。

「コメント欄の雰囲気が一変したんです。アンチコメントが全くなくなって、その代わりに“このお洋服かわいい”とか“この世界観ステキ”ってコメントがどんどん増えていったんです。それがドール配信で初めて手応えを掴んだ瞬間でした」

今の目標はドール姿でパリコレに!

視聴者数は回を追うごとに増え、ドール配信は瞬く間にTikTokライブの人気コンテンツに成長していった。スタートから約1年後には、TikTokのフォロワー数は40万人に到達し、2023年にはTikTokが優れたクリエイターを認定する「LIVE Pro」の初代メンバーに選出された。こうして彼女は名実ともにトップクリエイターの仲間入りを果たした。

現在、桜川の活動は多岐に渡っている。ドール配信が人気の発火点となり、モデルとしての活動やメディアへの出演は急増した。今年は、福岡PayPayドームや千葉にある幕張メッセの大型イベントでランウェイを歩き、長年の夢をまた一つ叶えた。

「ドール配信を始めてからどんどん夢が叶っていくんです。大きなイベントのランウェイにも立てたし、海外のメディアにも取り上げてもらいました。モデルや女優の仕事だけをしていた頃には、別世界だった舞台に何度も上がることができて。それに私の表現に共感してくれる仲間が増えたのも、ドール配信を始めてうれしかったことでした」

桜川には事業を手がけるビジネスパーソンとしての顔もある。現在は、東証グロース上場のグローバルウェイの傘下にある、スキルマッチングプラットフォーム「Time Ticket」の事業責任者を務めるほか、クリエイターを育成する事務所も経営している。

Time Ticketへの参画は、運営会社からのオファーがきっかけだった。ドール配信にかける情熱やコンテンツづくりのノウハウが目に止まり、エンタメビジネスに力を貸してほしいと依頼を受けた。経営者の母親がロールモデルだった桜川は依頼を快諾した。

「私は働く女性のなかで育ったので、自立して自分で稼いでいくっていうスタイルが好きなんです。かわいいことも大好きだけど、ビジネスでも成功したい。だから、これからもプリンセスの心を持ったバリキャリとして頑張っていくつもりです(笑)」

TikTokクリエイター、モデル、女優に、ビジネスパーソンとしての顔も加えた桜川は、どんな未来を見据えているのか。今後の野望を聞いた。

「今の目標はパリコレです。私は身長が160cmなんですけど、ドール姿でパリコレのランウェイを歩きたいと思っています。そして、日本のロリータ文化を背負う存在になるのが一番の夢ですね。

いろんな仕事をしているので、時々、欲張りすぎかなって思うこともあるんですけど、人生って欲張っていいと思うんです。世の女性の皆さんも、毎日が忙しいと、自分の好きなことを諦めそうになることがあると思うんですけど、私は何も諦めなくていいと思う。ずっと欲張りで、強くて、かわいい女性でいてほしいなって思います」

今も毎週のように桜川はフリフリの衣装を身に纏う。無言で佇む儚げなドール、その俯きがちな視線の奥には、自分の「好き」を守り続ける強い意志が宿っていた。

(取材:島袋 龍太)


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