『情熱大陸』に森且行さんが登場。レース復帰して目指す、さらなる高みとは「夢だったオートレーサーに。日本一になった喜びも束の間、レース中に落車。手術4回の大ケガから、奇跡の復活を遂げるまで」
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アイドルからオートレーサーに転身した森且行さんを描いたドキュメンタリー映画『オートレーサー森且行 約束のオーバル 劇場版』が11月29日に全国公開されます。1996年に転身して24年、オートレースの最高ランクSG(スーパーグレード)で優勝を果たし、念願だった「日本一」の称号を手にした森さん。しかしその喜びも束の間、レース中の落車により、選手復帰が困難なほどの大ケガを負うことに。なぜこの道を選んだのか、そして奇跡の生還までの道のりを語ります(構成◎上田恵子 撮影◎本社・武田裕介)
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【写真】1年後に5回目の手術をして、背中のプレートと総重量250gのボルトを摘出
ファンの皆さんに観てほしいという思い
オートレーサーとしての日常を映画にすると聞いた時は、「まさか!」という気持ちでした。最初は断り続けていたのですが、考えてみたら、僕をずっと追いかけてくれて素材を持っているのは穂坂(友紀)監督しかいない。ファンの皆さんに観てほしいという思いもあり、お任せすることに決めました。
完成した映画を観て、まず感謝の気持ちでいっぱいになりました。僕の知らないところでカメラが回っていて、ケガの治療でお世話になった病院の先生方や兄、養成所の同期(25期)の皆までもが取材に協力してくれて……。
しかもドキュメンタリーなので、取材される側は思ったことを言わないといけない。それを観て「こうやって皆が僕を助け、一緒に辛い思いをしてくれたんだな」とズシンと胸に来るものがありましたし、「取材を受けてくれてありがとうございます」という気持ちでしたね。
カメラを回し続けてくれた監督のおかげで、僕の知らなかった舞台裏を観ることができた。本当に感謝しかありません。
「お前もう芸能界に戻れ!」「歌ってろ!」という声
オートレーサーとして、初めてコースを走った日のことは今も忘れられません。僕が今まで観てきたどのレースよりも、会場がファンの方で埋め尽くされていて。まずその多さに圧倒され、ビビッていた記憶があります。(笑)
ヘルメットを被ってスタートラインについた瞬間、「こんなに応援されているんだから絶対に勝たなくては」と思いましたし、1着でゴールした時は「やっとレーサーになれた、夢が叶ったんだ」という気持ちでいっぱいでした。
一方で、応援の声だけでなくヤジもありました。公営競技ということもあり「死ね!」くらいの言葉を余裕で言われることも。
それまではアイドルだったからヤジを飛ばされた経験なんてなかったですし、僕がオートレースを観に行っていた時もこんなに飛んでなかったんです。
やっぱり芸能界から入ってきて、生ぬるい気持ちでやってるんじゃないかと思われたのでしょうね。僕が転んだりすると、「お前もう芸能界に戻れ!」とか「歌ってろ!」などと言われました。他の同期が落車しても言われないのに。
ヤジを飛ばす人たちを見返すためにも絶対的に速くなろう
もちろん辛かったですが、そんなことでくじけていたらダメだなと。
ヤジを飛ばす人たちを見返す一番の方法は、絶対的に速くなることです。それからはもう速くなることだけ、一番いいランクに行くことだけを考えて走っていました。
その声が変わったと感じたのは、新人王を獲った時です。25期のチャンピオンになってから徐々にヤジがなくなって、7年目にG2を獲って13年目にG1を獲って、そのあたりから70代、80代のオールドファンも認めてくれたのかなと思えるようになりました。
ただ、それでもヤジはなくならない。だから最高位のSGをとって日本一になるまでは、ちゃんとヤジも聞いて、それに負けないように頑張ろうと思っていました。
悲願の日本一獲得から82日後の大ケガ
2020年11月3日、SG日本選手権で優勝し、24年目にして念願だった日本一になりました。22歳でSMAPを脱退してオートレーサーの養成所に入った際、メンバー5人と「お互い日本一になろう」と約束をしていたので、嬉しさと同時に「やっと約束を守れた」と安堵したことを覚えています。
ところが日本一になった82日後、レース中に落車。多発肋骨骨折、肺挫傷、肺血胸、腰椎破裂骨折、骨盤骨折という大ケガを負ってしまいました。計4回手術をして、体の中には24本のボルトが埋め込まれ、当初医師は兄に「命があっただけでも幸運。歩けるようになるかどうかもわからない」と伝えていたそうです。
ただ、僕の中では「日本一になれたのは後付けじゃないのかな?」という思いがあって。ケガをすることを神様がわかっていたから、僕を日本一にしてくれたのかなと考えたんです。だったらケガを治して、もう一度日本一にならなくてはと思いました。
病院での治療とリハビリは苦しかったです。しかもコロナ禍だったため、お見舞いも受けられなければ外にも出られない。でも逆にそれがプラスになったと言いますか、土日も先生に来ていただき「普通の人の2倍お願いします」と頼むことができた。外と隔絶されていたぶん、より体を治すことに集中できたのだと思います。
右足の麻痺は治らない。慣れない場所では装具を
リハビリは途中から、どんどん楽しくなりました。だって「もう歩けない」と言われていたのが、少しずつ歩けるようになるんですから。その一歩一歩の積み重ねが、すごく楽しくなってきたんです。モチベーションになったのは、オートレーサーとしてもう一度走りたい、対戦したいという思いだけでしたね。
リハビリは一度休んでしまうと続かないので、毎日必ずやるようにしていました。先生と一緒に朝1時間、夕方1時間。あとは自分のベッドの上でできることを1時間。それ以外の時間はちゃんと休むという感じで、オンとオフを切り替えながら集中してやっていました。そうでないとメンタルをやられてしまうので。
さすがに最後、先生に「1階から18階まで階段を上れなかったら退院はナシね!」と言われた時は「嘘でしょう!?」と思いましたけど(笑)。それでも僕は隠れて階段の上り下りをやっていたので、「やります!」と二つ返事でやり遂げました。
落車から1年後に5回目の手術をして、背中のプレートと総重量250gのボルトを摘出。現在はかなり回復して、普通に近い状態で生活しています。ただ右足の麻痺は治らないため、段差がある道や砂利道だと足首がぐにゃっとなっちゃうんですね。なので慣れない場所では、転ばないよう装具を付けて歩いています。
オートレーサーとしてのすべてを教えたい
映画には、僕とともに落車した新井恵匠選手も登場してくれています。彼は一緒に転んだもののケガをしなかったため、SNSでいろいろ言われて心に傷を負ってしまって……。レース中のことで、本当にどちらも悪くないんですけどね。
恵匠が出場したレース後の会見で、「森さん、すみませんでした」と謝っていたので、すぐに「お互い様だから。また一緒に走れる日を楽しみにしてる」と会場にFAXを送ったのですが、やっぱり心の傷が深かったのかな。元気もなかったですし。「これで僕が復帰しなかったら、恵匠のオートレース人生が終わっちゃうんじゃないか?」と心配になるくらいでした。
「早く復帰して一緒に優勝戦で走ろう」と約束したら、恵匠はすごく喜んでいました。僕の復帰戦の日も、恵匠のレースはなかったんですが手伝いに来てくれて、レース中もずっとコース間近の金網のところで観てくれていて……。あれにはグッときましたね。
なかなか時間がとれずに彼とはゆっくり話ができていないのですが、もう少し僕に余裕ができたらお酒でも飲みながら話をしたい。僕が知っている、オートレーサーとしてのすべてを教えたいです。
心に残る中居正広からの励ましの言葉
入院中は、本当にたくさんの人に励ましてもらいました。なかでも心に残っているのは、中居(正広)くんの言葉です。
「神様は乗り越えられない奴に試練は与えない。だからお前は乗り越えられる」と言われたんですが、「マジか……」とグサッときましたね。
なにせ最初に「お前大丈夫か!?」とメールで連絡をもらった際、僕は一言「ダメ」って返信しちゃってるんで。それくらい自分の中ではヤバい状態だったんです。
骨盤は粉々だし、背骨は折れてるし、脚の感覚もない。そんな状況のなか一番最初に連絡が来たため、その時の心理状態のまま「ダメ」と打ってしまった。そうしたらさっきの言葉が返ってきたので、これはもう頑張るしかないなと思いました。
他のメンバーからも次々に励ましてもらって……。本当にありがたかったですし、力になりました。
11/17 20:00
婦人公論.jp