林与一「初代水谷八重子、美空ひばり、山本富士子、森光子、佐久間良子…次々と声がかかり、たくさんの大女優達の相手役をつとめ」【2023編集部セレクション】

「ひばりさんは僕より5つ歳上でしたけど、好きでしたね。あちらも僕を嫌いじゃなかったと思う」(撮影:岡本隆史)
2023年下半期(7月~12月)に配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします。(初公開日:2023年9月6日)


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演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第19回は俳優の林与一さん。東京でドラマに出演し、大人気となった林さん。大女優達との共演もたくさんあったそうで――(撮影:岡本隆史)

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【写真】見事な殺陣と甘いマスクで一躍人気者に

<前編よりつづく

歌舞伎界に戻っていたかも

それで、第3の転機は美空ひばりさんとの出会いでは?

――ああ、そうなりますかね。ひばりさんの側から僕を相手役にしたいって、東宝に依頼がありました。僕は最初、「新宿のコマ劇場で歌い手さんの相手役」と聞いて、「出ない」って言ったんですよ。

そしたら長谷川が、「お前、断ったそうだけど、美空ひばりの看板の次に来るんだよ。これを逃したらそんなチャンスがいつ来るか」って言われて、出ることに。

川口松太郎さんがお書きになった『女の花道』っていう芝居でした。堀田隼人の翌年でしたから、僕が出るとやっぱり手(拍手)が来るわけですよ。連日すごい大入りで、通路に立ち見まで出ました。ひばりさんは千秋楽の3日前に(小林旭さんとの)離婚を発表なさってね。袖で見てたら「ひばりは皆さんのところへ帰って来ました」って。それも大歓声、大拍手でした。

ひばりさんは僕より5つ歳上でしたけど、好きでしたね。あちらも僕を嫌いじゃなかったと思う。でもお母さんの加藤喜美枝さんは、もう結婚はさせたくないと思ったのか、ことごとに仲を阻まれました。

あれは名古屋のお座敷でのこと。ひばりさんが都々逸を歌ってね。

世の中に私の好きな人ただ一人年も言えなきゃ名も言えぬ言えば世間が邪魔をする

って、最後に僕の顔をチロッと見るんです。

「お嬢、あれは与一への歌かい?」ってお母さん。「違うわよ、ただ歌ったのよ」と、ひばりさん。

コマ劇場での美空ひばりの相手役は、5年で僕のほうからやめさせてもらいました。

与一さんの舞台を私が初めて観たのは、三島由紀夫作『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の初演(1969年)、国立劇場。琉球の若侍、陶松寿役だった。

――あれは三島先生が、「今、若手で生締(髷を棒状に油で固めた鬘で、颯爽とした立役用)かぶる役者は何人もいないから」とご指名くださって。

僕は東宝と契約していたし、俳優協会に入ってない役者は国立劇場に出られない決まりだったけど、三島先生の口利きのおかげで出られました。その実績で後日、初代水谷八重子さんの『女人哀詞』、唐人お吉の恋人の鶴松役でも国立へ出たんです。

『弓張月』には、主役の為朝役で八代目幸四郎(初代白鸚)さん始め、二代目鴈治郎さん、三代目猿之助(二代目猿翁)さん、それに白縫姫の役で玉三郎君も出てて、その中日頃、僕と玉三郎君が国立の理事長室に呼ばれた。

そしたら三島先生が、「この次、歌舞伎を書く時は、君と玉三郎で『十種香』を書くからね」とおっしゃってね。武田勝頼と八重垣姫の話ですよ。二人で「よかったね」と楽しみにしていたら、翌年三島先生が亡くなってしまわれて……。

もしそれが実現していたら、僕は歌舞伎に戻ったかもしれなかった。それと50代の頃、当時の松竹の永山(武臣)社長から「与一ちゃん、今戻るなら君の看板の位置はあるよ」って言われましたけどね。この二つ、転機になりそこなってるね。

筆者の関容子さん(右)と

もしも宝くじが当たったら.......

与一さんが相手役をつとめた大女優は枚挙にいとまがない。初代八重子、美空ひばり、山本富士子、森光子、佐久間良子……。

――僕ね、上京してすぐの東宝時代、森光子さんの『放浪記』初演に、林芙美子の最初の恋人、香取恭助役で8ヵ月間のロングランに出てるんです。19やそこらで、家庭を持ってるようなそんな役、とてもできませんよ。菊田(一夫)先生には毎回怒られて、ダメばっかり。

でも森さんは優しくて、別稽古にも付き合ってくれた。で、『放浪記』千回記念公演の時、森さんがこの役を再び僕に、って指名してくれて。演出の(三木)のり平さんに、「与一ちゃん、今だったら菊田さんも褒めるよ」って言われて、腰が抜けるほど嬉しかったですね。

初代の八重子さんからは、「新派どう?」って言われて、4年ほど行きました。『近松物語』『遊女夕霧』『婦系図』とかいろいろ出ています。山本富士子さんとも『婦系図』とか、明治座の一月興行は必ずで、8年間。このコンビが一番長いですね。次がひばりさんとの5年間、八重子さんとは4年間。

佐久間良子さんとは飛び飛びで『唐人お吉』とか『真砂屋お峰』とか。ずいぶん美女のお相手をつとめたものです。

与一さんはもう、美女たちにモテモテ。アイドル歌手小川知子さんと結婚。

――僕が30代半ばでしたかね。当時婚約してた相手の親が大会社の方で、「役者やめてくれ」って言われた。それであちらも婚約相手の親が「歌い手との結婚は許さない」ということで、破談した者同士が意気投合したわけですよ。

男みたいな人で、家事はすべて僕がしましたけど、すごく気持ちが楽でしたよ。でも何年かで別れて、その後はまたぐっと若い女性と結婚して、子ども4人は今や立派に巣立ちました。

それで、今後のご予定とか、夢とかは?

――当面の予定は9月の舞台『新説雪之丞変化』です。林佑樹が役者の雪之丞で、僕が盗賊の闇太郎をつとめます。これ、二役とも長谷川一夫の当たり役でしたけどね。

僕はひばりさんと『小判鮫お役者仁義』という映画で、闇太郎役をやって、ひばりさんからいろいろ教わりました。あの人は男の役がうまかったですね。「こういうふうにできないかい?」って、実にいい格好をしてみせる。だから今度の闇太郎は長谷川よりもひばりさんなんですよ。

それで夢を語るとすれば、もしも宝くじが当たったら、自主公演で歌舞伎をやる。歌舞伎は義太夫から黒御簾からすべて生ですし、衣装から道具から、もう億単位の予算が必要です。

でも、もし当たったら、僕は上方式の『石切梶原』をやりたい。もうみんなにツバつけてあるんです。僕が梶原(平三)、大庭(三郎)が彌十郎さん、俣野が猿弥君、六郎太夫が歌六さんで、娘の梢は林佑樹を抜擢する。もし当たったら。(笑)

当たった方がひと肌ぬいで、実現させてくれるといいですね。

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