『情熱大陸』に間寛平さんが登場。73歳で語る「使命」。吉本新喜劇のGMに就任。いらだつ日々、ストレスで口内炎だらけに。それでも「やるしかない」

新喜劇の現状を真剣に語る間寛平さん(撮影◎中西正男)
2024年9月28日の『情熱大陸』に間寛平さんが登場。芸人として舞台に立ちつつ、2年前からは新たに創設されたGM(ゼネラルマネージャー)というポジションを務める間寛平さん。吉本新喜劇の良さを活かしながら、どう未来につなげるか。就任時に意気込みを語ったインタビューを再配信します。

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今年2月に吉本新喜劇のゼネラルマネージャー(GM)に就任し、73歳で改革に挑む間寛平さん。圧倒的な実績と誰もが認める人格。109人の座員をまとめる役割として最高の人選と言われていましたが、現実は実に厳しいものでした。「ホンマに難しい」と語る真意。そして、それでも進む原動力とは――。
もう、人生の“上がり”の年齢になった。その道のトップランナーとして走り続けても来た。ただ、もしやり直せるなら。もしくは、最後の使命を果たすなら。そんな思いを「匠の粋」に達した大御所に中西正男さんが聞く新連載「人生の忘れ物」、第1回です。
(取材・文・撮影◎中西正男)

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【写真】笑顔でピースサインを出す寛平さん

新喜劇の座員は全部で109人

就任から半年。今の感覚で言うとね、疲れましたわ(笑)。いや、ホンマに。思っている以上に大変やわ。それが正直な思いです。

若い子たちのやる気をどうすれば引き出せるのか。日々そこと向き合ってます。

今ね、新喜劇の座員は全部で109人いるんですけど、その中でなんばグランド花月やよしもと祇園花月なんかにレギュラーメンバー的に出ているのが30~40人。いつもではないけど、時々出番があるのが20~30人くらい。あとはほとんど出番がない。そういう状況になっています。

となるとね、もうその状態で感覚が固まってしまうというのか、出番がない子らも食べるためにアルバイトをしないといけない。そうなると、こっちが新しい新喜劇の劇場として大阪・難波に「セカンドシアター」というのを作ったり、いろいろなイベントをしたりしても既にバイトが生活の軸になっていて積極的に乗り出してこないんです。

一方で、30~40人の出番がある人の中には、僕が出てきていろいろ動くことに対して「余計なこと、せんでエエのに」と思う人もいる。「これまで出てなかった人にもチャンスを!」となると、結果的にこれまで出ていた人の出番が減ることになりますから。

まぁ、こんなんは押しつけたらアカンねんけど、若い頃に自分がやってきた感覚からすると、もっと、もっとがむしゃらにやる時やと思うんですけどね。

新しい劇場ができた。世に出るきっかけとなるイベントも増えた。頑張ればチャンスをつかめる。そうなったら必死にやっていたと思うんです。でも、今の子たちは必ずしもそうではない。

もう一つ、ショックというか「そうとるか…」と思ったのが今年5月、僕が座長公演としてなんばグランド花月に1週間出た時でした。

 

ホンマに一人一人が子ども

吉本興業からは「実際に寛平さんが舞台に立って、いわゆる新喜劇の根っこの部分というかこれまで受け継がれてきたものを見せてやってください」と言われてたんですけど、そこで僕に対して「どれだけ出たがりなんや」という思いを持っていた人もいたみたいで。

言うたら、監督が代打で出るみたいなもんやから現役の選手からしたら、そのことで一打席チャンスを失うことにもなる。そういう考えになるのかもしれないし、僕も若い頃やったらそう思ったかもしれません。でも、別に僕自身が出たいということでやったものではないし、僕らみたいな年代のものがやることを見て何か感じ取ってくれたら。ただただそう思ってやったことなんですけど通じない。そんなことを痛感した場面でもありました。

僕らの時とは時代も環境も違います。そして、109人それぞれに自分が良しとする考えがあります。だから、僕が「お前ら、こうせなアカンで!」と言うものでもない。

でも、それと同時にこの立場になって痛感しているのが、一人一人に生活があり、人生があるということです。それが見えるがゆえに、ホンマに一人一人が子どもというか、心配でならん。その思いが強くなったのも事実です。

でも、でも、一人一人に考えもあるからね…。ホンマに難しいもんですよ。

ただ、自分が生まれ育った新喜劇がこれから先も潰れることなく続くこと。もっと盛り上がること。これを何より願ってますし、それが座員のためにもなるはずやと。

新喜劇をこれからも愛してもらう。そのためには新しいスターが必要だし、座員の切磋琢磨が不可欠なんです。なんとかそういう流れを作れないか。毎日そればっかり考えてます。

もちろん、70歳を超えてこんな立場におらせてもらっているという使命感もあります。ただ、何より大きいのは恩返しなんやろうなと。というのも、今、僕が仕事ができているのは周りの人に引っ張り上げてもらってきたからです。これはホンマに、ホンマにそうなんです。

同じ時期に座長になったけど僕なんかより圧倒的に達者な木村進ちゃんにも助けてもらったし、対照的に何もできひん僕には「寛平が出たら舞台が汚れる」という声もありました。

ただ、それでも目をかけてくれた社員さんらが新喜劇の別バージョンみたいな“ポケットミュージカル”というものに出してくれたり、そこでムチャクチャしたら当時の吉本の社長さんが「面白い!」と言ってくださって台本の手直しも手伝ってくれるようになりました。

「新たなスターを作るまで」と

明石家さんまちゃんも最初は僕が淡路島で交通事故に巻き込まれて舞台に穴をあけた時の助っ人で出てくれてたんですけど「頑張りや!」と声をかけてたら、頑張り過ぎです(笑)。ホンマに助けてもらってますからね。

その結果、なんとかここまでやってこられました。やってもらったことは自分もやらなアカン。行きつくところ、全ての原動力はそこです。

ただね、少しずつですけど、半年経ってやっと動き出した部分もあるんです。ほんのちょっとかもしれんけど、手ごたえも感じるようになってきました。さっき話していた時々出番があるくらいの20~30人を中心に「なんとかチャンスをつかもう」という空気が出てきましてね。これはね、ホンマにうれしいことやし大事なことだと思っています。

GMは任期が何年とは決まってないんですけど、自分の中では「新たなスターを作るまで」と考えています。「もうこいつが出てきたから、ひとまず形になりましたね」。吉本興業にそう言えるスターを作る。それが一番やろうなと。

ホンマにありがたいことですけど、70歳を過ぎて、まだまだ背負わないといけないことが増えました。

今まで口内炎なんてできたことなかったけど、ストレスで口内炎だらけになりました(笑)。アースマラソンで地球一周走るとか、体がしんどいことはナンボでもできるんやけど、これはまた違うしんどさなんでしょうね。

自分がやってもらったことくらいはお返しをする。そしてGMを無事に終えたら、そこからまた考えていることもあるんです。

いや、できるかどうかは分かりませんよ。分からんけど、アースマラソンくらい自分にとって大きなチャレンジをしたいとは考えています。

正直、このままお仕事をやらせてもらってゆっくり人生の着地をする。それでも十分エエ人生やったと思います。

でも、そうやって落ち着くのは自分の中でイヤなんですよね。最後まで「そんなんできるんか?」ということをやっていたい。死ぬまで大きな山を登っていたい。そう思うんです。

そのためにも、まずはスターを作らんとアカンのですけどね。最初は「新喜劇の明石家さんまを作る!」と言ってたんですけど、さんまは無理です(笑)。あれはね、すごすぎる。でも、少しでも近い存在を作れるように頑張りますけどね。

一人、住吉大和というまだ22歳の若手がいるんですけど、何とかこいつをモノにできないかとも思っています。とにかく一生懸命なんですよ。何とかやってやろうという思いが強い。この思いが本当に大事やし、それがあったら悪いようにはならんやろうなと。

ただね、こいつが致命的に服がダサくてね…。お父さんのおさがりばっかり着てるんですよ(笑)。まだまだこれからですけど、なんとかみんなが切磋琢磨する中で光る石が一つでも多く出てくる。ただただそれを願うばかりです。

■間寛平(はざま・かんぺい)

1949年7月20日生まれ。高知県出身。本名・間重美(しげみ)。70年、吉本新喜劇の研究生になり、74年に座長に就任する。78年に新喜劇の座員だった光代さんと結婚。89年に東京進出し島田洋七とのコンビ結成などでも話題になる。35歳の頃からマラソンを本格的にはじめ、246キロを走破するギリシャのスパルタスロンや日本テレビ「24時間テレビ」のマラソン企画にも挑戦。2008年12月から11年1月にかけてヨットとランだけで地球一周する「アースマラソン」を完遂する。「ア~メマ!」「かい~の」などヒットギャグ多数。MBSテレビ「痛快!明石家電視台」、読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」、ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」などにレギュラー出演中。吉本興業からの強い要請を受け、吉本新喜劇のGMに就任した。

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