五木ひろし 新たな挑戦「無謀かもれないが、自信はあります!」藤山一郎、美空ひばり…レジェンドの名曲を10日間で歌い継ぐ!
日本の歌謡界を彩ったレジェンドたちの名曲を10日間にわたって歌い継ぐという企画である。1日およそ20曲。合計200曲を歌い続けるという無謀ともいうべき挑戦だが、昭和を歌い継ぐことを自らの使命と課す五木自身が、尊敬してやまないレジェンドたちの名曲を集めたコンサートをやりたいと熱望して実現にこぎつけたという。会場は、かつて五木ひろしが最初にワンマンショーを開いたという有楽町の元日劇。現在のI'M A SHOW(アイマショウ)である。夢をかなえながら歌手生活60年を過ごしてきた五木の新たな挑戦。五木ひろしが厳選したという昭和のレジェンドたちの名曲とは―――。(構成◎吉田明美)
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僕にしかできないこと
9月4日からついに僕の企画が実現します。わくわくしますね。本当にやりたかったことなので、楽しみです。
有楽町にI'M A SHOWがオープンしたときに「こういう会場なら実現できるんじゃないか」と思って、この時期の10日間をまるっと押さえちゃったんです。もう後には引けないよね(笑)。たぶんこれは、僕にしかできないことだと思う。だからやらなきゃいけない。こうやってきちんと歌い継いでいかなきゃいけない。その一心です。
今回は、まず昭和のレジェンド4人をピックアップしました。とりあげるのは、藤山一郎さん、美空ひばりさん、三橋美智也さん、石原裕次郎さん。すごいラインナップでしょ?(笑) 一見、まったくタイプが違う。でも昭和の歌謡史を語るうえで欠かせない方ばかり。それぞれ2日間ずつ、それぞれのヒット曲と僕のオリジナルを組み合わせて歌いまくります。
この4人は、僕が本当に尊敬している方々。もちろんほかにも尊敬している歌手の先輩はたくさんいるんですが、この方々から学んだことが多くて、歌手として大きな影響を受けているということで選んでみました。みんな国民的歌手ですよね。生半可な気持ちで歌うことはできません。
1人目は藤山一郎さん
初日は藤山一郎さんです。古賀メロディをこれほどきれいにきちんと歌った方はいないと思うんですよね。最初に藤山一郎さんにお会いしたのは、たぶんNHKの紅白だったと思います。まさにNHKの顔でしたよ。昔はNHKに出演できるかどうかについては、オーディションがあって、審査員の前で歌わなきゃいけないんだけど、藤山さんはずっと審査員をなさっていました。だから、藤山さんに認めてもらえなきゃ、出られなかった。幸いにも僕は一度で受かったけれど、なかなか受からない人もいました。それなりに厳しかったですよ。
藤山さんは本当に身軽な方でね。ジェントルマンというイメージがあります。
昔はクラシック出身の歌手が多くて、流行歌を一段下に見ていた。音大に通っていた藤山さんは、学校に内緒でレコーディングしたそうです。
藤山一郎さんがすごいのは、古賀メロディだけじゃなく、服部メロディ、古関メロディなども歌っていることです。普通は専属契約があるから、ありえないでしょ。でも、藤山さんはよほどの歌唱力が作曲家から見てとても魅力的だったんでしょうね。どんどん引き抜かれたんですから…。
いつも楽譜に忠実に正確に歌っています。難しい言葉だとしても、その日本語をしっかり発音しているから、とても聞き取りやすい。僕はこれが基本だと思っています。
美空ひばりさんと三橋美智也さん
2人目は、美空ひばりさんです。ひばりさんはヒット曲が多すぎて、選曲に悩みました。はずせないのはA面デビュー曲の『悲しき口笛』。これはひばりさんが主演を務めた映画の主題歌なのですが、当時、ひばりさんは12歳。やっぱり天才だね。映画はひばりさんの故郷でもある横浜が舞台。ぼくも「よこはま・たそがれ」で世に出たからなんとなくご縁を感じます。
ひばりさんの曲はどれを聴いても大ヒットしたという印象がある。ほとんどの曲は歌詞を見なくてもいまだに歌えるんだから、昭和のヒット曲ってすごいよね。ひばりさんも本当に歌がうまい。小さいころから、大人の歌を歌えたわけだし、英語の発音も素晴らしかった。おそらく耳がよかったんでしょう。
晩年、いろいろあって、病に侵されて苦しんだひばりさんですが、ひばりさんが苦しいときに、僕がちょうど結婚して長男が生まれて幸せに酔いしれていたということを思うと申し訳なかったなという気持ちが今でもあります。そんな気持ちも込めながら、今回も熱唱するつもりです。
3人目、つまり5日目に登場するのが三橋美智也さん。僕が最高にいい声の持ち主だと思っている歌手です。子どものころ、ラジオにかじりついて三橋さんの「哀愁列車」や「古城」などを聴いては歌っていたんですが、まさに僕が歌好きになった、そして将来は歌手になりたいと思った原点です。
三橋さんは日本全国の民謡を歌い継いで、民謡というものの存在を世に広めた功績も大きいですね。こぶしは回すけれど曲を崩すことはない。そんな真面目な歌い方も大好きでした。
映画俳優であり、歌手でもあるレジェンド
そして4人目(7日目、8日目)として取り上げたのは、石原裕次郎さん。映画俳優であり、歌手でもあるレジェンドです。裕次郎さんは存在そのものがもう絵になってる。黒塗りのロールスロイスからサンダルと短パンでおりてきてサマになっている人なんて、めったにいないでしょ。(笑)
子どものころ、福井の映画館で観た裕次郎さんは、ドラムの棒を振ってた。それもかっこよかったなあ。ちょっとシャイだったけど、その表情がまたいいんですよ。ご本人も望んで有名人になったわけじゃないようで、なりゆきでどんどん有名になってしまったことに照れていらしたのかもしれませんね。
裕次郎さんといえば、ヨットとビール。ハワイをこよなく愛していたのも、似合っていた。映画の主題歌として歌ったものが全部ヒットしたのもすごい。
ご本人は俳優より歌手の方が好きだとおっしゃっていたこともあるので、歌手としての裕次郎さんをしっかりと歌い継いでみたいと思います。
歌謡界に確かな足跡を残した方々
そして、9日目、10日目は、霧島昇さん、岡晴夫さん、田端義夫さん、そして東海林太郎さんを取り上げます。日本の歌謡界に確かな足跡を残した素晴らしい歌手の方々なので、この名曲たちも取り上げないわけにはいかない。
霧島昇さんも音楽学校の出身者です。古賀メロディを歌ってますが、藤山一郎さんとはまた違った趣です。そしてなんといっても、戦後のヒット曲第1号『リンゴの唄』を歌った方です。『リンゴの唄』は並木路子さんの曲と思われているかもしれないけれど、もともと霧島昇さんとの「共唱」だったんです。共唱って今はあまり言いませんが、戦時中戦意高揚のための曲をスター歌手総動員でレコーディングしたころの言い方だったようです。
岡晴夫さんは上原げんと先生門下なので、いわば僕の兄弟子です。大ヒット曲といえば、『憧れのハワイ航路』でしょうか? 当時はハワイに船で行ってたんだと思うと、感慨深いですね。時代は変わっても、いまだにハワイは日本の人気の観光地。憧れの気持ちもまだまだ残っているような気がします。
田端義夫さんの「オーッス!」という元気のいい声は一世を風靡しました。昭和14年にデビューしていましたが、「新曲を出し続けることが、現役歌手の証し」という信条で、平成になっても新曲を出し続け、まさに生涯現役で息の長い歌手として活躍なさいました、田端さんといえばギターですよね。独特の演奏スタイルも含めて、記憶に残るレジェンドです。
そして!最後に取り上げさせていただくのは東海林太郎さんです。
この中で唯一1800年代の1898年生れです。まだテレビの時代ではなく、ラジオの時代でした。いまでは股旅と言えば着物姿が主流ですが、当時、東海林太郎さんは名曲『名月赤城山』を、燕尾服を着用して直立不動の姿勢で歌う特徴的な歌唱姿が、記憶に鮮明に残っております。歌手協会の初代会長でもいらっしゃいます。
これらのレジェンドたちのヒット曲に、僕のヒット曲を合わせて、10日間ぶっ通しでやりきるつもりです。
その日その日を最高のステージに
よく、体力を維持するために何をしてるんですか?などと聞かれるのですが、いつも答えは同じ。「ほとんど何もしてません」。(笑)
でもよく考えてみると、暴飲暴食はしないし、四六時中音楽と触れ合っていますね。プロである以上、常に音楽と共に生活をすべきなのではないでしょうか。若いときからその意識は忘れていないので、それがこの60周年の原動力になっているかもしれません。今でも朝早く起きて、クラシックを聴いています。
そしてもちろん歌うことは大好きですが、いろいろな曲を聴いては作曲家の意図を考えたり、どうしてここでマイナーコードを入れているんだろうなどと探ることも大好きで、音楽に関しての興味が尽きないんです。それも原動力になっているような気がします。
9月4日からの10日間、確かに無謀な挑戦かもしれませんが、自信はあります。その日その日を最高のステージにするために、その都度完全燃焼する。これはいつもの僕のポリシーです。出し惜しみせず、その日の舞台をまっとうする。お客さんに喜んでもらうためにはそれしかありません。
9月のコンサートが終わったら、10月末からは約1カ月、大阪新歌舞伎座が控えています。特別ゲストは坂本冬美さん。ここでも完全燃焼できそうです。その前に、みなさん。ぜひアイマショウで会いましょう!
08/30 12:30
婦人公論.jp