岩下志麻「夫・篠田正浩と19歳で出会い、マンボを踊って〈この人だ〉と。結婚を決めたのは〈女優をやめろ〉と言われなかったからかも」

岩下志麻さん

「篠田とマンボを踊っていたら、突然思ったんです。〈あ、私この人と結婚する〉って」(撮影:浅井佳代子)
「女優の結婚=引退」が当たり前だった時代、映画監督の篠田正浩さんと結婚し、仕事を続ける道を選んだ岩下志麻さん。夫と二人三脚で映画界を牽引してきた彼女が、結婚生活を通して得たものとは (構成:篠藤ゆり 撮影:浅井佳代子)

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【写真】花柄のロングドレスで凛とした立ち姿の岩下さん

映画会社から大反対にあって

篠田と結婚して57年――そんなに経つのですね。びっくりしちゃいます。(笑)

篠田と出会ったのは19歳の時。その後、彼が監督した映画『暗殺』への出演が結婚のきっかけになりました。撮影の打ち上げでナイトクラブに行き篠田とマンボを踊っていたら、突然思ったんです。「あ、私この人と結婚する」って。

それで踊りながら「私、監督さんと結婚しそうな気がします」と言ったら、彼はプイッと席に戻ってしまった。

後から聞いた話ですが、篠田は「清純派の女優だと思っていたのに、あんな不良だとは知らなかった」と怒っていたそうです。(笑)

ただ、当時の私は結婚願望ゼロ。束縛されるのが嫌いでね。篠田のことは尊敬していて、撮影中に何度か食事に行ったものの、恋愛感情はありませんでした。ですから、まさに直感としか言いようがないのです。

岩下志麻さんが表紙の『婦人公論』7月号

『婦人公論』7月号の表紙に登場した岩下志麻さん

その後、特に何もなく時間が過ぎましたが、ある日、仕事でヨーロッパを訪れていた篠田から手紙が届いて。向こうで高熱を出したらしく、書き殴ったような字だったのです。いつもは理路整然としているので、その乱れた手紙になぜか心を打たれたのね。

しかも、帰国後に素敵なハンドバッグをお土産にくれたんです。もしかしたら、私の言葉が頭のどこかにこびりついていたのかもしれませんが(笑)。それがきっかけで篠田との交際が始まりました。

結婚を決めたのは、「女優をやめてくれ」と言われなかったからかもしれません。当時、女優は結婚したら引退して家庭に入るのが当たり前でしたが、篠田は「結婚生活を肥やしに、女優としてもっと大きくなってほしい」と言ってくれました。そういう人でなければ、きっと私も結婚を決意しなかったでしょう。

篠田は、初期の作品では自立した女性を多く描いています。そういう部分でもフィーリングが合ったのかもしれません。彼が描く女性を演じるのは、気持ちがいいし楽しかったですよ。

ところが当時、私は忙しい時期で、先々の作品を何本も抱えている状態。松竹の重役さんが毎日うちへ訪ねてきて、「なぜ一人の男の所有物になるのだ」と翻意を迫るのです。株主さんまで説得に来たので、母は驚いていました。

でも、あまりに激しく反対されるものだから、かえって「結婚してみよう」と思っちゃったのね。(笑)

家では「志麻」現場では「岩下さん」

結婚後は、篠田と独立プロダクション「表現社」を設立しました。まさに二人三脚での映画づくり。私は結婚して女優としてダメになったと言われたくないという思いもあったので、一生懸命でした。

篠田は結婚当初から「家事は放棄していい」「家庭は休息の場にしよう」と言っていましたが、世間からは《悪妻》と評され、マスコミにも散散叩かれましたよ。でも、私にとって仕事に没頭できる環境はありがたかったです。

30歳を過ぎ年齢のこともあって子どもが欲しくなった頃、娘を授かりました。独立プロをつくっていたので、私は出産後も仕事をやめるつもりはなくて。夫も同じ気持ちだったのでしょう。出産して10日後には、次の作品の台本を渡されました。

そのため子育ても家事も人の手を借りていたのですが、娘の世話をお願いしていた方から「奥様、もう仕事をやめて、《お母さん》をしてください」と言われた時は、ショックでした。

母親が働きに出て、家を空けることに抵抗を感じる時代だったのです。それで私も仕事を続けていいのだろうかと、ずいぶん悩みました。

でも篠田は、「女優をしている時の君が一番イキイキしている」と励ましてくれた。結果的に、ほかの女優さんも次々に結婚して子どもを産んで。私がいいきっかけになったのかもしれません。

撮影現場での篠田とは、あくまで監督と女優の関係です。家では私を「志麻」と呼び、現場では「岩下さん」。そのあたりは、お互いにきっちりけじめをつけていました。もちろんロケ先でのホテルの部屋も別々です。

私はほかの監督の作品にも出演していましたし、夫もロケで家を空けることが多く、長い間顔を合わさないこともありました。そのかわり、毎日電話で話していましたね。

それから、娘の春休み、夏休み、冬休みには必ず時間をつくって家族で旅行へ行っていました。7年前に金婚式を迎えた時にも、娘家族と一緒に、私たちが結婚式を挙げた京都を旅行したんですよ。

一緒につくった映画を観ながら

篠田は72歳で監督業を引退し、その後は執筆や大学で教える仕事が主になりました。自分が現場を離れ書斎での仕事が増えても、私のことは変わらず応援してくれます。「また仕事か」みたいな空気を出されたら、出かけづらいですよね。でも、そういう感じは一切ありません。

若い頃には夫婦喧嘩もしましたよ。篠田は教えるのが好きで、ゴルフでも麻雀でも、後ろで《監督》するんです。あんまりうるさいので、ゴルフ場でクラブを投げ捨てて帰ってしまったこともあります。(笑)

篠田はせっかちで、私は「駆けずのお志麻」とあだ名がつくほどのんびりしているので、イライラするんでしょうね。一緒に外出する際も、篠田に「出かけるよ」と声をかけられてから20分くらい待たせてしまうので、篠田に「遅いなあ」と小言を言われて喧嘩が始まるんです。

その篠田も93歳になり、年齢とともにいろんなことがゆっくりになりました。今は私とテンポが同じくらいで、ちょうどいいの(笑)。それぞれが家の中で好きなことをして過ごしています。私自身、今は「岩下志麻」ではなく「篠田志麻」としての時間が増えてきましたね。

最近は、昔一緒につくった映画を観ながら、「若かったからやれたんだね」などとよく語り合っています。作品は二人の大切な財産。女優をやめていたら、この財産は残らなかった。

篠田は金婚式の時、「映画という魔物を追いかけて過ごしてきた夫婦生活だった」と言いましたが、まさにその通りです。私たちは同志であり戦友であり、二人同じ方向を見て生きてきた。それが、私たち夫婦にとっての《結婚》だったと思います。

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