『光る君へ』のまひろも同じ運命に?「紫式部は地獄に堕ちた」という驚きの伝説を追って。式部を救ったのはミステリアスな“閻魔庁の役人”。なぜか今も隣り合わせに眠る2人の縁とは

蓮の花の池

仏教とつながりの深い蓮の花。ちょうど今が見頃(撮影・筆者、以下同)
NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台である平安時代の京都。そのゆかりの地をめぐるガイド本、『THE TALE OF GENJI AND KYOTO  日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(SUMIKO KAJIYAMA著、プレジデント社)の著者が、本には書ききれなかったエピソードや知られざる京都の魅力、『源氏物語』にまつわるあれこれを綴ります。

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【写真】百人一首にもある、小野篁が詠んだ「わたの原……」の和歌が刻まれた歌碑

前回「『光る君へ』にも登場する?道長ら平安貴族の嵐山での舟遊び。「三舟の才」と称えられた公任が歌に詠んだ名古曽の滝はどこに」はこちら

「源氏供養」とは何か

「嘘の物語を書いて人心を惑わせたため、紫式部は地獄に堕ちた」。そんな説話があることをご存じですか。

あまりに意外すぎて、最初に聞いたときは耳を疑いました。現代では「世界の偉人」と称えられ、平安時代においても才女の誉れ高かった紫式部が「地獄に堕ちた」とは、いったいどういうことなのでしょう。

地獄行きの理由は、ほかでもない『源氏物語』を書いたから。

当時の仏教の価値観では、物語は「狂言綺語(きょうげんきご)」。虚構に満ち、むやみに飾り立てた言葉のことで、「狂言綺語」をもてあそぶ文学は、妄語戒(真実でないことを言って、人をあざむいてはならないという戒め)を破り、仏の教えに背くことだと考えられていたのです。

「妄語」の罪をおかした紫式部は地獄に堕ち、死してなお苦悶の日々を送っている――そんな罪深き紫式部を供養しようと、「源氏供養」なる法会も行われていたとか。そこに着想を得て『源氏供養』という能楽も生まれたほど。物語を読んだ者も同罪とみなされたため、この供養は『源氏物語』の読者を救済する意味もあったそうです。

色恋の話を書きすぎたために地獄に堕ちた。そんな解釈もあるようですが、いずれにせよ、『源氏物語』を読んだだけで仏の教えに背くと考えられた時代もあったわけです。

『源氏物語』ににじむ紫式部の出家願望

このような「式部堕地獄説話」が登場するのは平安末期以降のこと。ですが、生前の紫式部も、人知れず、深い悩みを抱えていたのかもしれません……。なぜなら、『源氏物語』終盤の「宇治十帖」では、登場人物たちの仏教への傾倒がはっきりと描かれているからです。

作中ににじみ出る仏教へのあこがれは、「紫式部その人の心情と、解釈していいのではないだろうか」と、瀬戸内寂聴さんは述べています(『源氏物語の京都案内』「宇治十帖 浮舟の悲劇を追って」文藝春秋編、文春文庫)

つまり、『源氏物語』を執筆しているあいだに仏教への関心が高まり、いちばん最後に書いた「宇治十帖」では、仏教色が濃厚になったということ。

さらに、浮舟が出家するシーンでは、剃髪後の複雑な心理が細密に描写されており、他の登場人物の出家とはリアリティが違うと、寂聴さんは指摘します。こうした点から、作者自身の出家願望がうかがえるのはもちろん、実は「宇治十帖」は紫式部が出家して得度したのちに書かれたのではないか、との推察もできるというのです。

7月半ば現在、『光る君へ』のまひろ(吉高由里子)は、まだ『源氏物語』を書き始めていませんが、後半のストーリーでは、彰子サロンでの日々や『源氏物語』の執筆が中心となるはず。

苦悩や葛藤も含めて、まひろはどのように『源氏物語』と向き合っていくのか。そのあたりの心の動きにも注目したいところです。

『源氏物語』は政治小説でもある

一般的には平安京の宮廷ロマンス小説として知られる『源氏物語』ですが、「それはこの作品の一面にすぎません」と「宇治市源氏物語ミュージアム」の家塚智子館長は語ります。

ミュージアムを訪れる人のなかには、光源氏のことを「職業不詳の、ただの大金持ちのぼんぼん」だと思い込んでいる人もいるとか。

「光源氏は政治家だと説明すると驚かれる方が多いですね。それに、現代では恋愛遍歴の部分が強調されますが、『源氏物語』は単なる恋愛小説ではなく、政治小説でもある。物語としておもしろいだけではなく、政治的な駆け引きがリアルに描かれているため、一種の帝王学としても読めるのです。天皇も大臣もみんな悩んでいたのだなあ、と感じると思いますよ」

ここまで『光る君へ』を観てきたみなさんには、しっくりくる説明ではないでしょうか。

桔梗が咲く廬山寺の源氏庭

紫式部が『源氏物語』を執筆した邸宅址と伝わる廬山寺の「源氏庭」。紫式部をイメージした桔梗が咲く

要するに、政務や権力争いに腐心する道長(柄本佑)の姿を、光源氏に置き換えればいいということ。ただし、光源氏は『光る君へ』の道長よりも、はるかに恋愛に熱心だったようですが……。

光源氏は、40歳を前に准太上天皇という上皇に准ずる地位にまで昇りつめ、栄華を極めます。ただし、『源氏物語』は、執筆当初から壮大な政治ドラマとして構想されていたわけではないようです。

「紫式部が彰子に仕えるようになり、上流貴族の世界や政治の駆け引きを間近で見聞きしたことで、リアリティのある政治ドラマを描けるようになったのではないかと推測されています。いわば、少女小説として書き始めたものが、社会問題に斬り込む長編小説のような重厚な作品になっていったのです」(家塚館長)

『光る君へ』のまひろも、彰子や道長のそばで目撃した天皇や公卿たちの政のリアルを、物語のディテールに落とし込んでいくのでしょう。

この長編作品がいつ完成したのか、定かではありません。もっと言えば、現代に伝わる『源氏物語』が、1000年前に紫式部が書いたものと同じであるとは言い切れない(紫式部が生きていた時代の流布本が現代まで残っている例はなく、執筆当時の物語の実態は不明なのです)。一部が消失したとの疑念や、繰り返し書き写され、編集されるうちに、オリジナルの文章とは違ったものになってしまった可能性も指摘されています。

また、下書きを道長がこっそり持ち去った“事件”(本連載の第2回参照)の際に本人が危惧したように、一部の草稿が完成稿として世間に出回っていることもありうる。

それでも、紫式部が構想した物語が1000年にわたって読み継がれ、それぞれの時代の人々に愛されてきたことは、紛れもない事実なのです。

紫式部を地獄から救ったのは……

ところで、冒頭でも紹介したように、罪深い『源氏物語』を書いた咎で「地獄に堕ちた」といわれる紫式部は、その後、どうなったのでしょう。

その謎を解く鍵が、本連載の第2回でも紹介した紫式部の墓所にあります。

紫式部の墓の隣には、平安時代初期の公卿、小野篁(たかむら)の墓が並んでいます。同じ平安時代とはいえ、2人が生きた時代には200年ほどの隔たりがあります。いったいどういう縁で、2人の墓は並んでいるのか……。

紫式部と小野篁の墓所の入口

紫式部と小野篁の墓所の入口

有力な説を紹介しましょう。小野篁には、“冥界の裁判官”という夜の顔がありました。閻魔大王の補佐として、地獄行きかどうかの判決の助言をしていたというのです。

地獄に堕ちてしまった紫式部を助けるべく、篁は閻魔大王にかけあいます。そして、彼女を地獄から救い出したあと、自分の墓の隣に埋葬したのではないか。そう伝えられているのです。

ほかにも、地獄に堕ちた紫式部を哀れんだ人たちが、篁に彼女を助け出してほしいと願って、彼の墓を紫式部の墓の横に移したという説や、閻魔大王に地獄に落とされそうになっているところを、篁がとりなした(つまり、紫式部は地獄行きを免れた)という説など、さまざまなバージョンがあるようです。

もちろん、どれも伝説にすぎず、真相は謎に包まれています。確かなことは、紫式部と小野篁の墓所が隣り合っているという事実だけ。

とりあえず、紫式部は今も地獄で苦しんでいるわけではないようです。『光る君へ』ファンとしては、ひと安心といったところでしょうか。

六道珍皇寺にある「冥土通いの井戸」

このような伝説から、ファンタジーの世界の住人のように思える小野篁ですが、れっきとした実在の人物。嵯峨天皇に仕えた公卿(参議)で、飛鳥時代に遣隋使として活躍した小野妹子の子孫にあたるとか。6尺2寸(約186センチ)という当時としてはかなりの長身で、反骨精神にあふれる熱血漢だったそうです。

天皇の怒りをかって隠岐に流されたこともあるものの、早々に流罪を解かれて帰京。文武に優れ、漢詩や和歌、書の達人として知られていました。

わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出でぬと 
人には告げよ あまの釣舟

隠岐に旅立つときの悲しみを詠んだこの歌が、百人一首にも採録されています。

「わたの原……」の和歌が刻まれた歌碑

百人一首にも採録、小野篁が詠んだ「わたの原……」の和歌が刻まれた歌碑

昼は朝廷の、夜は閻魔庁の役人として、あの世とこの世を行き来して働いていた――奇怪な「小野篁・冥官伝説」が生まれた経緯はよくわからないものの、平安末期にすでに伝説となり、室町時代にはほぼ定着していたとか。

また、毎夜の冥府との行き来には、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)にある井戸を使っていたそうです。

六道珍皇寺のあるあたりは、古来より、六種の冥界「六道」の分岐点、つまり「この世とあの世の境の辻(六道の辻)」だと考えられてきました。今も六道珍皇寺の本堂裏には、篁が冥土通いに使ったとされる井戸があり、伝説に信憑性を与えているのです。

観光客が押し寄せる八坂神社や清水寺からもそう遠くない場所ですが、この門前を通ると、身震いするような何かを感じるという人もいるほど。小野篁や「冥界の入口」に興味がある方は、一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

この世とあの世の境と言われていた六道の辻

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