加山雄三「脳梗塞と小脳出血でコンサート活動の引退を決意。ラストショーのエンディングでは、本心である『幸せだなあ』の文字を映して」

(写真提供◎photoAC)
2024年で87歳の加山雄三さん。俳優・歌手として活躍し、70代以降は愛船の火災や病に見舞われながらも、ニックネーム「若大将」そのままに人生を駆け抜けています。著書『俺は100歳まで生きると決めた』から一部を抜粋し、加山さんが語る幸福論をご紹介。今回は、コンサート活動の引退について。“歌えるうちにやめる”と、加山さんはラストショーに臨んで――

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【書影】永遠の若大将が語る幸福論!『俺は100歳まで生きると決めた』

最後までいつも通り歌う

脳梗塞と小脳の出血を経験したこともあって、85歳の誕生日を過ぎて少し経った2022年6月、俺はその年いっぱいでコンサート活動から引退することを発表した。

「歌えなくなってやめるのではなく、まだ歌えるうちにやめたい。最後までいつも通り歌う。それが一番なんだ」

俺は正直な気持ちを発表した。

あのとき、テレビ朝日の『徹子の部屋』にも出演して、黒柳徹子さんに話している。

「入口があれば出口があるということで、始まったら終わりがある、そのけじめっていうのは大事だなと思って、もうこの辺でやめた方がいいなと思って、自分で決断したんです」

今ふり返ると、率直な気持ちを黒柳さんに話しているよな。

そりゃあ、やめたくない気持ちはある。でもね、引き際は大切だからさ。お客さんの前で歌うっていうのは終わりにした。

タイトルに“ラストショー”

8月に日本テレビの『24時間テレビ愛は地球を救う』で谷村新司君たちと「サライ」を歌い、9月に東京国際フォーラムホールAで「加山雄三ラストショー永遠の若大将」を開催し、10月に「朝霞JAM」に出演し、12月にクルーズ船「飛鳥Ⅱ」で船上ライヴを行い、大晦日の『NHK紅白歌合戦』でステージで歌う歌手としての加山雄三は幕を引いた。

「加山雄三ラストショー永遠の若大将」、この「ラストショー」ってタイトル、いいだろ? えっ? と思うだろ。この“?”が大切なんだ。心に残るからね。

俺のほうも、ラストを強く意識する。よし! と思う。すると、集中力が発揮される。

受け取る側の心にも、発信する側の心にも、緊張感のようなものが生まれるんだよな。そこに相乗効果もある。

俺の初めてのワンマンショーのタイトルは「加山雄三ショー」だったんだよ。だから、最後は「ラストショー」。始めがあれば、終わりもある。

どこで終わったらいいのか──。フェイドアウトって、つまり徐々に終わらせていくっていうのは、自分でやるのはあんがい難しいだろ。だから、すぱっとけじめをつけたかったんだよな。

本心をショーのエンディングで

歌手にはさ、歌手だからこその責任があると思うんだよ。自分ではまだまだやれると思っても、実際はやれていないかもしれない。評価するのはお客さんだからさ。それを考えて、歌に関してはそろそろ最後にしようかなと考えたんだな。それで、ラストのステージを自分で決めたんだ。

ラストショーは、自分の代表曲を歌えるだけ歌うと決めた。お客さんが聴きたいと思ってくれる曲は全部やりたかった。だから「君といつまでも」も「お嫁においで」「夜空の星」も「海その愛」も、みんな歌ったよ。

ショーのエンディングは、緞帳に大きな文字で俺の本心を映し出した。

幸せだなあ

        加山雄三

あの言葉のもとになった「君といつまでも」のレコーディングのことは話したよな。

オケがものすごくいい音で、俺はうれしくて「幸せだなあー」って言った。ラストショーのファイナルの「幸せだなあ」も、もちろん本心。だから俺の気持ち、伝わっただろ?

何か別の力で歌わせてもらっている

ラストショーは、前日のゲネプロ(本番の間近に、本番と同じメンバー、演出、音響、照明、舞台で行うリハーサル)ではあまり声が出なかったんだ。当日の開演前のリハーサルも実はあまりよくなかった。

ところが不思議なもので、本番は声がしっかり出たんだよな。なんでなのかな。本番で、俺は自分が歌っている気はしなかったんだ。なにか別の力で歌わせてもらっている感覚だったな。

「俺、声は出てるか?」

1部と2部の間の休憩時間にマネージャーに聞いた。

「ばっちり出ています。現役そのものじゃないですか!」

やっぱりな。思った通りの答えだった。

「でも、2部はわかんないぞ」

マネージャーには言ったよ。自分ではないなにかの力で歌っていると感じていたからね。

※本稿は、『俺は100歳まで生きると決めた』(新潮社)の一部を再編集したものです。

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