キートン山田『ちびまる子ちゃん』で乗り越えてきた<別れ>。さくらももこさんのお別れの会ではTARAKOさんと二人でナレーションを担当も、悲しさと寂しさで胸がつぶれそうだった

『ローカル路線バス乗り継ぎ旅』ナレーション収録のスタジオでのキートン山田さん(写真提供:著者)

「ちびまる子ちゃん」のまる子役で知られる声優のTARAKO(たらこ)さんが3月4日未明に亡くなったことが9日、分かりました。63歳。ご冥福をお祈りするとともに、「後半へ続く」に代表される同作のナレーションを務めるキートン山田さんが、TARAKOさんをはじめとした「ちびまる子ちゃん」にまつわる方々との思い出に触れた記事を再配信いたします。
 

【写真】34歳の頃。まだ本名の山田俊司として活動していましたが、気分はすでに「キートン山田」でした

********キートン山田さんは「ちびまる子ちゃん」に44歳のときに携わるようになって、75歳で引退するまでの31年間、大変なことも悲しいことも出演者・スタッフと一緒に乗り越えてきたそう。それでも原作者・さくらももこさんとの別れには衝撃を受けたそうで――。

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『ちびまる子ちゃん』出演者はみんなすごい

毎週金曜日、同じ顔ぶれで15時から17時くらいまで収録して、それを約4週間後の日曜日に放映して、トータルで31年。

最初のうちは、忘年会で「来年も続きます」って言われると、みんなで「うわぁ〜!」って喜んだりしてた。それぐらいめずらしいことなの、番組が2年も3年も続くって。

途中、声優の水谷優子さん(お姉ちゃん役)、富山敬さん(初代・友蔵役)、青野武さん(二代目・友蔵役)、そして原作者のさくらももこさんが亡くなるという悲しい出来事も、出演者・スタッフみんなで乗り越えてきた。

『ちびまる子ちゃん』の出演者はみんな、本当にすごいなって思う。キャラクターもハッキリしているし、声優一人ひとりが自分の役を作り上げて、大事にしている。

その個性がぶつかり合うから、現場はすごく刺激があって楽しかった。ナレーターの僕はむしろ、声優たちが醸(かも)し出す世界観に乗っかって、あとからついていこうっていう気持ちで毎回収録に臨んでいたんだ。

大切にしてきた「その場の空気」と「体調管理」

座長は、まる子役の声優TARAKOさん。僕は「座長」って言い続けてきたんだけど、彼女は、よく周囲に気を遣う人でね、「そんなに気を遣わなくていいよ」って言うぐらい気配りする人。僕はやっぱり年長者だから、彼女を立てて現場の雰囲気づくりに徹しようと思ってやっていた。

僕が大事にしてきたのは、まず「おはようございます」って元気に挨拶をして入っていって、みんなに声掛けして、冗談の一つも言いながら、その場の空気を温めること。人の気持ちなんか一瞬にして変わっちゃうから、まずは「楽しくやろう!」って決めてスタジオへ入るように心がけてきたんだ。

あと大切なのは体調管理。一番気になるのは、みんなの健康面だったなぁ。

声優として、声が出なかったり、体調の悪かったりするときにしゃべるのは本当につらい。お互いに「風邪ひいてるな」とか「体調悪いな」っていうときは、口に出さなくてもすぐわかるから、心の中で「負けるな、負けるな」ってエールを送っていた。同業者なら言わなくても頑張っていることはわかるからね。

僕自身、もともと声帯が弱くて、若いときは声も細かったし、〝鍛えられてない〞ってすぐわかるような声で、使いすぎるとダメになっちゃう。だから、そこにコンプレックスも感じていたんだ。忙しいときは一日に何本も収録したりして、声を気遣う余裕すらないような時期もあったから、実は、いまが一番、声の調子はいい。

こうして僕が44歳のときに始まった『ちびまる子ちゃん』を、75歳で引退するまで一年一年、努力しながら、健康で楽しく続けてこられたことは、生涯のかけがえのない財産だと思っている。

さくらももこさんに向かって「まる子のまんまだね」って

僕が原作者のさくらももこさんと初めてお会いしたのは、番組が始まってすぐのころ。居酒屋を貸し切りにしてささやかなお祝いの食事会をしたんだけど、そのときはさくらももこさんも25歳くらいだった。

目立たない、むしろ大人しい感じなんだけど、笑顔とかしゃべり方がまる子そのまんまで、思わず僕は、「まる子のまんまだね」って言ったのよ、あの大先生に向かって……。

でも、ニコニコしておられて、本当に気さくな人だった。

「この人のどこに、あのおもしろさが潜(ひそ)んでるんだろう」って、みんな思ってたんじゃないかな。あまり人前に出ない人だったし、イベントなんかにもなかなか顔を出さなかったけど、心の中にいっぱいおもしろいものが詰まっている天才で、無駄にそれを表に出さない人だったんだね。

その後、さくらももこさんが結婚して男の子が生まれてね。まだ1歳になっていないころ、赤ちゃんを連れてスタジオにやってきたことがあって、その子を僕が抱っこしたんだ。

息子さんは現在、さくらプロダクションを継いで社長さんをしているんだけど、僕のラスト収録〈2021(令和3)年2月26日〉のときにスタジオに来てくれて、四半世紀ぶりに再会したの。

「ああ、赤ちゃんのとき、僕が抱っこしたんだよ」って。それは覚えていなかったようだけど。本当にうれしい再会だった。

「ももこさんはまだ、ここにいるよ」って

『ちびまる子ちゃん』の放映が続いていく中で、何より衝撃的だった出来事は、さくらももこさんが亡くなったことだった〈2018(平成30)年8月15日/享年53〉。

『第三の人生は、後編へ続く!』(著:キートン山田/潮出版社)

闘病されていたことはだれも知らなくて、ある日、収録が始まる前に、「実は……」って聞かされて、みんな言葉を失ってしまった。

突然の別れに僕自身、どう自分の感情をコントロールしていいのか、少しの間、心の整理がつかず混乱してしまった。でも、本当に潔(いさぎよ)い逝き方だったと思う。

僕たちもさくらももこさんの強さや優しさ、気遣いを感じて、その日は「とにかく頑張ろう」「ももこさんはまだ、ここにいるよ」っていう気持ちで収録に臨んだことをいまでも鮮明に覚えている。

「ありがとうの会」のDVDは僕の宝物

そして3カ月後に「ありがとうの会」というお別れ会を開催した〈2018年11月16日/青山葬儀所〉。

当日、さくらももこさんの生い立ちや作品を紹介する映像を流すことになり、TARAKOさんと僕でそのナレーションを担当したんだけど、悲しさと寂しさで胸がつぶれそうだった。いやぁ、本当につらかった。

僕の『ちびまる子ちゃん』ラスト収録が終わった日に、そのときのDVDをもらったんだけど、まだ聴けないね。このまま永遠に僕の宝物として、大事にしまっておくのかもしれない。

※本稿は、『第三の人生は、後半へ続く!』(潮出版社)の一部を再編集したものです。

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