井上順、激動の半生「グッモー! ツイッターが大人気。加賀まりこさん、芳村真理さん…すべての出会いに感謝」

「ツイッターなら《グッモー》ってはじめて、渋谷の写真と一緒につぶやくだけでいいでしょう?」
いつも人々を楽しませてくれる生粋のエンターテイナー、井上順さん。2020年から始めた、ダジャレや遊び心いっぱいのツイッターも人気を博し、現在フォロワー4.6万人(9月14日現在)。放送中のNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』でも、飄々とした社長役が話題だ。後編は、井上さんが芸能界に入ったきっかけ、大きな影響を受けた人たちとの出会いについて語る。(構成=丸山あかね 撮影=本社写真部)

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【写真】ダンディな井上順さん。74歳、ジーンズの着こなしも素敵!

〈前編よりつづく

「すみません! 撮ってもらえませんか?」

紆余曲折があって、故郷・渋谷の名誉区民の称号を頂戴したものの、最初は何をしたらいいのかわからなかった。でも僕らの世代って、何かをしていただいたら、きちんとお返しをなくちゃいけないというのが植えつけられているから、いろいろ考えましたよ。僕は渋谷のどこが好きなんだろう?って。

それで再確認したんですけど、渋谷って昔からカルチャーの街なんですよね。パルコ、東急ハンズ、ロフト、渋谷109に出入りする若者たちが独特な文化を作ってきた。演劇でいえば、Bunkamuraシアターコクーン や東急シアターオーブ。映画館もミニシアターまで入れたらすごく充実しているし、コンサートホールやライブハウスも100店舗を超えます。今はコロナで外国人観光客はめっきり減りましたが、日本で一番行ってみたいのは渋谷だという人も多いみたい。

じゃ、僕の目線で進化し続ける渋谷を紹介しようと、2020年の4月15日からツイッターをはじめたんです。最初はYouTubeにしようと思ったんだけれど、あれは手伝ってくれる人がいないと無理なのよ。僕は自撮りもしたことがなかったし、編集なんてとてもできないから。

でもツイッターなら「グッモー」ってはじめて、渋谷の写真と一緒につぶやくだけでいいでしょう? 動画もアップできるしね。写真は、街中で歩いている人に「すみません! 撮ってもらえませんか?」って声をかけて、「お願いします!」って撮ってもらってるの。みんな親切でねぇ、断られたことはありません。

ツイッターが脳のトレーニングに?

SNSってすごいんですよ。たちまちフォロワー数が増えちゃって4.6万人(9月14日現在)。コロナ禍のなか、自粛生活を強いられていたことと無関係ではないと思いますけれどね。疲れた人も開いたらプッと吹き出すようなツイートをこころがけています。もちろんダジャレなどもいれてね。

ツイッターは毎日更新していて、かれこれ1年半。みなさんの返信を読むのが楽しくてね。長い芸能生活で、ファンの方から直接反応が届く、なんてことは経験したことがなかったので超刺激的。ツイッターを通して「仲間」ができたことが僕にとって大きなプレゼントです。

毎日更新するのは大変かと思いきや、ネタってけっこうあるものだなと思って。今日は何にしようかな? と思いながら家の中をぐるぐる回っていると、いろいろ見つかるんですよ。写真とか、映画や舞台のパンフレットとか。すると面白いことを閃いたりして。

「忘れていたことを思い出す」という作業が脳の活性化につながったのか、最近、いろんなことを鮮明に思い出すようになりました。ツイッターを発信することが脳のトレーニングにつながるとはねぇ。もしかして大発見じゃない?

昔なら断ったけど

そんな中、僕のツイッターのファンだという出版社の方から、エッセイ本を作りませんか? と連絡がありました。昔だったら、「プライベートなことはちょっとね」とお断りしていたと思う。でもこの年齢だから気取ることも、隠すこともない。もちろん人様に迷惑が及ぶような発言は控えなくちゃいけないけど。

「怖いものがない」なんて言うと、ふてぶてしく聞こえてしまうかもしれないけれど、世間体を気にせずに生きるって、とっても勇気のいることなんですよ。そこをグッと乗り越えてすごく自由になることができた。今はもうほとんど気にしていません。自然体です。

年を重ねて失うものもたくさんあるけど、得るものも同じくらいたくさんあって。その最たるものが自由だという気がします。

加賀まりこさんと恋人同士にならなかったから

エッセイ本『グッモー』を作ることにして、じっくりと自分の人生を遡ってみました。そうしたら本当にいろいろな人の顔が思い浮かんできました。

芸能界に入ったきっかけは、母親に連れられて秋本まさみさんの家へ遊びに行ったこと。秋本さんは「野獣会」という、今でいうファミリー的なエンターテインメントグループのリーダーをしておられた。

一室に若い人が集まって、当時流行していた洋楽を演奏していてね。秋本さんから「いつでもおいで」と言われたから、学校が終わったら真っ先に顔を出していましたよ。

野獣会で出会ったのは、僕を弟のようにかわいがってくださった峰岸徹さん。15、16歳のころだったな、峰岸さんに連れて行ってもらった六本木のレストランで加賀まりこさんに会った。二度見、三度見、四度見はしましたよ。「あのフランス人形みたいな女の子は誰?」って。衝撃的だったなあ。

共通の知り合いのカメラマン・立木義浩さんがいたから、そのお家でよく一緒に食事をしていました。加賀さんのほうが4つ年上だったから、「ねえさん、ねえさん」と慕って、追いかけていましたね。本当にお世話になりました。

先日、加賀さんと会った時に「あんたとも長いわね。60年くらいのつきあいじゃない?」と言われました。「別れがないのは、恋人同士にならなかったからでしょう?」と返したら「それは言えてるわね」だって。(笑)

「74年生きてきた中で出会ったすべての人たちが、僕を育ててくれました。みんなに《サンキュー》だよね。」

出会ったすべての人たちが、僕を育ててくれた

野獣会で洋楽に触れたことからエンターテインメントの世界へグイグイと惹かれていった僕は、田辺昭知さん、堺正章さん、かまやつひろしさんらで結成した「ザ・スパイダース」に所属し、メンバーとGS時代を駆け抜けます。スパイダースは7年間の活動期間を経て71年に解散。

その後、ソロ活動をはじめた僕は、ドラマ『ありがとう』に出演することになりました。プロデューサーの石井ふく子さんのお母様が、雑誌を見ていて「あんたに似たたれ目の子が出てるわよ」と指差したのが僕だったというのが大抜擢の理由らしい。なんてありがたいご縁なのだろうと思ったのを覚えています。

この世界なんて一匹狼の集まりみたいなものでしょう。でも、石井さんの手腕なんでしょうね、『ありがとう』の現場はとても居心地がよかった。もう一つの家族が増えたような気がしたんです。現場に毎日行きたくて仕方なかった。

当時、よく赤坂の石井さんのご両親の家に遊びに行きました。森光子さん、大原麗子さんと集って、おいしいご飯をご馳走になったり、楽しい話に花を咲かせたり。亡くなってしまった人もいるけれど、思い出は色褪せない。

黒柳徹子さんとの歌番組『火曜歌謡ビッグマッチ』を経て、『夜のヒットスタジオ』の司会をはじめたのは29歳の時。芳村真理さんとの掛け合いを、毎週楽しませてもらいました。黒柳さんや芳村さんのような時代の寵児と一緒に仕事ができたことは、僕の財産だなあ。

74年生きてきた中で出会ったすべての人たちが、僕を育ててくれました。みんなに「サンキュー」だよね。過去に出会った人たちだけじゃない。生きていること、元気なこと、仕事があること、仲間がいること……。何もかも当たり前じゃない。

いつどうなるかわからないからこそ、周りにできるかぎり感謝を伝えながら生きていきたい。そして生まれ変わっても、もう一度井上順という人生を歩みたいね。

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