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神田伯山「大師匠・神田山陽は『講談界の革命家』だった!」

神田山陽(二代目)。「上野・本牧亭。今日も力いっぱい張り扇を叩くこの私。道楽、放蕩三昧に明け暮れて、はや50有余年。親から授かった巨額の資産を湯水のごとく浪費し、挙句は素寒貧という千変万化。フト、気がつけば明治生まれの講談師は、私がたったひとりと相成りました」(『桂馬の高跳び』より)
講談師・二代目神田山陽(1909~2000)は、書籍取次業を営む裕福な家に生まれ、ダンスや将棋はプロ級の腕前を誇り、芸者遊びも派手に繰り広げる「若だんな」であった。そんな彼が、実家の豊富な資金で傾いていた講釈場「聞楽亭」を立て直したのを機に、自らも講釈師として高座に上がることに。そして講談界再興のため、さまざま反発を受けながらも改革を進めていく──。講談を愛し、講談に尽くした「革命家」二代目神田山陽の痛快な一代記が出版されたのは1986年のこと。それがこのたび文庫版で復刊した。復刊にあたり、当代きっての人気講談師・六代目神田伯山が〝大師匠〟への思いを綴った。

※『桂馬の高跳び 坊ちゃん講釈師一代記』(著:神田山陽(二代目)中公文庫)の「解説」より引用しています

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【写真】裕福な家の御曹司が講談界の「革命家」に

面識はないけれど「直接触れている」

二代目神田山陽からみると、私は間に合わなかった孫弟子世代です。残念ながら大師匠との面識はありません。芸を生で聴いたことはないし、高座で醸し出す空気も、楽屋の様子も知りません。それでも不思議なことに「私は大師匠に直接触れている」という気がしています。もちろん、テープや映像では二代目に触れていますが、それとは違う、「生の感覚」があります。

考えてみれば、その理由は簡単でした。私はこれまで、二代目山陽の数十名の弟子を通して、大師匠の芸に触れてきたのです。日本講談協会は、二代目山陽が作り出した「分身」と言っても過言ではない組織です。ネタ帳にある読み物にも、そこかしこの見渡す限りの講談師にも、まわりのすべてに山陽の存在を感じます。

では、その二代目の功績とは何か?

まず、多くの弟子を育てたことでしょう。講談師の価値は、芸の上で一流の演者であること、そして、どれだけ優秀な弟子を育てられるかに尽きると思います。

後進の育て方はもちろん様々で、若手に稽古をつける、楽屋で昔話をする、そんな方法もありますが、とにかく師匠・先輩・お客様、上からうけた恩は下の世代に返さねばなりません。現在、東京の講談師の三分の一以上が大師匠の系統の弟子であると考えれば、その功績は計り知れないでしょう。

六代目神田伯山「令和の時代にも二代目山陽は生きています」(撮影:栗原 論)

「自分だけで終わればいい」とは傲慢な考えだ

五十年以上前の、ある講談師の映像が残っていました。テレビのインタビューです。「今の講談師のなかには、お客に媚(こ)びた読み方をする者がいる。ああいうものがいいとは思わない。昔の講釈、本格の講釈。それが後世に伝わるべきだ。しかしそういうものは流行らない。だから弟子はとらない。私の代で終わりでいい」

こんな内容でした。尊敬すべき名人ではありますが、もう亡くなっているその方に、ありとあらゆる怒りを覚えました。「自分だけで終わればいい」という傲慢な考えを、上の人に恩をうけながら、よくできるものだと。

『桂馬の高跳び』に書かれているとおり、素人時代から聞楽亭(ぶんらくてい)の再建に尽力し、プロの講談師として活躍した二代目に、そんな考えはありません。

日本講談協会のみに絞っても、現・総領弟子の師匠神田松鯉(しょうり)を筆頭に、愛山(あいざん)、陽子、紫、紅(くれない)、茜、昌味(まさみ)。そして、松鯉一門の孫弟子や預かり弟子である三代目山陽、鯉風(りふう)、山吹(やまぶき)、阿久鯉(あぐり)、鯉栄(りえい)、伯山。さらには陽子一門、預かり弟子の京子、紅一門の蘭、その他にも複数の二ツ目と前座がいます。そのうえ、講談協会の神田派の先生や孫弟子を足すと、さらに信じられない人数を育てたことになります。

もし大師匠がいなければ、これらの講談師は存在していない。そんな令和の講談界など、考えるのも恐ろしいと思います。

愛された「寄席の講談師」

そして二代目山陽には、演者として魅力がありました。そうでなければ、弟子は来ません。末弟の京子先生が二代目山陽に入門したのは、大師匠が八十九歳の時でした。大師匠は最後まで、若い人を惹きつける魅力を放ち続けていたのでしょう。

『桂馬の高跳び 坊ちゃん講釈師一代記』(神田山陽(二代目) 著 中公文庫)

師匠の松鯉に、どうして二代目に弟子入りをしたのか、訊いたことがあります。すると、「面白くて、わかりやすかったから」という、意外な答えがかえってきました。堅い時代物を難なくこなすうちの師匠でさえ、「面白くて分かりやすいもの」が胸をうったということは、大きな意味を持つと思います。その点、二代目ほど「寄席の講談師」として愛された人はいないでしょう。同時期に寄席で活躍した先生方にもそれぞれ魅力があったはずですが、二代目は観客に合わせて意識的に芸をチューニングし、最もそれに成功していた。落語のお客様に「講談もいいね」と思わせたことは大きな功績です。

一方で、私などが言うにおよばずながら、講談は奥深いものです。「面白くて分かりやすい」だけの講談師には、それほど魅力を感じません。そういう人しかいない講談界も同様です。その点、大師匠が偉大なのは「面白くて分かりやすい」だけではないことでした。寄席に出たときは落語のお客様に講談の魅力を伝え、講釈場ではきっちりと連続物を手掛ける。

そして、あらゆるネタに手を入れ、実に面白い読み物に仕上げました。時代物は格調がありながら、どこかくだけたところもある。それが絶妙なバランスなのです。軽いところのうまさは絶品で、それは多くの弟子の先生方が口を揃えて言うところです。大師匠の編集・構成能力によって、間違いなく講談の台本はアップグレードされたと言えるでしょう。

講談師を志す女性の背中を押した

さらに大師匠は、講談師の多様性を多くの人に説きました。圧倒的な男性社会であった講談界で、多くの女性の弟子を積極的に取った。その後、女流講談師が躍進したことは、間違いなく大師匠の功績でしょう。賛否両論を巻き起こした田辺一鶴(たなべいっかく)先生の芸を認め、その背中を押したことも同様です。江戸や明治のわずかな例外を除いて、一鶴先生は女性を弟子に取った嚆矢(こうし)でもありました。

二代目山陽が亡くなって、二十年。

令和の時代にも、二代目山陽は生きています。師匠の松鯉をはじめ、多くの先生方を通して大師匠を感じていただきたい。年齢や男女を問わず、現代の講談師の中に大師匠は生きているのです。

私も改めて本書をひもとき、大師匠の痛快な「高跳び」を味わい尽くそうと思います。

もちろん、この本は、すべて大師匠の視点で書かれています。別の講談師の視点もあるんだということも、忘れないでください。

そして、三代目の山陽兄さん、もうそろそろ講談界に戻ってきてほしいです。喫茶店で「アイスコーヒー」を頼む口跡(こうせき)がやたら良い人がいたので、顔を見たら三代目だったという。そんなツチノコみたいな都市伝説ではなく(笑)。

こちらは「高跳び」しすぎです。

今後とも、二代目山陽一門を、ひいては講談界をお楽しみいただければと思います。

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