24歳で“悪性の希少がん”発覚、医者から「腫瘍が大きすぎて、窒息死するかもしれない」と…現役グラビアアイドル(26)が語る、がん宣告までの経緯

 グラビアアイドルで、がんサバイバーの藤乃あおいさん(26)。21歳での芸能界デビューをきっかけに、故郷の石川県から上京した藤乃さんの活動は順風満帆のはずだった。

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 しかし、24歳であらわれた耳の不調をきっかけに、顔面や頚部(けいぶ)の深い位置に腫瘍ができる希少がん「副咽頭間隙腫瘍(ふくいんとうかんげきしゅよう)の横紋筋肉腫」だと発覚。

 病院に付き添ってくれた母といっしょに涙した。抗がん剤治療を経ての活動復帰後、人生を「勢いでしか生きてこなかった」と朗らかに語る藤乃さんから、笑顔が消えた日々の記録とは。(全2回の1回目/2回目に続く)

グラビアアイドルの藤乃あおいさん ©橋本篤/文藝春秋

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一番ひどかった時と比べると、腫瘍が半分ほどの大きさに

――現在も完治とはならず、経過観察中と聞きました。

藤乃あおいさん(以下、藤乃) はい。(2023年末に)抗がん剤治療が終わってから、2ヶ月に1度はMRI検査のため、半年に1度は(がん細胞の有無を調べる)PET検査のために通院しています。

 一番ひどかった当時と比べると、腫瘍が半分ほどの大きさになったんです。最新の結果では、がん細胞の有無がたしか6段階中の「3」で「がんが残っているか分からない」と言われました。

――腫瘍が残っていて、身体の違和感はありますか?

藤乃 腫瘍がはれあがったときに神経が圧迫されたようで、顔の右半分にしびれが残っているんです。歯医者で麻酔をしたときのような感覚で、歯茎をつまようじで刺しても分からん……みたいな(笑)。歯磨きをしても感覚がなく、ご飯を食べるときに右側で噛むと何を食べているのか分からないんですけど、すっかり慣れました。

24歳でがんになるとは思っていなかった

――藤乃さんが患ったがんは、腫瘍が残っている状態の再発率が5年で30~50%ともいわれます。再発の怖さは?

藤乃 医師からは「経過を見ていかないと、分からないね」と言われて、なくはないと思うんです。でも正直、怖くはないかな。(24歳で)発覚した当時は、若くしてがんになると考えていなかったし驚いたんですけど、今はもう「なっちゃったらなっちゃったで仕方ない」と思えますね。

――闘病生活を支えたお母さんも、見守ってくれていますか?

藤乃 毎回の定期検診では故郷の石川県から上京して、都内の病院で診察に立ち会ってくれるんです。頻繁に連絡を取り合っているし、仕事終わりにはお母さんからの「お疲れさま。明日もがんばってね」の一言に癒されます。

専門学校生時代に「グラビアアイドルをやってみませんか?」と電話が…

――21歳でグラビアアイドルになる以前は、専門学校生、フリーターを渡り歩いたと。

藤乃 中学時代に見た映画『パラダイス・キス』への憧れがあったので、高校卒業後は石川県から上京して、都内の服飾系専門学校に通いました。でも、1年半通った時点で「想像と違う」と思って辞めちゃって(苦笑)。地元に帰ってからは「自分には何ができるんやろ」と思いつつ、週6で居酒屋のバイトをしながら、他にも色々とかけもちしました。

――そこから、グラビアアイドルとなったきっかけは?

藤乃 居酒屋での仕事中、専門学校生時代にスカウトしてくれた今のマネージャーさんから「芸能事務所を立ち上げるので、グラビアアイドルをやってみませんか?」と電話がかかってきたんです。

「そろそろ何かせんと」と思っていた時期でしたし、迷うことなく即決しました。実は、居酒屋のマスターが「イケるんちゃう?」と背中を押してくれたんです(笑)。

「これを売りにしたらええやん!」コンプレックスだった胸を武器に

――(笑)。潔いというか、勢いに身を任せて生きていますね。

藤乃 勢いでしか生きてこなかったかもしれません(笑)。専門学校も東京と大阪で迷っていたけど、学科の内容を比べて「東京の方がいい」と直感で飛び出したので。でもやっぱり「想像と違う。帰る!」と思って故郷に戻ったのもそうですし、好奇心旺盛なので言われるがまま、グラビアアイドルになりました。

――その後、グラビアアイドルとして再び上京するわけですね。

藤乃 はい。マネージャーさんからの電話が21歳の4月で、7月に上京して、グラビアアイドルとしてデビューしました。1年目は撮影会が中心でしたけど、人前に出るのが苦手だし、人見知りだったはずなのに、ファンのみなさんを前にすると緊張もなく自然と笑顔になれたんです。

 中学時代からのコンプレックスだった胸の大きさも「これを売りにしたらええやん!」と思ってからは、気にならなくなりました。

「右耳だけ、聞こえづらくなった」体調不良に気づいたきっかけ

――活動は順風満帆で、22歳でリリースしたデビューDVDはDMM通販による「グラビアアイドルDVD年間売上ランキング」で1位に。23歳で、キネマ旬報社主催の「グラビア・オブ・ザ・イヤー」も獲得しました。ところが、24歳の10月頃からは右耳の不調に悩まされるようになったと。

藤乃 右耳だけ、聞こえづらくなったんです。ずっと水中にいるかのようで、首を右側に傾けるとコポコポと液体が流れる音がする感覚でした。「なんやろな。まあ、そのうち治るやろ」と思って、友だちやファンの方にも伝えていて「謎や。歳かなぁ」と会話していたんです。

 でも、1ヶ月ほっといても治らなくて、周囲から「病院に行ったほうがいい」と言われたので、最初は耳鼻科に行きました。

――当時の診断結果は?

藤乃 先生からは「痛みのない中耳炎」と診断を受けて「2週間、この薬を飲んだら治るから」と言われて抗生剤をもらいました。でも、しっかり飲み続けたのに治らなかったですね。

 11月に入ってから友だちと旅行へ行ったんですけど、あごの辺りが痛みはじめて、歯の噛み合わせが「前とちがう」と違和感をおぼえるようになって。11月の終わりには、風呂上がりに顔の右側がしびれてると気がついて、頭痛もひどいし「さすがにヤバい」と思って、次の病院へ行きました。

病院から「左側にないものが右側にある」と電話がかかってきて…

――結局、最初に通った耳鼻科では症状がおさまらなかったと。

藤乃 はい。だから次は、脳神経外科でCTを撮ってもらったんです。でも、そこでは「何もない」と言われて、先生にすすめられて口腔外科に行ったんですけど、レントゲン撮影でも「異常はない」と言われました。

――まさに、たらい回しですね。そこから、副咽頭間隙腫瘍だと発覚するまでの流れは?

藤乃 口腔外科の診察を受けて帰ったら、CTを撮ってもらった脳神経外科の先生から「左側にないものが右側にある」と電話がかかってきたんです。「伝えることがあるから翌週に来てほしい」と言われて、痛みに耐えながら行ったら、今度は耳鼻咽喉科をすすめられました。でも、耳鼻咽喉科の先生が診断できるのは「翌週」と言われて、正直、早く症状をやわらげたかったし「はぁ……」となって(笑)。

 とりあえずもらった痛み止めも効かないし、頭痛と戦いながら耳鼻咽喉科へ行ったときに初めて「副咽頭間隙腫瘍だと思う」と言われました。でも、その病院では精密検査を受けられないので大学病院を紹介されて、翌週に診断してもらった先生からは「悪性かもしれない」と聞きました。

腫瘍がピンポン球ぐらいに腫れ上がり、抗がん剤治療をスタート

――最初の病院で診断を受けてから2ヶ月近く、その間も痛みに耐え続けて。

藤乃 定時で飲む薬と、緊急時に飲む頓服薬の2種類をもらっていたんです。でも、どれほど飲んでも痛みが引かなくて、薬の副作用で眠気も強くなるのに、眠れないほどでした。ベッドで仰向けになったり横になったりもできず、正座したままウトウトして、15分経ったら痛みで起きるみたいな。「身内や友だちに経験させるのは嫌やな」って思うほど、しんどかったです。

――その後、副咽頭間隙腫瘍の中でも悪性腫瘍の「横紋筋肉腫」だと分かって、抗がん剤治療へと向かうわけですね。

藤乃 12月中に(患部の組織を採取して行う)生体検査をするはずだったんですけど、年末だし「年明けになってしまう」と言われて。当時はもう口が少ししか開かず、食べ物も入らないほどだったので、きつかったですね。年末年始はグッと痛みを我慢して、1月の年明けに生体検査を受けたら、結果が出るのは「3週間後」と言われました。

  でも、腫瘍の一部を切って縫ったときにさわったがん細胞が悪さを働いたのか、腫瘍がピンポン球ぐらいの大きさにはれあがっちゃって。仰向けになると息苦しいし、目で見て分かるぐらいにはれあがっていて、先生からは「腫瘍が大きくなるスピードが速すぎる。あと1週間発見が遅れていたら、窒息死していたかもしれない」と言われました。

 抗がん剤治療まで、本来は1ヶ月ほどの準備が必要らしいんですけど、余裕がないので先生が「すぐに抗がん剤治療をやろう」と提案してくれて、3~4日ほどの準備で、1月末頃には入院して抗がん剤治療がスタートしました。

抗がん剤治療を控えながら仕事を続けたワケ

――11月から年明けの1月まで検査のために走り回って、その間も仕事は続けていたんですよね?

藤乃 決まっているイベントがあったし、ファンの方々も楽しみにしてくれていたので、「年内の仕事はがんばろう」と思って続けていました。

――将来、仕事ができなくなるかもしれないという不安は?

藤乃 発覚した時点では「続けるし、復帰する!」と意気込んでいたんですけど、実は、抗がん剤治療中にメンタルが崩れてしまって「続けられるんかな。どうしよう、辞めて石川に帰った方がいいんかな……」と思う時期もありました。

 24歳の11月にファンクラブを設立したのですが、立ち上げてすぐに検査や抗がん剤治療がスタートしてしまったし、何もできていなかったので、待っていてくださるファンのみなさんのためにも「復帰したい!」と思いました。

撮影=橋本篤/文藝春秋

体重45→36キロに激減、肌は黒ずみ、身体はガリガリに…24歳で“悪性の希少がん”を患った現役グラビアアイドル(26)の壮絶な闘病生活〉へ続く

(カネコシュウヘイ)

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