「今日はちょっと緊張してる(笑)」6年ぶりの奥田民生との共演で矢野顕子が話したこと「私が好きなところは変わらないし、これからもずっと好きだと思いますよ」

「人間は孤独です。それを彼の曲から強く感じます」矢野顕子が何回もリピートした奥田民生の“名曲”「これは私が歌う曲だと思いました」〉から続く

 約25年前の初共演以来、数々のステージを共にしてきた矢野顕子。9月に行われたばかりのライブ『矢野顕子×奥田民生 SMA 50th Anniversary presents「ラーメン★ライダー」』を振り返り、そして奥田民生の変わらない魅力を尋ねた。(全2回の後編/前編を読む)

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©三浦憲治

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「いろんな人とやりなさい」

――矢野さんと民生さんは「Beautiful Songs」ツアー(2000)や「さとがえるコンサート」(2013、2018)、「ふたりでジャンボリー」(2016)といったライブで共演してきました。「Beautiful Songs」の時には、「いろんな人とやりなさい」と矢野さんが民生さんにアドバイスされたそうですが。

矢野 それは彼だけじゃなくて、自分よりも年下の、日本でバンドをやっている人たちやシンガー・ソングライターの人たちにはそう思います。それぞれみんなよいものを持っていると思うんです。だけれどもたいていの場合は、自分が中学生の時から一緒にやってきた仲間だけとか、そこでずっとやっていく人が多いですね。

 奥田さんのようにすごく才能のある人には、それ以外の要素……川でしか釣りをしてこなかったのなら、「ちょっと海にも出てみない?」って(笑)。なかばそれに近いことですよね。まあ、やってみたらみたいな。

 実はそれだけじゃなくて、あと愛情があるので。本当に育ってほしいと思っていたし、いまも思っているんです。若い人たちにはいまだにそう思いますけど、最近だと上から目線でどうのとか、パワハラとか言われちゃうのかもしれない(笑)。

民生さんに対して感じていた“愛情”

――民生さんに対して、ミュージシャンとしても、ひとりの人間としても愛すべきものを感じてきた、ということですよね。

矢野 だってその人に対して愛情を感じていなければ、そんなこと言わないでしょう、人は。どうでもよかったら言わないですよ。言いすぎる時もありますけど、私の場合は(笑)。

奥田さんとやる時は普段と違います。

――矢野さんと民生さんの共演では、ふたりのハーモニーも大きな聴きどころのひとつです。声質も歌い方も、まったく違うおふたりだと思いますが、矢野さんは民生さんの声についてどう感じていますか?

矢野 一緒に歌う時はほとんどの場合、私が奥田さんに寄り添うかたちになります。私のいつものアプローチ、自分が弾き語りでやっている時のようなアプローチの仕方は、彼には取らないです。

 例えば私が上原ひろみさんと一緒にやる時は、私はジャズピアニストではないけど、ジャズの素養があるので、その素養の中で会話ができるわけです。しかし奥田さんはそういった、私のような性質を持つアーティストではないので。彼の、彼にしか作れない素晴らしいものに、私が合わせていくようなやり方です。

 なので、声の出し方も、奥田さんとやる時は普段と違います。やっぱりものすごい声量を使いますけど、その面白さがあると思います。

ふたりの共作、「父」の歌詞

――ギタリストとしての民生さんは、どんなギタリストだと思いますか?

矢野 そこをもっともっともっとディペロップしてほしいと思います。いつか私のレコーディングに彼をギタリストとして雇いたいと思ってますので。

――矢野さんの2018年のアルバム『ふたりぼっちで行こう』で、おふたりは「父」を共作しています。矢野さんが詞を、民生さんが曲を書いていますが、なぜこういう詞になったんですか?

矢野 ちょうどその頃に私は父を亡くし、民生さんもちょっと前ぐらいにお父さんを亡くしていたからだと思います。それにお母さんのことを歌う歌は、子どもの歌なんかでもわりと多いですけど、お父さんってあまりフィーチャーされないので、敢えてというか。でもたいして深い意味はなかったです。

出身者の方言で歌う企画

――同じ2018年には、民生さんによる“ドライブ”シリーズの津軽弁バージョン「アオモリドライブ」に、矢野さんがボーカルで参加しています。

矢野 あれは出身者の方言で歌うという企画で、ほかに津軽弁の人がいなかったから私に声がかかったとか、そういうことじゃないでしょうか(笑)。「父」の前後だったと思いますけど、なぜ呼ばれたのかよくわからないです。

私のいちばん好きなところは変わってない

――今年9月に行われた民生さんとの対バンライブは、6年ぶりとなるライブでの共演でした。MCで矢野さんは「今日は緊張してる」と話していましたが、それは久しぶりの共演だったからですか?

矢野 私がコードを覚えられていない曲があったので、それで緊張してるって。ちょっと謙遜して言いました(笑)。

――2000年のジァン・ジァンから始まって、これまで20年以上にわたりライブやレコーディングで共演されてきましたが、矢野さんから見て民生さんにはどんな変化がありましたか?

矢野 あまり感じてないですね、変化は。私のいちばん好きなところは変わってないと思います。

――20年ものあいだ変化がないというのは、きっと稀有なことなんでしょうね。

矢野 そうじゃない? ご本人の中ではいろいろ変化があるっていうのは当然だと思いますけど、私と奥田さんはきっと合うと思ったようなところは変わってないですよね。だからこれからもずっと私は好きだと思いますよ。

――民生さんと共演してきた約20年のあいだに、矢野さん自身はどう変化してきましたか?

矢野 いろいろ衰えてきてるっていうこと。それからあとなんだろうね、根気が続かないとか。あんまりたいした進歩がない(笑)。ただやりたいことがいつもはっきりしているので、それに対する執着はむしろ強くなってるんじゃないかと思います。

――正直なところ、衰えは微塵も感じませんが、ただ矢野さんや民生さんのように第一線で長年活躍しつづけることは、生半可にはできませんよね?

矢野 そうでしょうね。私の場合は、ただやりたいことをやりつづけるっていう、とても簡単なことで、秘訣もなにもないですね。でもそのためには、じゃあ矢野顕子にやらせてやろうという助けがないとできないですから。しかもね、日本には住んでいないし。いろいろと制約がある中で、でも矢野の音楽のために協力してあげようというスタッフがいてくれることがいちばん大きいんじゃないかな。

ぼやーんとしてる時期はありましたね。

――やりたいことが見つからない時期はなかったんですか?

矢野 ぼやーんとしてる時期はありましたね。それでも契約とかあるから、レコードは出さなくちゃいけない。もちろんそのときどきでちゃんとしたものは作ってきたけれど、振り返ってみると、あんまり好きじゃないみたいな(笑)。でもその時期を経ると、そういうものは絶対出したくないって。今は本当に自分が全身全霊を込めてやれるものをやりたいと強く思います。

撮影=三浦憲治

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(門間 雄介)

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