米津玄師が「嫌悪していた」言葉とは…貴重なテレビ出演で語った、新人時代に抱いた“葛藤”〈『虎に翼』主題歌を担当〉

 米津玄師(よねづけんし)が出演したテレビ番組が、ここ最近立て続けに放送された。8月にリリースされたアルバム『LOST CORNER』のプロモーションや、主題歌を担当した朝の連続ドラマ小説『虎に翼』(NHK総合)関連での出演である。

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 これまでの米津はどちらかといえば、マスメディアへの露出を控えてきた印象がある。特にテレビ出演はほとんどなく、それだけにベールに包まれた存在だった。メディア露出の少なさは、時に陰りを帯びた歌詞も相まって米津の神秘性をさらに高めていたように思う。芸能人の多くが神秘性を剥ぎ取られるSNSの時代にあって、その存在感は今もって希少だ。

徳島県出身、33歳の米津玄師(米津玄師オフィシャルサイトより)

 そんな米津が続けざまにテレビに出演し、作品について、来歴について、自分自身について語った。その言葉をふりかえりながら、ドラマ『虎に翼』と米津が歌う主題歌『さよーならまたいつか!』の共鳴について考えてみたい。

寅子が繰り返す「はて?」という疑問

『虎に翼』は、社会的なテーマを中心に据え続けた朝ドラだった。もちろん、社会問題を明示的に扱った朝ドラはいくつもある。ただ、日本で女性初の弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子をモデルとした主人公に据えた『虎に翼』は、主人公自身が社会問題に正面から対峙し続ける存在として描かれており、その点でこれまでの朝ドラとは一線を画す。

 物語ではジェンダー不平等はもちろん、司法の独立、非行少年の処遇、在日コリアンへの差別、公務員を含む労働者の争議権、原爆投下の戦争責任など数々の問題が取り上げられた。伊藤沙莉が演じた猪爪寅子(ともこ)、のちの佐田寅子が繰り返す「はて?」という疑問は、過去からの光を現代にあてる形で、諸々の問題を改めて問い直す場を切り拓いてきた。

 寅子の問いは、公的な場と私的な場を横断するものでもあった。弁護士や裁判官といった仕事を通した社会問題との対峙は、ホームドラマ的なシーンとも交差し、過去にいくつものドラマが描いてきた家庭問題(家事分担、子育て、相続問題、嫁姑問題など)はこれまでと異なる形で語り直された。血縁に限らない親密な関係性が模索されるなかで、そもそも“ホーム”とは何か自体が問われてきた。そのような交錯的な問いに取り組む道程を描くことによって、寅子の“一代記”が画面上に映し出されていった。

個性、オリジナリティ…米津が「嫌悪していた」言葉

 そんな『虎に翼』の主題歌の創作を、米津玄師はどのように進めていったのか。この問いに向き合うためには、米津玄師にとってタイアップとは何か、あるいはもっと本質的な問いとして、米津にとって創作とはどういう経験なのかを考える必要があるかもしれない。テレビ番組のインタビューのなかで、米津はこれまでの創作活動を振り返り次のように語った。

「自分じゃなくてもいいところに向かっていく、っていうことの連続だった気がするんですね。20代前半とか10代後半のころに、個性とかオリジナリティって言葉に対して、すごく信用ならなさみたいなものを感じてたんです。あるいはもう、嫌悪していたとすら言えるところがあって」(『EIGHT-JAM』テレビ朝日系、2024年9月8日)

 もちろん、米津もオリジナリティを求めなかったわけではないだろう。ただ、米津が創作に際して向かったのは「自分じゃなくてもいいところ」、つまり他者がいるところだった。

「後ろからポンって肩つかまれるような」経験を求める

「その人が一体どういうふうに考えているのかとか、その人が過ごしてきた、見てきた景色とか、そういうものを与えてもらうというか。で、もといた自分の場所から離れよう離れようとして、でも結局やっぱ、お前はお前だよなっていう、後ろからポンって肩つかまれるような。それを求めない限りは、本当に自分にしかできないものなんて見つかりようがないんじゃないかなっていう」(同前)

 自分にしかできない音楽が仮にあるとしても、それは自分の内側を徘徊していても見つからない。米津にとって創作は、他者が立つ場所から見える世界をいったん経由したあとで「後ろからポンって肩つかまれるような」経験として、つまり、自分の視野の外から不意にやってくる受動的な経験としてあるのかもしれない。言い換えれば、米津にとって創作は単に能動的なものというより、受動的な創造がやってくるための条件を能動的にしつらえる作業としてあるのかもしれない。

仕事をするうえで大切にしている「閉じきらないこと」

 あるいは、別のインタビューのなかで「仕事をするうえで大切にしていること」について聞かれた米津は、周囲に対して「閉じきらないこと」と語った(『日曜日の初耳学』TBS系、2024年8月25日)。それはひとつに、幼少期から閉じこもりがちだったという自身に対する一種の警句なのだろう。しかし、「閉じないこと」や「開くこと」ではなく「閉じきらないこと」というあいまいにも聞こえる言葉の選択には、能動的とも受動的とも言い難い米津にとっての創作のあり方が見て取れるようにも思う。広く多くの人に届くポップスを志向する米津は、「閉じきること」を避け、かといって自他の境界を消すような「開ききること」にも向かわず、「対面」にいる「あなた」と「私」との対話へ向かう。

「対面にいる人間だとかそういう人たちに、『私はこういう人間だけどあなたはどう?』っていう、そういうことを一つひとつ繰り返していかないと、やっぱ広く届く音楽もつくれるはずがないと思いますし、すごく大事にしなきゃいけないことだなとは思ってますね」(同前) 

対面にあるものから影響を受けたい

 だとしたら、タイアップもまた、そのような「対面」の機会としてあるのかもしれない。たとえば、ドラマ『MIU404』(TBS系)の主題歌『感電』について米津は、「対面にあるものからものすごく影響を受けたいんですよね」と前置きしつつ、「なるべくそれに染まりたいというか。『MIU404』がなければ、『感電』っていうのは絶対生まれてこなかった」と語っていた(『MIU404特別企画』TBS系、2020年8月8日)。

 では、米津は『虎に翼』といかに「対面」したのか。

フェミニズムの物語に「男性としてどう向き合っていけばいいのかなって」米津玄師(33)が朝ドラ主題歌を生み出すまで〈『虎に翼』ついに最終回へ〉〉へ続く

(飲用 てれび)

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