フェミニズムの物語に「男性としてどう向き合っていけばいいのかなって」米津玄師(33)が朝ドラ主題歌を生み出すまで〈『虎に翼』ついに最終回へ〉

米津玄師が「嫌悪していた」言葉とは…貴重なテレビ出演で語った、新人時代に抱いた“葛藤”〈『虎に翼』主題歌を担当〉〉から続く

 9月27日に最終回を迎えるNHK連続テレビ小説『虎に翼』。主題歌『さよーならまたいつか!』を歌う米津玄師(33)はかつて、「対面にあるものからものすごく影響を受けたい」と語っていた。彼は本作といかに「対面」し、歌にどのような思いを込めたのか。テレビ出演時に発した言葉の数々から、テレビウォッチャーの飲用てれび氏が読み解く。(全2回の後編/前編を読む

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作詞・作曲・アレンジも手掛ける米津玄師(33)(米津玄師オフィシャルサイトより)

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『虎に翼』主題歌の準備にあたり脚本を10冊ほど渡されたという米津は、読み進めるにつれ「どんどん背筋が伸びていく」ような感覚、「生半可な気持ちで向き合えない」という心象になったらしい(『虎に翼×米津玄師スペシャル』NHK総合、2024年9月18日)。そこでは当然、本作のベースにあるフェミニズムとも向き合うことになった。

「フェミニズムが土台にある物語だったので、そこに対して男性としてどういうふうに向き合っていけばいいのかなっていうのは、やっぱ避けて通れない視点だった」(『日曜日の初耳学』TBS系、2024年9月1日)

 複数のテレビ番組のなかで、米津は『虎に翼』の主題歌の創作過程について語っている。そのなかで印象的なのは、米津が自身の男性という立場、社会構造のなかにおける特権性を捨象せずに創作の起点に据えていることである。そのような「対面」をくぐり抜けてできた楽曲は当然、単なる“応援ソング”ではない。

歌詞に描かれる孤独や社会への抵抗

「言っても、女性と男性っていう違いがあるわけで。そこは共通する部分があったとしても、同一視しきってしまうのもすごく暴力的だなとは思ったんですけど。でも、客観的に神様の目線みたいな形で、登場人物たちに、女性たちに、あなたたちは素晴らしいから私も応援してますよっていう形だと、それはそれですごく特権的な感じになるんじゃないかなっていうふうに思ったし」(『虎に翼×米津玄師スペシャル』NHK総合、2024年9月18日)

『さよーならまたいつか!』には、世の中の理不尽への怒りが滲む。サウンドはストリングスを交えた爽やかさを感じさせるものだが、そこに重なる米津の歌声はしばしば濁って響く。歌詞もまた、サビで「誰かと恋に落ちて また砕けて/やがて離れ離れ」といった孤独や、「口の中はたと血が滲んで/空に唾を吐く」と自由を縛る社会構造への抵抗が描かれる。そのような形で、私たちが手にしているかもしれない自由が、誰かの悔しさと怒り、そして時に孤独な戦いによって勝ち取られたものであることが活写される。

 そのような歌詞を米津は、主人公・猪爪寅子(のちの佐田寅子)の視点を介しながら綴ったという。「寅子の人物像というか、そういうところからはじめないことには駄目だろうなと思った」(同前)。米津が創作活動において意識しているという、他者が立つ場所から見える世界をいったん経由したあとの、「後ろからポンって肩つかまれるような」経験。その入口が、ここに見て取れるかもしれない。

軽やかなフレーズで「にこやかにブチギレる」を表現

 一方で、タイトルや歌詞に含まれる「さよーならまたいつか!」というフレーズは、怒りとは不釣り合いな、軽いもののようにも思える。このような表現になった理由について米津は、「目の前に残酷な現実っていうものがあるからこそ、軽やかな表現をとる、にこやかにブチギレるっていう。そっちのほうが、よりダイレクトに伝わるんじゃないか」と語ったが(『ニュースウオッチ9』NHK総合、2024年4月30日)、『虎に翼』もまた「にこやかにブチギレる」ドラマ、残酷な現実の描写と軽やかなコメディタッチの描写の振り幅をもつ物語だった。

 また、歌詞のなかには「100年先も憶えてるかな/知らねえけれど」といったフレーズもある。全体のなかでも印象に残る一節のひとつだが、これもまたはじめは、今ここにある怒りや抵抗の声を相対化する歌詞に聞こえかねないかもしれない。が、米津は言う。

「100年経って自分は到底生きてなかろうと、自分が起こした何かっていうのはそこに残り続けるんだろうなと思うんですよ」(同前)

「祈り」の「連鎖」で形成された世界には「美しさ」がある

 いわく、道端にあるガードレールもバス停も、誰かが作ったはずだが誰が作ったのかわからない。しかし、制作者がわからないそれらもすべて、誰かがみんなの幸せを願って作ったもののはずだ。そんな「祈り」の「連鎖」が私たちのいるこの世界を形成し、維持している。そこには「美しさ」がある、と。

「そういうふうに一人ひとりがちょっとずつ祈りながら、ちょっとずつ作り上げてきた結果がいまのこの社会だと思うんですけど、その連鎖は非常に美しいことだなっていうふうに思うし。そうやって文化だとか生活っていうのが保たれてきたんだなっていうのを、身にしみて思うというか」(同前)

『虎に翼』の物語と共鳴する主題歌

 ずっと先、その人の名前が忘れ去られたあとにも、その人が始めた何かは残り続ける。だとすれば、いま私が起こす何かもまた、遠い未来の世界を形作るものとして残り続ける。100年という時間のスケールを置くことで、世界がこれからも確かに続いていくことへの信頼、一人ひとりが新しく始める変化によって世界が更新されていくことへの希望を、私たちは思い描くことができるだろう。

 誰かがあげた声は決して消えないこと。その声がいつか誰かの力になる日がきっと来ること。それは『虎に翼』のなかで最後まで、寅子をはじめとした登場人物たちがリレーしてきたメッセージだった。声は連鎖する。何より、多くの人にとってあまり名前を知られない存在だった寅子のモデル・三淵嘉子が100年前にあげた声は、私たちにとっての今、つまり100年先の社会を形づくる確かな礎のひとつとしてつながってきた。『虎に翼』と米津の主題歌は共鳴している。社会の理不尽の前で一人ひとりが抱く怒りや悔しさに連なりつつ、世界への信頼と希望の連鎖を描く作品として、確かに共鳴している。

米津が100年先に思い描く理想

 では、100年先の米津玄師はどうなるのか。生み出された楽曲はどうなっていくのだろうか。インタビュアーにそう問われた米津は「想像もつかない」と前置きしつつ、次のような理想を語った。

「理想としていえば、詠み人知らずみたいになってほしいなっていう。どんどん数珠つなぎになって、自分自身が残したものがものすごく小さくなっていくかもしれないけども、それがなかったことには絶対ならないと思うし。そういうふうに、どんどんつながってくれればなとは思うし。要するに、遍在したいですね。世の中に遍在したい」(同前)

『虎に翼』は最終回を迎える。毎朝テレビから流れていた主題歌は、もう聞こえてこなくなる。しかし、声は連鎖する。『虎に翼』とその主題歌は、この世界に対する信頼と希望をつなぐ祈りとして、これから先も世の中に「遍在」する。そういうものと、私たちは「対面」したはずだ。


*『さよーならまたいつか!』(作詞、作曲:米津玄師)

(飲用 てれび)

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