坂本冬美の『モゴモゴ交友録』小椋 佳(80)ーー 先生とのご縁は、人生で初めて第一勧銀の通帳を作ったときから

小椋 佳、坂本冬美

 

 そのときは “まさか、後々こんなことが起こるとは” と思わずにいたことも、ず~~~っと後になって振り返ったときに、 “そうか、あのときすでにご縁は始まっていたのか” と感じることがあります。

 

 尊敬してやまない美空ひばりさんの代表曲『愛燦燦(あいさんさん)』を始め、布施明さんの『シクラメンのかほり』、梅沢富美男さんの『夢芝居』、中村雅俊さんの『俺たちの旅』など、心に残るヒット曲をたくさん手がけられた小椋佳先生とのご縁もそうでした。かなり、わたしの一方的な思いではありますが、モゴモゴモゴ(苦笑)。

 

 そう、あれは猪俣公章先生の内弟子として、東京に出てきてすぐのころです。内弟子というのは、住むところがあって、ご飯を食べさせてもらって、レッスンまでしていただけるのですから、基本的にお給料というのはありません。

 

 

 それが普通なので、先生から「家のこともやってくれているし、小遣い程度のカネだけど振り込んでやるから通帳を作ってこい」と言われたときは、正直驚きました。

 

ーーそんな滅相もないと、辞退した!?

 

 まさか、です(笑)。印鑑を持って、目黒線と大井町線が乗り入れる大岡山駅前の銀行にダッシュ。初めて自分名義の預金通帳を持ったのです。

 

 もう嬉しいなんてものじゃありません。東京に出てくる前の短い一時期、会社員をしていたこともありましたが、当時は今と違ってお給料は現金支給で、もらったそばからどんどん減っていくだけだったので尚更(なおさら)嬉しかったです。

 

 運転手をしたり、仕事の資料整理をしたり……内弟子をしている間はお金を使うこともなかったので、貯まっていく金額を見るのが楽しみのひとつになっていました。

 

ーーそれはわかったけど、それと小椋先生とのご縁はどう繋がるの?

 

 ごめんなさい。そうですよね。つい、思い出に耽(ふけ)ってしまい、肝心なことをお伝えするのを忘れていました(苦笑)。

 

 わたしがこのとき初めて作ったのが、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)大岡山支店の通帳で、当時、小椋先生は第一勧銀の銀行マンとソングライターの二刀流で活躍されていたのです。

 

 どうです!? すごくないですか? デビュー19年めに発売したシングル『陽は昇る』のカップリング曲『恋鼓』を小椋先生からいただいたのも、偶然なんかじゃありません。必然です。小椋先生とわたしのご縁は、第一勧銀の通帳を持ったときから始まっていたと言っても……いいんじゃないかと……思っていま……モゴモゴモゴ(苦笑)。

 

 小椋先生とは、これまで歌番組で何度もご一緒させていただきましたし、2005年には東京芸術劇場大ホールのコンサートに、ゲストとして出ていただいたこともあります。当然、言葉を交わす機会もありました。

 

「小椋先生、今日はよろしくお願いします」

 

「……こちらこそ」

 

「先生からいただいた『恋鼓』、大事に歌わせていただいています」

 

「……ありがとうございます」

 

 小椋先生は寡黙な方ですし、わたしはひばりさんの『愛燦燦』をお作りになった先生という想いが強すぎて、体も心もカチンコチンです。

 

 結果、言葉は途切れ、会話らしい会話を交わした記憶はほとんどありませんが(苦笑)、小椋先生からいただいた『恋鼓』は、わたしの大事な大事な宝物です。

 

 ひばりさんが歌う『愛燦燦』は、歌手・坂本冬美にとっては道標(みちしるべ)のような歌ですが、小椋先生のちょっと鼻にかかったように歌う『愛燦燦』は、ひと味もふた味も違った、心に沁みる『愛燦燦』です。

 

さかもとふゆみ
1967 年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、最新シングル『ほろ酔い満月』が好評発売中!

 

写真・中村 功
取材&文・工藤 晋

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