「香港チケット1秒完売」YOASOBI、ikuraの観客わずか2人“下積み路上ライブ”写真「寿司のイクラは嫌い」知人が明かす

渋谷駅の近くで路上ライブをする高校生の幾田りら。当時の観客は2、3人だった

 

 12月から始まる人気音楽ユニット・YOASOBIによるアジアツアー『YOASOBI ASIA TOUR 2024-2025』の香港公演のチケットが、わずか1秒で完売したと報じられた。

 

「日本国内での人気は言わずもがなですが、この頃は海外人気もすさまじい。2023年にリリースした楽曲『アイドル』は、ビルボード・グローバル・チャートで、日本語楽曲初の1位を獲得する快挙を成し遂げています。同年12月から2024年1月にかけておこなわれたアジアツアーも即完、4月には初のアメリカ単独公演をおこなうなど、乗りに乗っているんです」(芸能記者)

 

 海外でも人気を博す “日本代表” となったYOASOBIのikuraこと幾田りらだが、売れるまでの道のりは平坦ではなかった。 中学時代の幾田は、吉祥寺でライブをしていたという。商店街の店員は、4月の本誌取材にこう語っている。

 

 

「もう8年前かな。吉祥寺駅前の商店街で大きなギターを持って歌っていたわよ。小柄な女のコだったからギターが大きく見えてね。歌が上手なコだったけど、当時はあんまり人が集まっていなかったわ」

 

“吉祥寺の歌姫” は、メジャーデビューを夢見て都心に進出。インディーズ時代からファンという男性は、当時をこう振り返った。

 

「初めて見かけたのは彼女が高校1年生、15歳のころ。原宿駅近くの神宮橋で、友達と2人で路上ライブをしていました。お客さんは2、3人で、応援すると『CD持って帰って』とタダでくれました(笑)。歌は今と変わらないくらい、本当に上手でした」

 

 その後、渋谷のハチ公前やライブハウスでも活動。

 

「ライブハウスのときは、お客さんが10人くらい。お母さんが心配なのか見に来ていて、毎回会うので古参ファンは、みんな顔馴染みになっていました(笑)」(同前)

 

 幾田がいたユニット「ぷらそにか」のメンバーで、2021年ごろまで一緒に活動していたAさんは、幾田の素顔をこう語る。

 

「みんなで恋バナしたり、普通の女のコって感じでした。彼氏ですか? 私が知り合ったときは、すでに忙しそうで恋愛をする余裕はなさそうでした。

 

 収録の合間にみんなでピザとか出前を頼むのですが、お寿司を頼んだとき、りらちゃんは『お寿司だ!』って喜んでいました。でも、『イクラって名前で活動しているけど、私イクラ好きじゃない』と(笑)」

 

 あるライブで、YOASOBI結成後のソロ曲『Answer』をAさんが歌うことに。

 

「私がこの曲をうまく歌えず、りらちゃんに相談したら『一緒に練習しよう』と、録音しながら歌い方を教えてくれたんです。当時、すでにYOASOBIとして活動していて忙しかったのに、りらちゃんって優しさの頂点みたいな人だなって(笑)。その録音は今も大切にしています」(同前)

 

 売れない時代も売れ始めても“神対応”を続けるYOASOBIのikura。世界に羽ばたいた“歌姫”の躍進は、これからも続きそうだ。

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