「命に関わるから」梅宮アンナにエールの羽賀研二、マスコミ殺到し困惑「取材は一律おことわり」
《楽しかったこと! 苦しかったこと!いろいろなことを思い出す。 話したくて!何か手伝いたくて。負けないで!必ず勝てます! 頑張って!》
《突然の報道を見てビックリしています! 色々ありお互いの道を選択してもう二十数年。こんな書き込みをすると!余計なことを言う人たちがいるけど!無視はできない!》
《連日の報道! 女性としてはとても辛い大きな決断! 悩み!苦しみ!希望を失った!多くの人たちの指標として大きな一歩を踏み出した。 悲しみの中にいるはずなのに強さすら感じる。 絶対に負けないで! 貴方は強い! 必ず勝ちます! 頑張って》
8月13日、乳がんに罹患していることを公表した梅宮アンナに対し、即座にInstagramに励ましのポストを連投したのは元交際相手の羽賀研二だ。
だが羽賀本人は困惑の表情を浮かべ、本誌にこう話した。
「Instagramにアップしてから、取材依頼が殺到しています。10社以上から連絡がありました。でも、これは命に関わることなので、安易に答えるわけにはいかないんです。マスコミの皆さんには、今回の件での取材はお断りさせていただいています」
羽賀は、1982年に始まった『森田一義アワー笑っていいとも!』(フジテレビ系)のアシスタントである「いいとも青年隊」の初代メンバーを務め、一躍有名に。以後は俳優や歌手として活動し、1994年には梅宮アンナとの熱愛が発覚した。
「当時は『バカップル』とまで揶揄され、2人で“ペアヌード”写真集を出すなど、大きな話題になりました。でも、羽賀に巨額の借金があったことや浮気が発覚したことで、アンナの父親である梅宮辰夫からは『稀代のワル』と呼ばれ、交際には反対されました。羽賀は記者会見で『誠意をもって』と繰り返し、交際を継続したいと訴えていましたが、1999年に破局しています。この会見後、羽賀は『誠意大将軍』と呼ばれていました」(週刊誌記者)
破局から25年が経過したが、その間、アンナに連絡を取ったことがあるかと羽賀に問うと、「一度もありません」とのこと。まさに四半世紀を経た突如のエールとなったのだ。
羽賀は2007年に未公開株を高値で売りつけたとして詐欺、恐喝未遂で逮捕され、沖縄刑務所に服役。また、妻に財産分与をしたのは、偽装離婚による財産隠しに当たるとして、2018年に再度逮捕され、再び沖縄刑務所に収監された。
2022年3月、本誌は出所後半年の羽賀を沖縄で取材。友人とともに人材派遣会社を立ち上げ、自身も車で配達の仕事をしている様子を見ていた。
「社員は僕を含め4人。15人のスタッフを食品販売員などとして派遣しています。僕は、その派遣先にドライバーとして早朝からいろんな資材や商品を運んだり、現場を見にいったり。もちろん、スタッフの送迎も自分でしています。タダで譲り受けた軽自動車で、走り回る毎日です」(羽賀)
今年8月の『NEWSポストセブン』の記事によると、不動産管理やジュエリー販売の仕事も継続しているという。また、YouTuberとしても活躍中。目指すは芸能界復帰だ。本誌にはこう答えている。
「服役中から、いつか芸能界に復帰したいと考えていました。僕は高校時代からずっと芸能界にいたから、ほかの生き方を知らないんです」
今年5月、羽賀はABEMAのバラエティ番組『愛のハイエナ』にも出演。芸能界復帰に向けて歩みを進める中、SNS投稿で俄然注目されるところとなった。取材対応に慎重になるのは、今が大事な時期と捉えているからかもしれない。
08/17 08:40
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