高橋真美が明かす「わらべ」誕生秘話…「ただいま!」のセリフだけで100回練習も/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

日下アナ(左)と高橋真美

 

 昭和の時代には、国民みんなで歌える名曲がたくさんありました。今回お話を伺うのは、1980年代アイドルブームの頃、個性的なユニットで歌番組に引っ張りだこだった「わらべ」のメンバー・高橋真美さんです。

 

「わらべ」は、当時の高視聴率番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)のお茶の間コントで生まれたユニットです。“のぞみ” “かなえ” “たまえ” という3つ子を、それぞれ高部知子さん、倉沢淳美さん、高橋真美さんの3人が演じていました。

 

 

 なかでも、当時、ぽっちゃりキャラの “たまえ” 役だった高橋さんは、女性や子供、親世代から大人気。デビュー曲の『めだかの兄妹』では、パジャマにちゃんちゃんこを着て歌う姿が印象的でした。

 

 実は、高橋さんとは、25年ほど前に『邦子がタッチ!』(テレビ朝日系)という番組でよく一緒にロケに行っていました。今回、久しぶりの再会に盛り上がり、懐かしいお話をたくさん伺うことができました。ダイエットに成功し、より美しくなった高橋さんは、元気いっぱいでキラキラしたオーラを放っています。

 

――真美ちゃん、お久しぶりです。スッキリして、より美しくなりましたね。

 

「最近は、今の体重をキープしています。数年前、徳光(和夫)さんにも『上手に年を重ねたね』と嬉しいお言葉をいただきました(笑)」

 

 高橋さんは、東京都目黒区出身。10歳から劇団 白鳥座に所属。子役タレントとして活躍したあと、情報番組のリポーターに。現在は、『女神のマルシェ』(日本テレビ系)でプレゼンターを務めています」

 

――『欽ちゃんのどこまでやるの!』でいきなりスターの仲間入りでしたね。

 

「あの番組がデビューだと思われていますが、実は意外と下積みが長いのですよ。

 

 母は、当時は珍しいキャリアウーマンで、忙しかったことから、私は日本舞踊やクラッシックバレエなどの習い事をいろいろやらせてもらいました。あるとき、児童劇団のチラシを見つけて、母にやってみたいとお願いし、10歳からお芝居やダンスのレッスンを受けていました。

 

 それからたくさんのオーディションを受けたのですが、なかなか受からず、最初の頃は映るかどうかもわからないエキストラをやっていました。

 

 テレビデビューは『土曜ワイド劇場』(テレビ朝日系)の回想シーンで、佐久間良子さんの子供時代を演じました。一張羅のワンピースを着ていったのですが、時代背景に合わないということで着替えさせられました。セリフは『あっ、お姉ちゃん』の一言でした」

 

――『欽ちゃんのどこまでやるの!』のオーディションは、すごく高い倍率だったのではないですか?

 

「はい。オーディションを受けたのは、中学3年生の夏でした。もうすぐ高校受験の勉強もしないといけない頃、なんのオーディションなのかよくわからない状態でテレビ朝日のリハーサル室に行きました。

 

 会場にはすごい数の人がいて、私の順番は最後のほうだったので、印刷していたセリフの紙が足りなくなり、手書きのセリフを渡されました。あとでわかったのですが、それは “お父さん”(=萩本欽一)の直筆でした。

 

 何時間も待たされ、ようやく順番がまわってきたとき、お父さんが残りの候補者をぱーっと見渡して『はい、OK』の一言で終わりました。

 

 実は、“のぞみ” はお芝居ができる子、“かなえ” はかわいい子と、設定が決まっていたようです。じゃあ、私はなんだったのだろうと思って聞いてみたら『色白で、絶妙な太り具合だったから』と言われました(笑)。

 

 1982年9月から撮影が始まり、11月からは受験勉強も忙しくなりましたが、12月21日にデビュー曲『めだかの兄妹』が発売されました」

 

――曲を初めて聞いたときはどのような感想を持ちましたか?

 

「デビュー曲のタイトルやユニット名を聞いたときは、『えっ!?』っていう感じでした。当時はアイドル全盛期だったので、キャンディーズのような名前を想像していたのに、平仮名で『わらべ』に『めだかの兄妹』ですからね。

 

 しかも、寝る前に歌う曲という設定ですから、衣装はパジャマにちゃんちゃんこ(笑)。

 

 実は、『めだかの兄妹』の編曲は坂本龍一さんなんですが、初めてデモテープを聞いた坂本さんは、これをどうしたらいいんだと頭を抱えてたそうです。

 

 でも、お父さんは『これはとんでもなく売れる』と予言していました。実際に大ヒットして、レコード会社の人は喜んでいましたね」

 

――それで、毎週、歌番組に出ることになったわけですね。

 

「はい。『ザ・ベストテン』(TBS系)や『トップテン』(日本テレビ系)という歌番組では、人気アイドルを抑えて上位にランキングされていました。

 

 当時、他局の番組キャラクターが出演して歌うというのは、珍しいことでしたし、お父さんから『歌のプロの人たちの邪魔にならないように』と言われていました。

 

 私たちは歌手ではないので、『歌はいいから、それよりトークで頑張りなさい』と言われていました。それで、何度も何度もトークの練習をさせられました。『嬉しい』や『楽しい』といった、単純な返答は許されませんでした。

 

 結局、年末の賞レースも、本職の歌手の方に申し訳ないというお父さんの考えで、辞退しました。内心、私は欲しいなと思っていましたが(笑)」

 

――歌番組では、松田聖子さんや中森明菜さんと一緒だったのですね。

 

「そうなんですよ。当時の楽屋は大部屋で、売れっ子の歌手の方々は本番だけぱっと来て、歌ってすぐに次の現場に行く方が多く、みなさん、お疲れの様子でした。

 

 いまみたいにスタイリストやヘアメイクもいない時代だったので、みなさんメイクでもなんでも自分でやっていましたね」

 

――イケメンアイドルも一緒でしたね。

 

「そうなんです。私の座る席はいつもイケメンアイドルの横でした。それには理由があって、人気男性アイドルの隣にかわいい女性アイドルが座ると、嫌がらせの手紙が来るなど多くの問題が起きていたんです。

 

 でも、私は女性やお父さん世代のファンが多かったので、隣にいても攻撃されることはなく、むしろ、女性からも『真美ちゃ~ん!!』と声援を送っていただきました。

 

 私は、いつもオチに使われるキャラでした。今では、それがいかにおいしいポジションなのか理解できるのですが、15歳の当時は、誰もが聖子ちゃんになれると信じていた時代だったので、実は傷ついていました。

 

 収録でも笑いを取らないといけない役なので、私の稽古はハードでした。『ただいま!』というセリフだけで100回練習させられたこともあります。

 

 ドアを開けるタイミングや、お客さんの拍手や笑いが収まってからセリフを言う間合いなど、すべてが計算されていました。お母さん役の真屋順子さんと倉沢淳美ちゃんの会話の途中で、そーっとケーキに手を伸ばすタイミングとか、何度も何度も練習しました」

 

――人気絶頂のときに、のぞみ役の高部知子さんのが週刊誌に撮られる事件が起きたのですね。

 

「私はなにが起きていたのかまったく知らず、いつものように現場に入りました。倉沢淳美ちゃんは、彼女と同じ堀越高校だったので、事情を知っていたようです。

 

 あの日は取材陣など人がいっぱいいて、ざわついた雰囲気だったため、私たちは裏口からこっそり帰らされました。事件のあと、のぞみが電話で生出演する回があったのですが、そのときは41%という、番組最高視聴率を記録しました」

 

――ふだんの視聴率はどのくらいありましたか?

 

「平均36%でした。萩本の父が、視聴率30%を切ったら、番組をやめると言っていたので、数字が悪いときは現場がざわついていました」

 

――2曲めの『もしも明日が…。』が発売されたのは、1983年12月21日でした。ちょうど1年ぶりのシングル発売でしたね。

 

「はい。あの歌は、台所仕事をしながら口ずさめる歌というコンセプトだったそうです。お父さんは、『この曲は “めだか” を超える』と言っていましたが、本当に超えたので驚きました」

 

――萩本欽一さんの予言は当たると評判ですよね。

 

「いろいろなことを予言しますが、ハズレもあるんですよ(笑)」

 

――萩本さんとは今でも会われていますか?

 

「はい。父の日には、手作りマドレーヌを持っていったりします。お父さんは、真美が来てもドキドキしないと言って、パジャマで出てきます(笑)。

 

 ショックだったのが、私は親孝行だと思って、ずっと体重を維持していたのですが、あるとき『いつまでもそのままじゃいけないよ。大原麗子さんとか、ベテランの女優さんたちを見習いなさい』と言われてしまいました。

 

 それからダイエットを始めて13キロ落としたのですが、次に会ったときに『なんでそんなに痩せちゃったの?』と言われたんですよ(笑)」

 

――ほかにも、萩本さんのアドバイスが役立ったそうですね。

 

「はい。『なんで私にこの仕事が来たの?』と思ったときは、仕事が広がるチャンスだから絶対やったほうがいいよ、とアドバイスされました。自分がこれをやりたいというだけでなく、他人のポジションから見えることもあるから、それには乗っかったほうがいいと」

 

――今後、やってみたいことはありますか?

 

「無理をせず、来た仕事を楽しくやっていけたらいいなと思っています」

 

 いつも自然体でいる真美ちゃんは、久しぶりに会ってもまったく変わっていませんでした。懐かしいお話、ありがとうございました。

 

■上手に年を重ねるための3カ条

 

(1)50を過ぎたら小綺麗、こざっぱりな身だしなみを
(2)何事もそこそこ、ほどほどにして、毎日、機嫌よく過ごす
(3)「楽しいから笑う」ではなく、「笑うから楽しい~」を心がける

日下千帆
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

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