三遊亭小遊三、40年たっても答えは見えず「もうちょっと、隙のないように落語をしなくちゃね」

三遊亭小遊三

 

「山梨県大月市の育ちなんですが、小学校、中学校、高校の同級生が神楽坂でイタリアンの店を出したんです。

 

 今はその同級生も隠居したので店はありません。

 

 そこでは、一番弟子の二代目三遊亭圓丸(えんまる)の真打披露の打ち上げもやらせてもらいました。その日はワインが飲み放題でした……。

 

 

 酒飲みは意地汚いですね、『ありがたい』ってことで飲んだ、飲んだ。それでトイレで倒れてしまい、あまりにも遅いから弟子が見に来たんです。すると、便器の中が真っ赤。『大変だ、師匠が血を吐いた!』って大騒ぎになりまして。お察しの通り、赤ワインですけど、以来、弟子の信頼は失いました。

 

 で、今日お邪魔したこちらは、その同級生の娘さん夫婦が場所を変えて始めた店です。以前ほど飲めなくなりましたが、美味しい料理とワインを楽しませてもらっています」

 

 落語のように語ってくれた三遊亭小遊三。この日は北海道での高座を終えてから来店したこともあり、おしゃれなジャケット姿だった。

 

「落語との出会いは小学生のときです。親父は明治生まれの頑固者。クスリとも笑わない人で、ご飯のときに子供たちがしゃべると『もの食いながらしゃべるバカがどこにいる』って怒るんですよ。そんな親父が、ラジオから流れてくる落語を聴いてクスッと笑ったんです。

 

『落語で笑うのか』と驚きました。それからは、親父とラジオの落語をよく聴いていましたけど、落語家になろうとは思わなかったですね。大学2年生までは卓球に夢中で、自分で言うのもなんですが、もう少し上手だったらなんとかものになっていたかもしれません」

 

 しかし、当時は大学紛争の真っ只中。学内に入れず、卓球の練習はできなかった。

 

「定期券はあったので新宿に出てブラブラしていました。偶然、『新宿末廣亭』を見かけ『こんなもの、まだやってんのか』と10年ぶりに落語と再会しました。おもしろかったですね。それもあって、学校の仲間が就職の話をするようになって、何も考えていなかったあたしは『落語家にでもなるかな』と言ってしまったんです。それが噂で広まり『お前、落語家になったんだって?(初代林家)三平の弟子か?』って、そりゃ大変でした」

 

 しかし、落語家にツテはない。困っていたら、面倒見のいい先生が六代目三遊亭圓生(えんしょう)に口利きをしてくれた。

 

「しばらく圓生師匠の自宅に通っていましたが、ある日、『お前さんはもう、ようがす』と言われまして。クビ? そうですね。理由は言われなかったなあ。それで落語家になるのは無理だと思ったんです。圓生師匠は落語協会の会長でしたから。

 

 そんなとき圓生師匠の弟子の圓丈(えんじょう)さんが『うちとは別の向こう(落語芸術協会・当時は日本芸術協会)に行って弟子入りすればいいんじゃないか』とアドバイスをしてくれて、三代目三遊亭遊三に弟子入りをお願いしました。

 

 とびきり若い師匠でしたが、とても包容力がありました。あたしたちとも話が合いますから、思い返すともう、バラ色の前座時代。毎日が楽しかったですね」

 

 小遊三は友人の親が持っていたアパートに、「管理人のようなことをすればタダで住んでいい」という条件で転がり込んだ。

 

「師匠の家までは歩ける距離だから交通費はかからない。三度の食事も師匠の家でいただきました。着物も支給してくれるのかなと思ったけど、さすがにそこまでは無理でしたね。8時30分に師匠の家に行き、掃除・洗濯の手伝いや買い物を済ませ、師匠が寄席に行くまでは稽古をつけてもらいます。

 

 ごく普通の弟子の生活ですが、これは師匠によっていろいろで、(春風亭)昇太さんの師匠の(五代目春風亭)柳昇(りゅうしょう)師匠は『掃除がうまくなっても落語はうまくなりません。掃除をする暇があったら新作の一本でも作りなさい』と言っていました」

 

 初高座から14年めの1983年、真打に昇進。小遊三は「『嬉しかった』というより『めんどくさいなあ』と思いました。いろいろな責任を負わされますから」と苦笑するが、同年に『笑点』(日本テレビ系)の出演が決まった。

 

「プロデューサーに呼び出されて局に行ったんです。そうしたら『笑点やるぞ』と。びっくりして『ありがとうございます。一席ですか?』って聞いたら『大喜利だよ』と言われて二度びっくり。だけど、それからウンでもなきゃ、スンでもなかったから『若手を喜ばせてドッキリか?』と疑っちゃいました。

 

 初めての出演ですか? 別世界の方たちばかりで、ウィーン少年合唱団に音痴がひとり紛れ込んだようなものです。

 

 舞台というのは自分の個性を出さなくちゃいけないんですけど、『笑点』にはその必要がないほど番組に力があります。だから、個性を出すのではなく『逆らわないように』ということを心がけました。もっとも、あのメンバーでは個性を出そうにも出せないですね」

 

『笑点』のメンバーとはよく遊んだという。

 

「昨年亡くなった六代目三遊亭円楽さん、今も楽(太郎)ちゃんって呼んじゃいますが、彼とハワイでゴルフをしたんです。『ジャイアント馬場さんも来てるから呼ぼう』となって、ホテルの玄関で待ってたら馬場さんがオープンカーを運転してやって来たんです。これがカッコよくて、一幅の絵になっていました」

 

 寄席、ラジオ、テレビに大忙しだが、「大河ドラマ俳優」の肩書も加わる。『源氏物語』を生んだ紫式部の生涯を描いた2024年1月スタートのNHK大河ドラマ『光る君へ』に、絵師の役で出演する。

 

「青天の霹靂、冥土の土産ですよ。芝居心なんてまったくないし、相手の役者さんとの台詞の往復が難しいですよね。

 

 落語も掛け合いはありますけど、一人二役だから間の取り方は自分次第。まあ、脚本家もあたしには台詞の往復がないようにするでしょう」

 

 21歳で入門、真打になってから40年がたつ。しかし、小遊三は「今も高座から降りるたびに反省ばかりしています。『よし!』と満足できたことはないですね」と言う。

 

「毎日、同じお客さんなら反応も同じだからいいですけど、そんなことはないから笑いが起きるところも違います。だから、難しい。

 

『もうちょっと、隙のないように落語をしなくちゃ』と思っています。完成なんて、まだまだです」

 

 小遊三の噺は続く。

 

さんゆうていこゆうざ
1947年3月2日生まれ 山梨県大月市出身 1968年明治大学在学中に三遊亭遊三に入門。1973年に二ツ目昇進、1983年に真打昇進。1980年、2001年に芸術祭優秀賞受賞。落語芸術協会参事

 

【Buon Cuore(ブオン クオーレ)】
住所/東京都千代田区飯田橋4-7-8 第2山商ビルB1
営業時間/17:00~翌2:00 
定休日/日曜・祝日

 

写真・野澤亘伸

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