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YOSHIKIがNYの世界的な超名門音楽大ジュリアード音楽院教授へ

名門音大から“プロフェッサー”オファーのYOSHIKI

 人気ロックバンド「X JAPAN」のYOSHIKI(年齢非公表)が、なんと米ニューヨークの名門音楽大学「ジュリアード音楽院」の客員教授に就任する可能性が高いことが本紙の取材で分かった。関係者によると、このほど同音楽院から教授就任の打診があり、YOSHIKIサイドが慎重に検討しているという。実現すれば、とんでもない快挙だ。そんなカリスマは音楽以外にも活動の幅をますます拡大。ついに“文化人・YOSHIKI”の誕生まで見えてきている――。

 ジュリアード音楽院といえば、1905年に設立された世界的な超名門音楽大学だ。「音楽」「舞踊」「演劇」の3部門があり、世界中から集まった約850人の天才学生たちが学んでいる。

「世界の大学トップ100をランキングする『QS世界大学ランキング』の『舞台芸術』分野で、ジュリアード音楽院は昨年堂々の1位になりました。2位がウィーン国立音楽大学、3位が英国王立音楽大学なので、まさに世界のトップ中のトップということです」(音楽関係者)

 そんな天才たちが通う超名門校からYOSHIKIサイドに客員教授の打診があったのは、ここ半年のことだという。

 事情に詳しい関係者がこう話す。

「YOSHIKIは今年1月、米クラシックの殿堂、ニューヨーク・カーネギーホールで、全編ソロのピアノによるクラシック公演を成功させています。ジュリアード側は、カーネギーでのプレーをつぶさにチェック。YOSHIKIのクラシックへの造詣の深さとピアノの才能を高く評価しました。一方、米マジソンスクエア・ガーデンや英ウェンブリーアリーナなどでロックコンサートを開いているように、ロックミュージシャンとしての顔もあります。ロックとクラシックの両方の才能を併せ持つ“表現者としての哲学”を学生たちに教えてほしいとのことのようです」

 音楽一家に生まれたYOSHIKIは、4歳でピアノを買い与えられ英才教育を受けた。8歳の時、小遣いで初めて購入したレコードは、シューベルトの交響曲「未完成」とベートーベンの交響曲「運命」が収録されたもの。9歳ですでに作曲も始めていたというから驚きだ。過去にはクラシック音楽を選曲したコンピレーションアルバムまで発売したこともある。

 それでいて、ビジュアル系ロックバンドのリーダーとして、ステージでは凶暴なドラムパフォーマンスを披露。あまりに激しいヘッドバンギングで、5月に頸椎の緊急手術を受けたのは記憶に新しい。このギャップこそ、ジュリアード関係者の心をわしづかみにしたというわけだ。

「詳細は決まっていませんが、おそらくロックとクラシックの関係性のようなものを教えることになるのではないでしょうか。英語もペラペラですし、言葉の問題もないでしょう。ただ、YOSHIKIは忙しすぎるので教壇に立つ余裕があるかどうか…。クリアすべきはスケジュールだけですね」(同関係者)

 YOSHIKIは現在、欧州でも劇場公開が決まったドキュメンタリー映画「We Are X」(昨年公開)のPR行脚中。さらにその合間を縫ってアルバムのレコーディングも行っている。他の仕事も続々と入っており、いくら名誉ある教授就任話とはいえ、本当に可能かは見極める必要があるという。

「首の手術をしたばかりなので、まだ体を鍛えられないんですよ。体調管理も含めてどうなるか、慎重に検討しているんです」(同関係者)

 そんなYOSHIKIは、すでにミュージシャンの枠を超えた存在になりつつある。

 最近も日本人男性として初めてファッション誌「VOGUE JAPAN」の表紙を飾り、話題になったばかり。2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の「ONE TEAM PROJECT」では、iPS細胞のノーベル賞受賞者・山中伸弥京大教授(55)と対談を行う予定だ。トヨタ自動車の豊田章男社長(61)、楽天の三木谷浩史会長兼社長(52)ら、財界とのパイプも太い。

 ある芸能関係者は「この調子で行けば、YOSHIKIは世界的文化人になりますよ。名門音楽大学の教授になればさらにハクがつくのでは?」と指摘する。

“YOSHIKI教授”が、ジュリアード音楽院で「ENDLESS RAIN」や「Forever Love」を披露する日は来るのか。カリスマの決断を待ちたい。

【海外で活躍する日本人音楽家】

 過去に海外で活躍した日本人の音楽家は少なくない。有名どころでは指揮者の小澤征爾氏(82)だ。ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督を歴任。“世界のオザワ”の名を世界に知らしめた。

 ミュージシャンの坂本龍一(65)は1987年に米国で公開された映画「ラストエンペラー」で米アカデミー賞作曲賞を受賞するなど知名度はバツグン。坂本は大学院生時代から“教授(プロフェッサー)”の愛称で知られるが、のちに母校・東京芸術大で客員教授を務めた。

 海外の音大教授としては、ピアニストの今井顕(あきら)氏がウィーン国立音楽大学ピアノ専攻科の客員教授、同じくピアニストの松田康子氏がミュンヘン音楽大学教授に就任するなど、日本人が世界の音楽家の卵を育ててきた。