“ドラフト指名漏れ”の清原長男を支えた母・亜希の「2軍アイドル過去」と工藤静香との絆
プロ野球ドラフト会議で大きな話題となった慶應大4年、清原正吾。ご存じプロ野球界の“番長”清原和博の長男だ。186センチの見事な体格は父親譲り、麗しい顔立ちは母・亜希(55)譲りだろうか。数々の女性誌の表紙を飾ったモデルで、弁当作りのSNSや動画、著書も好調な料理家としても女性の絶対的支持を集める亜希。そんな彼女が“元アイドル”だったことは意外と知られていないかもしれない。
大物アイドルとの絆
「亜希は1984年、CBSソニーと雑誌『セブンティーン』が組んだオーディション『ミス・セブンティーンコンテスト』で特別賞を受賞。15歳で故郷の福井を離れ上京し、本名の木村亜希名義でアイドルデビューしました」
と教えてくれたのは、芸能ジャーナリストの宝泉薫さんだ。応募総数18万人を超えた同コンテストは、優勝の松本典子、網浜直子ら多くの芸能人を輩出した。特別賞の受賞者には、なんとあの人の名前も……。
「工藤静香です。やはり同期の柴田くに子をセンターに、3人で『セブンティーンクラブ』というアイドルグループを結成しましたが、ちょうどアイドルが飽和状態だったこともあり、あまり売れずに2年で解散。その後、静香はおニャン子入りを果たします」(宝泉さん、以下同)
亜希もその後、別のアイドルグループに所属するが、やはり人気の出ないまま解散。モデルに転向する。
セレブ妻から“肝っ玉母ちゃん”に
「グループ解散後も静香と亜希の交流は続いていたようで、2000年に亜希が清原選手と結婚した際には、ひと足早く結婚した静香が、テレビのトーク番組で“亜希の結婚相手を言い当てた”などと得意げに話していました。静香と亜希は1歳違いで同じ誕生日。また、同じ年にそれぞれビッグネームと結婚するなど共通点も多かった。ですが、静香が女児2人、亜希が男児2人を出産したころから、運命は大きく分かれていきました」
2014年に亜希は清原と離婚。離婚前の清原には薬物、DV、不倫、入れ墨など数々の疑惑があったが、2016年に覚醒剤取締法違反で逮捕された。逮捕前の離婚については静香の助言もあったと報道されている。
「その後は女手ひとつで息子たちを名門校に進学させ、スポーツ少年の母としても全力サポート。愚痴をこぼすこともない。自身も母子家庭で育った経験から、母を見習い、周囲の協力を得て子育てをしたと自著で語っています」
息子が高校生と中学生だったころには“朝5時起床、毎日6合の米を炊き、夜10時就寝”という生活を送っていたと明かしている。
「かつてはセレブ妻的なイメージもあったと思いますが、離婚後は、苦労人なのに明るく強く生きる“肝っ玉母ちゃん”。育児や家事、仕事を華麗にこなしつつ、慶應や野球チーム内でのママ友付き合いもこなせるコミュ力を持ち、さらに元夫と家族の再構築を図っていることも公表しており、好感度はさらにアップしていると思います。静香や高嶋ちさ子などクセ強っぽい親友がいるのも、彼女の人間力の高さを物語っている気がしますね(笑)」
“長嶋の再来”といわれた父ちゃんと、最強の肝っ玉母ちゃん。2人の息子はきっと野球を続け、ビッグな選手になるに違いない。
10/30 11:00
週刊女性PRIME