改ざんに揺れる日本 “先進国”アメリカの公文書管理制度とは?

[写真]アメリカの国立国立公文書館は1934年に創立した。日本で国立公文書館ができるのはそれから40年近く後のことになる(アフロ)

 公文書で日本の政治が紛糾しています。森友学園をめぐる財務省の決裁文書改ざんをはじめ、加計学園の獣医学部新設に関する文書や陸上自衛隊の日報問題では、その存否や管理のあり方がクローズアップされています。

 日本の公文書管理への取り組みは海外に比べて遅れていると言われますが、情報公開の“先進国”といえるアメリカではどうでしょうか。アメリカ政治に詳しい上智大学の前嶋和弘教授に解説してもらいました。

          ◇
 日本では財務省の決裁文書改ざん問題が大きな争点となる中、アメリカの公文書管理や情報公開の制度はどうなのか。日本との比較で考えてみたい。簡単に言うと、公文書の記録とその公開のいずれにおいても、日本に比べてアメリカは積極的だ。

建国理念としての「言論・報道の自由」

 日本との比較を考えるのに、どうしてもアメリカという国家の成り立ちを考えざるを得ない。

 アメリカでは国家の根本に「言論・報道の自由」がある。18世紀のイギリスとの独立戦争で血を流しながら独立を勝ち取ったアメリカでは、植民地の独立派が結束するために自由な言論を戦わせた新聞は欠かせなかったためである。

 それもあって、建国間もない最初の連邦議会で人権条項(「権利の章典」)として10の憲法修正条項が提案された中でも、最初に来るのが「言論・報道の自由」であった。

 それ以降、「言論・報道の自由」はアメリカ民主主義の根幹にある。

公文書の「記録」残すルールづくり

 「言論・報道の自由」は、それだけでは理念である。政策情報へのアクセス確保を進めるためには、中央政府に当たる連邦政府の政策についての文書、つまり公文書をどのように記録していくかがポイントとなる。

 19世紀末まで、アメリカは西部開拓を進めることに時間を費やしていた国家建設・国家拡大の時代を経験したため、なかなか公文書の記録までは進まなかったが、20世紀に入ってから公文書に関する法律整備は進んでいく。

 まず、米国政府の省庁や機関はそれぞれ各自で資料を保管することになっていたが、それを一本化するため、1934年にアメリカ国立公文書記録管理局(NARA)が誕生し、「国立公文書館」を創立した。ワシントンや隣接するメリーランド州カレッジパークにある公文書館は日本をはじめ世界の研究者も多数訪れ、歴史研究の拠点となっていることでも知られている。

 また、連邦政府の記録を残すためのルールづくりが進み、1950年には「連邦記録法」が成立した。

 アメリカの政治制度は、中央集権ではなく、連邦政府と州政府が役割分担をして相互補完する連邦主義である。政策についての情報が分散しているのは、現在も昔も変わらない。

 ただちょうどこの20世紀中ごろまでには、いわゆるニューディール政策以降、アメリカは社会保障を国家が積極的に提供し福祉国家化していったほか、戦後の冷戦構造の中、世界の覇権国となっていった。各州にばらばらだった政策情報を連邦政府に一元化する必要性も増えたため、連邦政府が主導して政策情報をまとめる動きも高まっていった。

「公開」の制度化、外国人にも請求権

[写真]1974年8月にニクソン大統領が任期途中で辞任したウォーターゲート事件の後、開かれた政府へ向けて情報の自由法が改正された(Shutterstock/アフロ)

 第2次世界大戦後、公民権運動に代表されるような「平等」や市民的自由・人権が重視される時代の流れが訪れる。冷戦構造の中で、国益を重視するという目的の下に情報公開が滞る傾向があったが、これに対する強い反省が沸き上がった。政治的腐敗を防ぐためにも情報公開を徹底させるべきであるという声が高まっていったのである。ジャーナリストや法律家が情報公開を強く主張し、世論も「知る権利」は支持した。

 この動きを背景に、公文書の「記録」だけなく、「公開」についての規則も作られていく。

 1966年制定の「情報自由法(FOIA)」、および1972年のウォーターゲート事件(後述)直後の74年の同法改正で、連邦政府の公文書に関する情報公開の仕組みが一気に整備された。情報公開は「例外的な措置」ではなく「原則」であるとされ、行政文書は公開されることが義務付けられるようになった。また、各行政機関は記録の請求があったときは何人に対しても速やかに該当する「記録」(公文書)を平等に利用させるように徹底された。

 興味深いのは、請求権に外国人を含んでいる点であり、世界各国のメディアがこの制度を使ってアメリカの省庁からの情報を入手し、数々の世界的なスクープを残している。その中の一つが、1979年に日本の共同通信がスクープした金大中事件(1973年)に関する秘密文書の暴露である。当時の朴正煕大統領の政敵である金大中氏(後の大統領)を東京のホテルから拉致誘拐した事件の犯人について「事件は韓国中央情報部(KCIA)の犯行であることを韓国政府および米政府が認めていた」という事実が情報自由法に基づく共同通信の情報請求で詳細に明らかになった。

法改正で「記録」対象拡大、メールやSNSも

 情報公開のため、さらなる公文書記録が徹底されていく。政府の文書は勝手に廃棄してはならず、徹底的に保存させていく必要性が強調されていく。上述の連邦記録法に加えて、行政(執行)の中心にいる大統領に重点を置いた制度として、1978年には大統領記録法が導入され、大統領と副大統領の公文書の公開が進められた。

 1996年の連邦記録法の改正(電子情報自由法)では、「記録」の中に電子情報も含まれることになった。電子メールも公文書として公開する可能性があるため、保存義務が生じている。

 さらに「透明性で開かれた政府」を公約として発足時から強く打ち出したオバマ政権時には、2014年の法改正で公文書の保存についての罰則規定も強化したほか、行政機関の職員は原則公務でメールを送受信する場合は公用のメールアカウントを使うことを義務づけた。また、個人のメールアカウントを使って公務を行った場合は公用のアカウントにCCで送付するか、20日以内に転送しなければならないと定められた。

[画像]大統領就任後のトランプ氏のツイートも公文書扱いとする見解を国立公文書記録管理局が出した

 2016年大統領選挙の民主党候補だったヒラリー・クリントンの「電子メール問題」はまさにこれがポイントであり、国務長官時に私的サーバーを使い、外国機関に連絡をしたことが選挙戦の大きな争点となった。私的サーバーを使ったことで、夫ビル・クリントン大統領らと共同運営していたクリントン財団関連の連絡などの中に「何か公開できない内容もあったのかもしれない」という疑惑が広がったのは記憶に新しい。

 また、現在のトランプ大統領が矢継ぎ早に繰り出すツイートについても、2017年1月20日の就任以降は「公文書扱いとし、公文書として記録する」という見解を国立公文書記録管理局が出している。

外交や安保では情報公開の例外規定も

 ただ情報公開については例外規定もあって、必ずしもすべて透明であるわけではない。公開請求があっても非公開とすることができる適用除外事項も少なくない。それには、国家安全保障の情報や部内人事事項、個人のプライバシー、事業者関連の営業上の秘密などが含まれている。

 例えば外交文書は、記録作成から機密のレベルに合わせて一定期間を経て機密指定が解除され、国務省から国立公文書館に移管・公開されるのだが、それについて解除されないケースもある(ケネディ大統領暗殺捜査資料の機密指定情報については、特別に1992年に法律を作り、2017年10月にすべて公開する予定だったが、実際は一部を非公開としての開示となった)。

「リーク」で浮かび上がる真実

 時の政権の意向で、さまざまな文書がなかなか公開されない場合は、情報公開の請求者が訴訟を起こすこともある。さらに、内部の関係者がメディアにリークし、真実が浮かび上がるケースもある。例えば、日本でも知られているのが「ペンタゴン・ペーパーズ事件」(1971年))と「ウォーターゲート事件」(1972年)である。

 「ペンタゴン・ペーパーズ事件」については、国防総省(ペンタゴン)から依頼調査を担当したシンクタンク研究員がその報告書を持ち出した事件である。この調査は、ベトナム戦争の際、アメリカが本格的にベトナム戦争に介入する前に戦争に勝てるかどうか、1967年に国防総省が研究者グループにシミュレーションを依頼したものだった。「アメリカは勝てない」とするその内容は、ベトナム戦争に突き進む当時のジョンソン、その後のニクソン政権は一切公開しなかった。非公開に業を煮やした同研究所で研究に加わった研究者の一人のダニエル・エルズバーグは、反戦運動に役立たせる目的で1971年に研究所からその「ペンタゴン・ペーパーズ」を盗み出し、ニューヨーク・タイムズとワシントンポストに持ち込んだ。両紙が一大スクープとして報じる中、ニクソン政権は両紙を機密漏洩罪で訴え、記事を差し止めようとしたが結局、最高裁で敗訴した。

 「ウォーターゲート事件」は、ワシントンのウォーターゲートビルにあった敵陣営・民主党の選挙対策本部をニクソンが盗聴しようとした事件である。結果的にはニクソンはこれで大統領を辞めることになるが、ワシントンポストの二人の記者(ボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン)がさまざまな取材を展開し、他のメディアも次々に関連情報を報じることで、辞任のきっかけとなった。ただ長年、「ディープスロート」という謎めいたニックネーム以外、ワシントンポストの情報源が誰だか分からなかった。しかし、2005年に事件当時のFBI副長官のマーク・フェルトが「私がディープスロートだ」と名乗り出て、世界が衝撃を受ける。フェルトはニクソン政権に強い不満を持つており、捜査情報を内部告発の形でメディアに伝えた。

 どちらのリークについても、当時は(あるいは現在でも)「巨悪を倒す」といった形でメディア側を支持する世論が大きかった。しかし政治的分極化の進んだ現在のアメリカで、内部の人物がメディアへのリークを行った場合、賛否が巻き起こるかもしれない。例えば、ロシア疑惑に対して、連日のようなメディアに対するリークが続いているが、トランプ政権を支持する共和党支持者には拒否反応がある。

 話を日本に戻せば、日本では財務省文書改ざん問題に関するメディアへのリークについては、今後、取材過程の検証などを通じて明らかになってくるかと想像される。

日本で公文書化・公開が遅れる理由

 日本の場合、情報公開が遅れるには理由がある。

 アメリカの場合、政権交代が頻繁にある国である。しかも省庁の幹部クラスは政治任命で急に組織に入ってくる。常に情報を公開できる形にしておかないと組織が動いていけない。執行権(行政権)は大統領に一元化されており、省庁間の情報共有も比較的可能である。

 また、前述のようにアメリカは連邦主義に基づく政治システムである。連邦政府の権限が20世紀半ば以降強くなっているものの、外交や戦争、貨幣の統一など憲法に規定されているもの以外は、基本的に州に権限がある。「地方分権」というレベルではなく、州は独自の憲法があり、情報公開に限れば独自のルールを持っている。連邦政府としては、州との役割分担のためにも情報を開示する必要性がある。

 これに対し、明治維新以来の中央集権的な政治システムである日本は、中央政府の役割が強い。特に日本は官僚の役割が非常に大きい。官僚が政策をつくり、それが行政権のある内閣が提出する「閣法」となっていく。本来、立法府である議員が作る法律は「議員立法」と特殊なものと名付けられるが、その数は全体の1割程度である。つまり、官僚がルールをつくり、それを運用するシステムとなっている。当然、政策に関する情報も公文書も「霞が関」に集中する。

 日本の場合、国家公務員の総合職試験を突破した後は、各省庁の組織内で昇進していく。情報は省内に蓄積され、省内組織でさまざまな状況に対応できるようなノウハウは残っていくが、それは他省庁などとの共有を前提としてはいない。

 また「優秀な官僚に任せておけば大丈夫」という意識が日本人の中にもあるのは事実だろう。そのため、情報公開はなかなか進まない。当然、情報公開は遅くなるし、公文書に対する意識も薄い。日本でもようやく21世紀に入って、2001年の情報公開法、2011年の公文書管理法がそれぞれ施行された。逆に言えば、それまで数多くの政策情報が記録されず廃棄されたほか、そもそも開示請求の制度自体がなかった。日本で国立公文書館が設立されたのは1971(昭和46)年のことだ。

再び改ざんが起きないためのルールが重要

 一方で、アメリカでも上述のペンタゴン・ペーパーズのような隠ぺいや公文書の改ざんが全くなくなった、というわけではない。

 近年では2014年にアリゾナ州フェニックスの退役軍人のための病院で40人ほどの患者が診察待ちの間に死亡したことが発覚したが、その際、診察の遅れが記録に残らないよう、偽の待機者名簿を作成したとされている。この問題で当時のシンセキ退役軍人長官が辞任したほか、待機者名簿の作成に関して透明性を確保するルールづくりが本格化し、現在まで改善策が進められている。

 このように今回の日本の問題のようなことは、アメリカでもあり得る話だが、それでも公文書に関する意識が極めて高いのは間違いない。今回の問題がアメリカで伝えられる際は、日本の政権スキャンダルのニュースとしてしか扱われていないが、今後、公文書についての意識の差も焦点になってくるかもしれない。

 日本では1959(昭和34)年に、山口県がアメリカの公文書制度を模して公文書管理を始めたような自治体の事例はあるが、国としては、公文書管理や公開に関する法制度自体が始まったばかりだ。特定の政治家や役職人物への批判も重要だが、今回の日本の問題でも「公文書改ざんが今後起きないようにするにはどのような施策が必要になるのか」「さらなる情報公開を進めるには何が必要か」というルールづくりが求められている。

----------------------------------------------
■前嶋和弘(まえしま・かずひろ) 上智大学総合グローバル学部教授。専門はアメリカ現代政治。上智大学外国語学部英語学科卒業後,ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA),メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(単著,北樹出版,2011年)、『オバマ後のアメリカ政治:2012年大統領選挙と分断された政治の行方』(共編著,東信堂,2014年)、『ネット選挙が変える政治と社会:日米韓における新たな「公共圏」の姿』(共編著,慶応義塾大学出版会,2013年)

ジャンルで探す