アメリカが中国の人権問題に制裁を加えられない懐事情

アメリカ企業にとってオフィスが1300以上ある香港は、とても“おいしい”存在です。また香港も、これまで中国からアメリカへの中継貿易で利益を上げてきました。人権問題と経済問題の狭間で揺れ動く香港について、どうやって折り合いをつけていくのか…。チャンネルくららでも人気の内藤陽介氏が解説。

※本記事は、内藤陽介:著『世界はいつでも不安定 国際ニュースの正しい読み方』(ワニブックス刊)より一部を抜粋編集したものです。

「一国二制度」を完全に骨抜きにした2020年の全人代

2020年に中国政府は、新型コロナウイルス騒動による隙をついて、香港の民主派の弾圧を本格化します。

まず同年3月末には、コロナウイルスの感染拡大防止を名目に、公共の場所で5人以上の集会が禁止されました(5月になると9人以上に緩和)。そして、4月18日には民主派のリーダーら15人が香港警察に一斉逮捕されるという事件が起こります。

さらに、5月28日の全国人民代表大会(全人代)では、中国政府が“反体制的”とみなした人物や言動を取り締まることができる「国家安全法制」を香港にも導入する方針が採択されました。これにより、香港でも中国本土と同じように反体制活動の取り締まりをできるようにしようとしたわけです。

もともと香港特別行政区基本法の第23条では、一国二制度の原則に基づき、国家の分裂や政権転覆の動きを禁じる法律をつくらなければいけないと規定されています。しかし、それは中国政府がつくるのではなく「香港政府が自ら制定しなければならない」とされているわけです。

どんな国であろうが、どんな地域だろうが、国家転覆罪のような法律は防御措置として必要です。ただし、それは中国政府ではなく香港政府がつくらないといけない、というのが一国二制度の原則であり、建前でした。

▲逃亡犯条例改正案の完全撤回を求めるデモ(2019年6月) 出典:ウィキメディア・コモンズ

とはいえ、この類の治安法は中国の統制強化につながる恐れがあるということで、香港市民は根強く反対してきました。2003年には50万人規模の反対デモが起きるなど、これまでは中国政府も強引に制定するわけにはいかない状況が続いていました。

それをすべてひっくり返したのが、2020年の全人代です。

全人代の決定は、中国政府が香港の治安維持に責任を持ち、立法権限を持つ点を明確にしたうえで、香港政府に治安法の“早期の立法化”を求めるというものでした。ただし、要求はするけれども、実際の立法作業は全人代の常務委員会が行い、香港政府は法の制定後に公布・即日施行するとして、その手続きも決まっていました。

この間に「国家安全法制」について、香港立法会(議会)が審議を行う機会は与えられていません。これは「香港の議会が何かをすることはできない」ということですから、一国二制度が完全に骨抜きにされたことを意味します。

経済的な“うまみ”を捨てられるのか

この中国の動きに対し、国際社会は全人代で採決が行われる以前から、国家安全法制導入の方針を「中国政府が香港の直接統治に乗り出し、一国二制度の原則を踏みにじるもの」として懸念を示していました。

採決前日の5月27日には、アメリカのポンペオ国務長官(当時)が「一国二制度に基づく香港の“高度な自治”が維持されていない」ことを議会に報告したうえで、国家安全法制は「香港の自治と自由を根本的に損なっている」と批判しています。

また同日、米国連代表部も声明を発表し、国家安全法制をめぐる動きについて「香港の高度な自治を根本的に損なうものだ」と懸念を表明しました。つまり、アメリカが香港に優遇措置を与えていた前提が、これまでは建前としてかろうじて残っていたけれど、その建前さえも崩れてしまったので、アメリカも黙っているわけにはいかないというわけです。

このほか、イギリス・オーストラリア・カナダも共同声明を発表し「香港の人々の自由を取り上げ、香港の自治を著しく侵食することになる」と懸念を表明します。しかし結局、6月30日に中国の全人代常務委員会は、香港に導入する「香港国家安全維持法」を全会一致で可決・成立。これを受けて、習近平が同法を公布し、香港政府は同日23時(日本時間7月1日午前0時)に施行してしまいます。

一方で香港側は、全人代での採決が行われるひと月前の5月29日、香港政府の陳茂波財政官が「アメリカの経済制裁に対応するため準備している」と強気な態度に出ました。

「アメリカに輸出する香港の製品は、製造業全体の2%で影響は比較的小さい。ハイテク製品などの輸入で影響を受けるが、欧州や日本から代替品を輸入することで対応可能だ」と主張したわけです。おそらく、そうとでも言わないと北京(中国共産党)に怒られるからでしょう。

ところが現実問題として、香港はこれまで中継貿易で利益を上げてきました。香港の対米輸出の大半は中国などからの再輸出です。中国からダイレクトにモノを送ると関税その他が面倒なので、一度香港に輸出してから中国製品をアメリカに移していました。

結局のところ、そのやり方がかなりの制約を受けるとなると、香港の中継貿易港としての価値が低下して、中国は大きな打撃を受けることになります。加えて、中国の支配が強まるとなれば、香港市民は嫌がりますから資金や人材も流出してしまいます。

▲経済的な“うまみ”を捨てられるのか イメージ:PIXTA

一方、アメリカ側から見ると、香港人権法を適用して中国封じ込めをやるべき状況なのですが、現実問題として香港にはアメリカ企業のオフィスが1300以上あると言われています。また貿易面で見ると、アメリカにとって香港は世界最大の貿易黒字(2018年度で311億米ドル)を生み出す相手でもあります。

当然の流れとして「それを簡単に捨ててしまっていいのか?」という話が出てきます。それを人権問題とどう折り合いをつけていくのか、ということがアメリカにとっても頭の痛い問題となっているわけです。

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