【こちら外信部】世界一野球好きの政治家、マドゥロ大統領 命綱はキューバとの「反米野球同盟」

 新聞・通信社など在京報道8社は毎年春と秋に、外信部・外報部対抗野球大会(トーナメント式)を開催している。50年以上続く歴史ある大会で、わが産経チームは今春、準優勝と“健闘”した。ところで、世界で最も野球が好きな元首級政治家と言えば、米国から退陣圧力を強められているベネズエラのマドゥロ大統領(56)が挙げられる。少年時代は世代別ベネズエラ代表の投手を務めたほどで、政治家としての演出にも何かと野球を活用している。そして今、ベネズエラを舞台に米国と血みどろの諜報戦を展開し、マドゥーロ氏を支えているのも野球人脈で絆を強めたキューバだ。(外信部編集委員 佐渡勝美)
軍幹部と親善試合
 「バモス(さあ行こう)!」「アニモ(頑張れ)!」「ブエン・トラバッホ(いいプレーだ)!」
 190センチを超す長身巨躯のマドゥロ氏の野太い掛け声が、ベネズエラの首都カラカスにある陸軍施設内の野球場に響いた。5月19日のことだ。
 現地紙ウニベルサルなどによると、日曜日のこの日、同野球場では、大統領を含む政府閣僚チームとベネズエラ国軍幹部とのソフトボールの親善試合が行われた。自身が監督兼エースを務める野球チームを持つマドゥロ氏は、本来なら野球をやりたかったようだが、両チームとも50代、60代の高齢選手が多いため、ソフトボールになったらしい。
 マドゥロ氏は閣僚チームの投手で4番打者。投打の活躍を見せ、試合も閣僚チームが17対4で快勝した。試合は新聞やテレビでも報じられ、「大統領に忠誠を誓う司令官たちが空気を読んで手心を加えたのでは…」といった報道もあったが、むべなるかなである。
 マドゥロ氏にしてみれば、自身のマッチョぶり(たくましさ)をアピールでき、政権存続の命運を握る軍との良好な関係も誇示できたのだから、願ったり叶ったりだったに違いない。マドゥロ氏は、敬愛するプーチン露大統領が柔道、水泳などに励み、メディアを抱き込んで強さを演出するのにならい、野球を最大限活用するのが癖なのである。
 一方、トランプ米政権の全面的後押しで暫定大統領就任を宣言している野党連合のグアイド国会議長は同じ日、カラカスの各所でデモを主導し、市民に自身への支持を訴え、軍関係者に反マドゥロの蜂起を呼びかけたが、手応えは今ひとつだった。
少年時代は代表エース
 ベネズエラはサッカーが盛んな南米では珍しく、野球の方が人気が高い。そのためか、南米サッカー連盟の加盟10カ国中で唯一、ワールドカップ(W杯)出場経験がない。一方、野球では米大リーグのみならず、日本のプロ野球にも幾多の名選手を送り込んできた。最近ではDeNAのラミレス監督、西武やオリックスなどで活躍したカブレラ選手、古くは阪急黄金時代を支えたマルカーノ選手などがベネズエラ出身である。
 そんなベネズエラで育ったマドゥロ氏は、ただ者でないことだけは確かだ。
 かつて、中学生世代のベネズエラ代表チームでエースとして活躍。野球選手として将来を嘱望され、高校生になると、米国のスカウトの目にとまり、大リーグにつながるルーキーリーグのチームとの契約を持ちかけられた。だが、マドゥロ氏は野球の道から外れ、別の選択をした。
 肩を痛めたためとか諸説あるが、この間の経緯は詳細不明だ。ただ、16歳の時に慕っていた父が事故死したことと、17歳の時に政治活動が過ぎて高校を退学処分になったことが、野球をやめる契機になったとみられている。
 マドゥロ氏の父は、左派政党の熱烈な支持者で、労働組合のリーダーだった。この父の後を追うように、高校中退後、マドゥロ氏は公営地下鉄が運営するバス会社に就職し、組合活動に没頭。父譲りの手腕を発揮した。ただ、本職のバス運転手としては、事故ばかり起こしていたと伝えられる。
留学で人脈形成
 一大転機となったのは、23歳の時にキューバのハバナに渡り、マルクス・レーニン主義理論を本格的に学ぶため、国立ニコ・ロペス共産党学校に2年間留学したことだった。
 この留学生活では、かつて野球の名手だったことが大いに役立った。キューバといえば、ベネズエラ以上に野球が盛んな国だ。国民への浸透度も高く、様々な職域、教育機関に野球チームがある。マドゥロ氏はそこら中のチームから「助っ人出場」を要請され、可能な限り期待に応えた。党学校の指導教官からは「君は共産主義を学ぶためにキューバに来たのであって、野球をするためではない」と忠告されたというが、野球を通じて付き合いは末広がりに拡大していった。
 特にこの間、キューバの諜報機関「グルーポ・ドス(G2)」に人脈を築いたことが後々、大きな意味を持った。G2はキューバ革命以降、国家存亡をかけて米中央情報局(CIA)と血みどろの謀略戦を繰り広げてきたラテンアメリカ最強の諜報機関だ。
 マドゥロ氏はベネズエラに帰国後も、バス会社の「病欠」を繰り返しては頻繁にキューバに渡航した。将来、親キューバ政治家に育つことを期待され、30歳を超すころには既に、フィデル・カストロ国家評議会議長とも接点があったとされる。
 2000年、マドゥロ氏は37歳で国会議員に初当選すると、05年国会議長、06年外相、12年副大統領と、チャベス政権下でスピード出世を遂げた。外相時代にはリビア、シリア、イランへの訪問歴もあり、反米の立場から外交工作を行ったとみられる。
 軍出身のチャベス前大統領自身も大の野球好きで知られたが、マドゥロ氏の出世の背景には、チャベス氏とともに反米左翼の急先鋒をなしたカストロ氏の強い「推薦」があったのは、公然の秘密だ。
 チャベス氏は13年に58歳でがんで病死する直前、マドゥロ氏を自らの後継に指名したが、意中の本命は実は、自身が党首を務めた統一社会党のカベーリョ副書記長だったとされる。カストロ氏の顔を立てる形で、チャベス氏は逝ったのだった。
G2優位のスパイ合戦
 経済が破綻し、極端な食料、物不足に陥っているベネズエラでは現在、一部の特権階級を除き、国民の多くは飢えている。国外に脱出する経済力のある国民は既にコロンビアやブラジルに難民として越境し、その数は400万人。国内に残った人々はこの2年ほどで、成人は平均10キロ以上も体重を減らしたとされる。
 マドゥロ政権には中露の支援があるとはいえ、米国を中心に先進諸国の大半がグアイド国会議長を支持し、多くの国民が食にも欠くような状況では、本来ならとっくに政権は倒れているはずだ。
 しかし、しぶとく持ちこたえているのは、政権がコレクティーボ(世直し隊)と呼ばれる秘密民兵組織を使って反政府活動を封じていることも一因だが、最大の理由は、政権の命運を握る軍を舞台にしたG2とCIAのスパイ合戦でG2が優位にあるからだ。
 この半年でも、表に出たケースも含めて複数回、マドゥロ氏暗殺計画が未遂に封じられ、CIAによる軍決起工作も毎月のように不発に終っている。「トランプ政権になってから、CIAは綱紀が緩み、諜報の基本が疎かになっている」(日本の外事公安筋)との指摘もある。
 ベネズエラとキューバの「反米野球同盟」恐るべし。二枚腰は想定外の強靱さだ。
 さて、わが外信部はといえば、秋の8社対抗野球での4年ぶりの優勝を目指して、早くも各自調整モードに入っている。30年前、狂がつくほど野球マニアのデスクから「外信野球での1勝は特ダネ3本より重い」と言われたのを思い出した。

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