誰がロンドンの売春婦たちを惨殺したのか…136年経ち、最新の法医学で浮かび上がった“切り裂きジャック”犯人像

腸が体から引っ張り出され子宮や膀胱も切除、喉や顔面はズタズタに…19世紀のロンドンを震撼させた“切り裂きジャック”犯行の内幕〉から続く

 リバプールの綿花商人として米英を行き来していたジェームズ・メイブリックも犯人と目された。1992年、マイケル・バレットというメタル商人が、メイブリックのものとされる日記を発見したと言い出したことが発端だった。

【画像】“切り裂きジャック”に惨殺された3人目の被害者エリザベス・ストライド

残忍な犯罪記録の日記が発見された商人

 その日記には、妻の浮気を知ったメイブリックが5人の女性たちに対して残忍な犯罪を犯したことが記されていたという。その日記は発見されてから、専門家たちに何度も調査され、本当に切り裂きジャックが書いたものかどうかで専門家たちの意見は分かれた。犯人だけが知っている殺人事件の詳細が書かれているという者もいたが、バレットは日記を手に入れた経緯について何度も話を変えているため、日記の真正性には疑問が投げかけられている。

 1993年には、「私はジャック、J・メイブリック」という文字と、殺害された5人の女性たちのイニシャルが刻まれた懐中時計も発見された。しかし、刻印した人物がメイブリックかどうかは不明で、たとえメイブリックが刻印していたとしても、彼が犯人である確固たる証拠とは見なされなかった。

「私はジャックだ」と言い残した殺人医師

 スコットランド生まれで、カナダのモントリオールの大学で医学を学んだトーマス・ニール・クリームを犯人と主張する者もいる。クリームはカナダで違法に中絶手術を行っていたが、強力な麻酔薬が原因で亡くなったとされる患者の遺体が発見されたことから警察の調査を受け、米国に逃亡。シカゴで中絶クリニックで開設するが、そこでは売春婦の患者が数多く死亡していた。クリームは既婚女性と不倫し、彼女の夫を毒殺した罪で終身刑を言い渡されるも早期釈放を勝ち取り、ロンドンに移住。クリームはそこで4人の売春婦を毒殺した殺人罪で、1892年に絞首刑に処されている。

 クリームが犯人ではないかと目されたのは、絞首刑に処される直前、クリームが死刑執行人に対して口にした言葉が「私はジャックだ」だったからだ。しかし、その言葉は死刑執行人以外は聞いていないことや、1888年に切り裂きジャックが殺人を繰り返していた時、クリームは米国・イリノイ州の刑務所に収監されていたとされていることから、クリームが犯人であるという決め手にはならなかった。

男性への「わいせつ行為」で逮捕されたヤミ医師

 ニューヨークで自称「インドの薬草医」として成功していたフランシス・タンブルティにも疑いの目が向けられた。タンブルティはカナダに移住し、売春婦に中絶をさせようとした罪で逮捕されたが、その後、ロンドンに移住してヤミ医者となり、4人の男性に対する「わいせつ行為」で逮捕された。人体解剖学に興味を持ち、女性の子宮の標本を集めていたとも言われている。殺人事件発生時、タンブルティはたまたま保釈されており、タンブルティが1888年11月下旬にイギリスからアメリカへと逃亡した後、犯罪は止まっていた。

 当時の主任警部が書簡の中で「非常に可能性が高いのは、タンブルティという名のアメリカ人のヤミ医者であるT博士」と記していたこともタンブルティ犯人説に真実味を加えていた。この書簡をきっかけに、犯罪史家のスチュワート・P・エバンスはタンブルティを調査し、『切り裂きジャック:米国初の連続殺人犯』という著書を出版している。しかし、ロンドン市警が米国にタンブルティの引き渡しを求めなかったことから、容疑者としては有力視されていなかったとも見られている。

医学的知識を備えた凶暴な精神異常者

 イギリスのタブロイド紙「ザ・サン」が犯人と示唆していたのがトーマス・ヘイン・カットブッシュだ。デイビッド・ブロックという作家も「ザ・サン」が切り裂きジャックの正体を正しく推測したと確信して、カットブッシュに注目し『ジャックになるはずだった男』という本を書いている。医学を学んだカットブッシュは梅毒に罹患後、妄想に悩まされ、収容されていた診療所から逃げ出し、少女を刺す事件を犯したとされている。警察に保護され、精神病院に送られたが、1903年に亡くなるまで暴力的な妄想に悩まされ続けていたという。

 カットブッシュが切り裂きジャックと見られたのは、彼が医学的知識を備えた凶暴な精神異常者であり、当時、殺人現場の近くに住んでいた可能性があったからだ。もっとも、カットブッシュは目撃された切り裂きジャックの身体的特徴と一致しなかったことから、警察はカットブッシュを犯人とは考えなかった。しかし、警察はカットブッシュを庇っているのではないかとも言われた。カットブッシュの叔父がロンドン市警の警視だったからだ。その叔父は1896年に銃で自殺していた。

ジャーナリストや作家に疑われた画家シッカート

 近年になって、犯人ではないかとジャーナリストや作家らに注目された人物もいる。ロンドンで名を馳せ、「切り裂きジャックの寝室」と題された油絵を描いたイギリス人画家ウォルター・リチャード・シッカートもその一人だ。彼の死後、1970年代、ジャーナリストのスティーブン・ナイトは著書『切り裂きジャック:最終結論』の中で、犯人は英国王室の一員であり、シッカートはその王室の一員の共犯者だったという王室陰謀説を展開。

 1990年代にも、作家ジーン・オーバートン・フラーが、彼女の母親がシッカートの同僚からシッカートが犯人だと聞いた話に基づき『シッカートと切り裂きジャックの犯罪』を出版している。

 さらには、アメリカの著名なミステリー作家パトリシア・コーンウェルは2002年に出版した著書『Portrait of a Killer(邦題:真相“切り裂きジャック”は誰なのか?)』で、法医学の専門家チームにリッパーの手紙に残されているDNAを分析するよう依頼し、少なくとも1通のリッパーの手紙がシッカートのミトコンドリアDNAと結びついたと主張している。コーンウェルは2017年にも、科学分析により、シッカートが使用した紙は、リッパーが警察に送ったとされる手紙の一部に使われたものと同じであることがわかったと主張、シッカートが犯人だと確信し続けている。

DNAを根拠に疑われた理髪師コミンスキー

 殺人事件当時、現場となったホワイトチャペル地区に住んで、理髪師をしていたポーランド生まれのアーロン・コスミンスキー犯人説も近年になって浮上した。売春婦を憎み、殺人傾向が強ったとされるコスミンスキーは容疑者として名前があがっていた人物だが、当時、決定的な証拠は見つからなかった。重度の精神疾患を患っていたコスミンスキーは精神病院を転々とし、1919年に亡くなっている。

 そのコスミンスキーについて、2019年、法医学者が、切り裂きジャックの正体はコスミンスキーである可能性が高いとする研究論文を法医学ジャーナルに掲載した。その研究論文によると、切り裂きジャックの4人目の犠牲者であるキャサリン・エドウッズの遺体の近くで見つかったとされるショールに、コスミンスキーの存命の親族のDNAと非常によく一致するDNAが含まれていたという。

 もっとも、研究者の中からは、ミトコンドリアDNAのみを対象とした分析なので、コスミンスキーを殺人犯と断定することはできないという反論もあがった。また、ショールが犯行現場にあったことは証明されておらず、たとえ証明されていたとしても殺人後に汚された可能性もあると指摘されている。

実際に使用したといわれる凶器 ©︎時事通信社

 うつ病からの自殺、内縁の妻たちを毒殺、違法な中絶手術、男性へのわいせつ行為、暴力的な妄想、重度の精神疾患…。容疑者たちが抱えていた闇もまた深かった。ロンドン警視庁に送られてきた手紙には“From Hell”と記されていたが、切り裂きジャックは、確かに、地獄の中にいたのかもしれない。

 事件発生から136年。5人の女性たちの魂は浮かばれることなく、ホワイトチャペル地区を彷徨い続けている。

(飯塚 真紀子)

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