北極探検隊、遭難船で生き残った人は仲間の死体を食べていたことが判明

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© Prince of Wales Northern Heritage Centre, Yellowknife via Getty

生きるためにはしょうがないこと。

1845年5月19日、2隻の船がイギリスのケントから出航しました。北極圏の北西航路の地図作成任務のために、イギリスの海軍将校サー・ジョン・フランクリン率いる探検隊がHMSエレバス号とHMSテラー号に乗り込んでいました。しかし、この探検、悲劇的な結末を迎えることとなってしまったのです。

絶望的な航海

目的地に到達する前に、5人の乗組員が病気のために船を離れました。結果、早々に離脱したこの5人はラッキーだったということになりました。というもの、その後航海を続けた両船とも北極の氷に閉じ込められるという事態になってしまったからです。閉じ込められた船に中で亡くなった人もいましたが、最終的に105人が船から脱出し、陸路での助けを求めて出発。最終的には合計で129人の船員が命を落としています

先に亡くなった仲間を食べていた

船員たちを目撃したイヌイットの証言や、一部の遺体に残された痕跡から判明したことがあります。最後まで生き延びた人は、先に死んでしまった仲間の体を食べていたということです。そして北極遠征から約180年経った今、食べられていた痕跡のある男性の一人の遺体が、エレバス号の船長ジェームズ・フィッツジェームズのものであると特定されました。

研究チームは、キング・ウィリアム島へ数回調査で訪れ、19世紀半ごろの人骨や歯を発見しています。この島は、探検隊の生存者100人以上が、閉じ込められた船を捨てた後に逃げ込み、最終的に亡くなった場所。少なくとも13人の船員の451個の骨が見つかっています。この骨が誰のものだったかは謎のままでしたが、数年前にカナダのウォータールー大学とレイクヘッド大学の人類学者とDNA専門家たちが分析を始め、判明したのです。Journal of Archaeological Science: Reports誌にて、調査結果の一部が発表されています。キング・ウィリアム島のキャンプの一つから収集された17個の骨と歯のサンプルを調査し、そのDNAを船員たちの現在生存している親族から採取したサンプルと比較しました。

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© University of Waterloo

「我々は良質なサンプルを用いて作業を行い、Y染色体プロファイルを生成することができました。そして幸運にも、一致するものを発見できたのです」とレイクヘッド大学の古代DNA研究所のStephen Fratpietro氏は述べています。 フィッツジェームズ船長は遠征隊の上級メンバーでした。彼こそがサー・ジョン・フランクリンの死を宣言する報告書を書いた人物でした。しかし地位の高かったフィッツジェームズ船長の遺体も残った人たちにとっては生き延びるための大切な糧。顎の骨に残された切断痕は生存者たちがその体を食べようとしたことを示しているとのことです。

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© University of Waterloo

身元が判明したのはまだ2人だけ

「これは、他船員たちよりも、フィッツジェームズ船長が先に亡くなったことを示しています。また探検隊の後半の絶望的な状況下、なんとか生きようと奮闘する中で階級や地位が支配的な原則ではなかったことを示しています」と、ウォータールー大学のDouglas Stenton非常勤教授は声明で述べました。

フィッツジェームズ船長は、遺体が特定された探検隊の二人目のメンバーです。一人目は2021年、同じ研究チームのが類似の技術で、発見されていた歯と骨がエレバス号で勤務していたジョン・グレゴリー准尉のものであったと特定しています。エレバス号は2014年に再発見され、2016年にはテラー号も発見されました。

研究チームは、現在、北極探検隊に参加していた船員たちの他の遠縁の家族メンバーにも連絡をするよう呼びかけています。

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