三井住友銀からの巨額融資140億で危機脱出、ケネディクス元社長・川島敦氏が「有事から得た教訓」

ケネディクス元代表取締役社長 川島敦氏(撮影:木賣美紀)

ケネディクス元代表取締役社長 川島敦氏(撮影:木賣美紀)

 史上最高益を記録した翌年、世界的な金融恐慌のあおりを受け、一転して倒産危機に直面した不動産運用会社のケネディクス。大手不動産企業が次々と破綻(はたん)に追い込まれる中、ケネディクスはなぜ生き残ることができたのか――。前編に続き、2024年6月、書籍『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)を出版したケネディクス元代表取締役社長の川島敦氏に、倒産を回避できた意思決定のポイントや、経営危機を通じて得られた教訓について聞いた。(後編/全2回)

【前編】株価80分の1、倒産寸前から奇跡の生還 リーマン・ショックに直面したケネディクス社長の「意外な初動」
■【後編】三井住友銀からの巨額融資140億で危機脱出、ケネディクス元社長・川島敦氏が「有事から得た教訓」(今回)

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苦しい時でも「対話のチャンスを逃すべきではない」

──前編では、国内不動産ファンド業界が急発展した後、2008年のサブプライム危機に直面した中での出来事について聞きました。著書では、決算発表直前に想定外の事態に見舞われながらも予定を延期せず、決算発表に踏み切ったことについて触れています。当時の意思決定の背景には、どのような考えがあったのでしょうか。

川島 敦/ケネディクス元代表取締役社長

1959年、東京都生まれ。開成高校を1977年に卒業、東京大学工学部を卒業後、1982年に三菱商事に入社、イラクと香港で建設実務を習得。1990年に安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)に移り、不動産関連業務で実績を上げた。1998年にケネディ・ウィルソン・ジャパン(現・ケネディクス)に移籍。2001年に取締役副社長、2007年3月に代表取締役社長に就任。2013年3月代表取締役会長、2019年3月より顧問。ほかにSMBC信託銀行顧問、日本エスコン社外取締役などを務める。

川島敦氏(以下敬称略) 2009年1月、ケネディクスの監査法人から「(2008年12月決算に対して当社の今後の存続可能性に疑義があるために)意見書は書けない」と申し渡されました。これを聞いた時、目の前が真っ暗になりました。有価証券報告書に「GC注記*1」が付いたのです。

 当時よく「あの会社もGC注記が付いたから、つぶれるのはもう時間の問題だな」と言っていました。実際に2008年だけで200社以上にGC注記が付き、その大半が倒産しています。つまり、GC注記が付くことは、ケネディクスが事業を継続できるかどうか懐疑的な目を向けられることを意味します。

──監査法人から意見書をもらえるまで決算発表を延期する、という選択肢はなかったのでしょうか。

川島 確かに、監査法人の意見書をもらえなかったために決算発表の予定日を延期する企業が相次いでいました。しかし、そうした企業を見ていると、決算発表を延した直後から株価が急落してストップ安になり、その後は静かに息を引き取る、というケースが多かったのです。

 ケネディクスも意見書がないからといって決算発表を遅らせると、株主に疑心暗鬼を生じさせてしまい、同じ道をたどる危険性があります。意見書がないならば正直に言った方が良いと考えました。

 決算発表に出席する方には銀行や証券会社など、資本市場のプロの人たちが多くいます。上場企業の責務として十分な情報を開示し、「苦しいときも資本市場の人たちと絶えず対話を続けることで、良好な関係を築くべきだ」「せっかくの対話のチャンスを延ばす意味はない」と腹をくくりました。

 いざ決算発表当日を迎え、資料を配布すると、会場の空気が凍りつくのが分かりました。「意見書なし」のインパクトは大きく、出席したアナリストはケネディクスの倒産を予想したことでしょう。結果として、決算発表は何とか乗り切ることができ、株主総会までには意見書をもらうことができましたが、折れそうになる心を奮い立たせながらの決算発表会は実に痺れました。

*1 GC(ゴーイングコンサーン)注記:事業継続のためのさまざまな対策を講じても、1年以内に事業継続ができなくなる可能性がある場合、財務諸表の注記事項の欄に記載しなければならない事項のこと。

Xデーを迎える間際でUBS証券担当者が繰り出した「ウルトラC」

──著書では、株主総会以降も数十億円の支払いが何度も続く中、「保有するキャッシュが20億円と絶望的な状況」に直面したと語っています。どのように資金調達を進めたのでしょうか。

川島 かつては100億円であっても銀行はすぐ貸してくれました。しかし、世界中が金融パニックに陥り、不動産価格も大幅下落する中で簡単に貸してくれる銀行はありません。

 このころ、ゴールドマン・サックスやドイツ証券の担当者がさまざまな資金調達案を提案してくれましたが、実施しようとするたびに本国の本社審査部門から却下されてしまいました。なぜなら、2009年の200億円の社債償還は仮にできたとしても翌年の2010年にはさらに社債150億円の償還が迫っており、「そこまでは面倒見切れない」という判断が下されたからです。

「万策尽きた。もはやXデーを待つしかないのか」、そう覚悟したところで、UBS証券ケネディクス担当者の戸田淳氏(現・レインメーカーズ代表取締役)と坪山昌司氏(現・キャピタリンク・パートナーズ代表取締役)が繰り出したのは「プロジェクト・リンドバーグ」と名付けられたウルトラCとも言える奥の手でした。

 それは国内では前例のない「エクスチェンジ・オファー」という手法です。この手法で「200億円以下であれば国内の引受審査部の権限で資金調達が可能」ということだったので「もうこれに乗るしかない」と心を決めました。

──エクスチェンジ・オファーとは、どのような手法なのでしょうか。

川島 具体的な方法はこうです。まず、ケネディクスが新株を発行し、現金を調達します。経営危機にあるケネディクスの株を買う人がどれだけいるかは未知数ですが、仮に200億円集まらなくても、調達できた資金は全額、社債の償還に充てることができます。それでも足りない分は、「新しい3年物の社債」を発行して「古い社債」と差し替えることをステークホルダーに提案します。それに承諾してくれた人には当面お金を払う必要がなくなりますので、キャッシュを用意せずに済む、というわけです。

 一方で、「社債の差し替えに快く同意した自分たちには何もなく、同意しなかった人は満額返してもらえるのは不公平ではないか」という声も出てくることを想定して、戸田氏と坪山氏はここにある条件を加えました。

「社債を持っている人の85%がこの手法に同意してくれればよいが、そうでなければケネディクスはつぶれてあなたの持っている社債の価値はゼロ円になってしまう。なんとか新しい社債を引き受けてほしい。そうすれば生存者利得を得られる」と言ってできるだけ多くの同意を引き出そうとしたのです。不安と欲という人の心理を突いた見事な設計です。

 このエクスチェンジ・オファーが功を奏し、ボロボロの会社を建て直すことができました。自分たちの力だけでケネディクスを立て直すことは到底無理でした。リスクマネーを払い、条件に同意してくれた世界中のステークホルダーには感謝してもしきれません。

「140億円の巨額融資」を受けることができた勝因

──その後、メインバンクの三井住友銀行からも巨額融資を受けることに成功しています。何が勝因だったのでしょうか。

川島 プロジェクト・リンドバーグが見事に成功し、奇跡的に社債を償還できたことで、支援を決めてくれたのです。三井住友銀行の担当者とは土日も出勤して資金繰りや貸し増しの相談を重ねてきましたが、新株を発行できて資本増強を成し遂げたのを見届けた上での決定でした。

 もちろん、これほど難しい融資が簡単に通るはずはありません。これには裏話があり、ケネディクスを「誠実でウソだけはつかない」と評価してくれ応援団になってくれていた同行の清水喜彦常務執行役員が頭取に「ケネディクスへの140億円の融資、あれは絶対にやりましょう!」と言ってくれていたのです。つくづくケネディクスは強運な会社だと感じました。

──ケネディクスは金融機関や投資銀行など、多くの企業を味方につけて応援されていたように思えます。窮地に追い込まれたとき、味方になってくれる人を増やすためにはどのようなことを心得るべきでしょうか。

川島 とにかく誠実で嘘をつかないこと、相手を大切にすること、ではないでしょうか。自社の業績が良いからといって、銀行間で金利の競争をさせたり、他の資金調達案があるからと無下にしたり、そういうギスギスしたことばかりしていると相手の心は離れていってしまいます。常にお互いの信頼を醸成するようなコミュニケーションを取ることです。

 例えば、担当営業から「今期のノルマに届かなくて困っている」と泣きつかれたら、100%応えていました。そうした小さなことの積み重ねで、銀行との信頼関係を築いていくことを大切にしていました。

常に「頭の体操」をしてプランBまで想定しておく

──著書では、2010年に入り「死闘の25カ月の末、ようやく生存確率が100%になった」と述べています。長く苦しい戦いから得た教訓は何だったのでしょうか。

川島 業界関係なく重視すべきことは「バランスシートを意識した財務上の規律を作っておくこと」だと思います。「自己資本比率は絶対に25%を下回らないようにする」という規律でもいいでしょう。今のケネディクスは絶対に債務超過にならないようなルールが敷かれています。

 銀行との信頼関係を構築するためのバンクリレーション、資本市場との対話を絶えず続ける努力も欠かせません。いざという時に助けてもらえる関係づくりは必要不可欠でしょう。

 自身の反省点は、サブプライム危機が日本の不動産業界に与える影響になかなか気付けなかったことです。以降、「対岸の火事」の深刻度に少しでも早く気付くためにも、常に「頭の体操」をすることを心がけています。

 例えば、ロシアとウクライナの戦争が日本の不動産業界に与える悪影響があるのかないのかを考えてみてほしいと思います。もっと身近で考えるなら「中国の不動産バブル崩壊が日本の不動産業界にどのような影響をもたらすか」を考えてみてもよいでしょう。

 そうしたシミュレーションを経営幹部でできるようにしておくといいと思います。シミュレーションした上で「プランA」そして「プランB」まで想定しておくこと、そして、環境の変化に合わせて素早く対応することが肝心です。

 これは自分のことを棚に上げてあえて申し上げるのですが、伝統的な日本企業の多くは異変に気付くのが遅い、かつ捨てることが上手ではないように感じます。環境が変わって祖業が立ち行かなくなっても、なかなか祖業を捨てる判断ができません。

 最近になってようやく祖業の見直しや整理に着手する企業がありますが、すでにその分野では海外に後れを取り、シェアも奪われていることも多いはずです。短期間で環境が激変する現代においては、変化に合わせて一層スピーディーに対応することが何より大事だと考えています。

【前編】株価80分の1、倒産寸前から奇跡の生還 リーマン・ショックに直面したケネディクス社長の「意外な初動」
■【後編】三井住友銀からの巨額融資140億で危機脱出、ケネディクス元社長・川島敦氏が「有事から得た教訓」(今回)

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