NASA×JAXAの月面開発、チームジャパンが立ち向かう月の過酷すぎる環境と「天敵」

ジャーナリスト 中村尚樹氏(撮影:木賣美紀) 

ジャーナリスト 中村尚樹氏(撮影:木賣美紀) 

 アメリカ人以外で初めてとなる“日本人の月面着陸”が期待されている月面探査プログラム「アルテミス計画」。NASAが主導するこの計画によって、人間が月で生活する日も着実に近づいている。そして、その月面調査で重要な役割を担うのが、三菱重工をはじめとする複数の民間企業だ。宇宙開発と民間ビジネスの距離が縮まりつつある今、宇宙ビジネスの形はどう変わりつつあるのか。前編に続き、2024年6月、著書『日本一わかりやすい宇宙ビジネス ネクストフロンティアを切り拓く人びと』(プレジデント社)を出版したジャーナリストの中村尚樹氏に、宇宙ビジネスの最新動向と、そこで注目を集める日本企業の動きについて聞いた。(後編/全2回)

【前編】大林組の宇宙エレベーター構想、10万メートルの高さでも倒れない「驚愕の理論」とは
■【後編】NASA×JAXAの月面開発、チームジャパンが立ち向かう月の過酷すぎる環境と「天敵」(今回)

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宇宙ビジネスで求められるのは「地球全体を考える視野と想像力」

――前編では、急成長する宇宙ビジネスの分野で進む「民主化の動き」について聞きました。現在、宇宙ビジネスの市場ではどのようなニーズがあり、日本企業はどのような分野で強みを有しているのでしょうか。

中村 尚樹/ジャーナリスト

1960年、鳥取市生まれ。九州大学法学部卒。ジャーナリスト。法政大学社会学部非常勤講師。元NHK記者。著書に『最先端の研究者に聞く日本一わかりやすい2050の未来技術』『最前線で働く人に聞く日本一わかりやすい5G』『ストーリーで理解する日本一わかりやすいMaaS&CASE』(いずれもプレジデント社)、『マツダの魂-不屈の男 松田恒次』『最重度の障害児たちが語りはじめるとき』『認知症を生きるということ―治療とケアの最前線』『脳障害を生きる人びと-脳治療の最前線』(いずれも草思社)『占領は終わっていない-核・基地・えん罪 そして人間』(緑風出版)、『被爆者が語り始めるまで―ヒロシマ・ナガサキの絆』『奇跡の人びと-脳障害を乗り越えて』(共に新潮文庫)、『「被爆二世」を生きる』(中公新書ラクレ)など。共著に『スペイン市民戦争とアジア-遥かなる自由と理想のために』(九州大学出版会)、『スペイン内戦とガルシア・ロルカ』(南雲堂フェニックス)、『スペイン内戦(一九三六~三九)と現在』(ぱる出版)など。

中村尚樹氏(以下敬称略) 宇宙ビジネスというとロケットに注目が集まりがちですが、国際市場におけるロケットの開発・打ち上げサービスが市場全体に占める割合は1~2%程度に過ぎません。

 宇宙ビジネスのメインストリームは、テレビやGPS、データ通信などの「情報通信サービス」、気象衛星をはじめとする「地球観測・リモートセンシングなどのデータ取得サービス」、そして、それらにまつわる「地上設備」「安全保障」などです。

 これらの分野において、日本が優位性を持っているのは「ハイパースペクトルセンサー」です。これは、通常の光学センサーよりも波長を細かく観測することで、より広い領域を高い精度で識別できる次世代光学センサーです。地球の資源開発や環境保全を推進する強力なツールとして、大きな期待が集まっています。

 このセンサーによって、例えば石油資源に関する遠隔探知能力を大幅に向上させたり、海に捨てられた非常に細かいマイクロプラスチックを識別・検出できるようになったりします。水質汚濁や土壌汚染などの環境対策の面でも、日本の有力な技術になるでしょう。

 こうした宇宙ビジネスを考える上で重要な視点は、ターゲットを「日本」だけに絞るのではなく「地球全体」に広げることだと思います。実際、宇宙からのリモートセンシング技術が生かされるのは、日本以外の広大な砂漠やアマゾンの密林、大海の中の離島、極寒の海氷、または災害が起きている現場などです。つまり、人がなかなか足を踏み入れることができない場所、あるいは、通信インフラが全く整備されていない地域と言えます。

 そうした場所において「今、何が起きていて、どういった状態なのか」「人間が気づかないうちに、深刻な事態が起きているのではないか」ということを把握するニーズが存在しています。だからこそ、日本以外の地球全体をターゲットに「どういったデータのニーズがあるのか」「そのデータを使って何ができるか」という視点から考えることが必要だと思います。

 世界から注目を集めている日本の宇宙ベンチャーも、前述の分野にビジネスチャンスを見いだしています。例えば、人工衛星開発を行うアクセルスペースは、地球温暖化の影響で北極海の海氷が減少する中、夏場の北極海航路を実現するために北極海の海氷状況を観測するサービスを手掛けています。また、超小型衛星の企画開発などを行うアークエッジ・スペースは、アマゾンの環境保護のために衛星画像を用いて森林破壊の状況を観測する取り組みを続けています。

 宇宙ビジネスの分野では、視野を地球全体に広げて「想像力を地球規模で膨らませること」が必要不可欠ではないでしょうか。

チームジャパンの月面探査車が立ち向かう「天敵の存在」

――著書では、もう一つの宇宙ビジネスの領域として「月面開発ビジネス」を挙げていますが、こちらも大きな発展が期待されています。

中村 月面開発の分野では、トヨタ自動車が三菱重工などと連携して開発を進める月面探査車、通称「ルナクルーザー」(正式名称は「有人与圧ローバ」)が期待されています。この月面探査車は、JAXAを通してNASAの有人宇宙飛行(月面着陸)計画である「アルテミス計画*1」での使用が予定されています。

 ルナクルーザーの大きさはマイクロバスを2台つなげたくらいで、車両の内部の圧力を調整する(与圧する)ことで車内を密閉空間にします。こうして地上に近い環境を作り出すことで、宇宙飛行士が宇宙服を着なくても過ごせる構造になっています。

 車内には4畳半ほどの居住スペースがあり、そこで2人の宇宙飛行士が最長で42日間、生活しつつ移動をしながら月面探査を続けることができます。また、長期間にわたるミッションになるため、宇宙飛行士が精神的な安定を保てるように、できる限り快適な居住空間と操縦機能を提供することも考えられています。

――宇宙飛行士の精神面にも細やかな配慮が求められるのですね。

中村 そうですね。月には大気がなく、昼と夜の寒暖差が300度と、人間にとって非常に過酷な環境です。重力が地球の6分の1しかないことも健康に悪影響を及ぼします。だからこそ、宇宙飛行士のストレスを少しでも軽減するような工夫は必要不可欠でしょう。

 そして、月面を車両で走行する際には、前提条件が地球とは全く異なる点も見落とせません。月の表面は「レゴリス」と呼ばれる粉末状でギザギザの砂で覆われています。それが舞い上がり、車両の機器の中や車輪の間に入り込んでしまうと、車両の故障や走行不能の原因ともなりかねません。こうした天敵にも適切に対処しなければならないのです。

月を覆う粉末状でギザギザの砂「レゴリス」にも適切に対処しなければならない

月を覆う粉末状でギザギザの砂「レゴリス」にも適切に対処しなければならない(写真提供:共同通信イメージズ)

 また、地球上の200倍超と言われる放射線の電子機器への影響や、空気がないために熱伝導が起こらないことによる熱対策、さらには、静電気による太陽光パネルへのレゴリスの付着問題など、地球上では考えられない過酷な環境に耐え得る車両を作らなければなりません。

 加えて、今回は有人探査ですから、人間の命がかかっています。「地球での実験では成功したけれど、宇宙ではうまくいかなかった」では済まされないミッションです。それだけに、非常に高度かつ慎重な技術開発力が求められています。

 このプロジェクトは、日本の基幹産業であるトヨタの自動車技術の力と、潜水艦製造の優れた技術を持つ三菱重工の力を結集した「チームジャパン」のプロジェクトであり、日本の総合的な技術力が試される、とても重要かつ大きな期待が持てるプロジェクトだと思います。

*1 アルテミス計画:2017年から始まったアメリカNASAの有人宇宙飛行(月面着陸)計画。月を探査し、人類の拠点を築き、さらには、火星探査もめざすプログラム。具体的な目標としては、2026年に宇宙飛行士の月面着陸、2028年までに月面基地の建設開始をめざしている。

宇宙ビジネスの挑戦者に求められる「引き返す勇気」

――宇宙ビジネスに関わる多くの科学者や研究開発者、また、企業家やプロジェクトリーダーへの取材を踏まえ、宇宙ビジネスに取り組む上で大切なことはどのようなことだと考えていますか。

中村 私が宇宙ビジネスの取材を進める中で特に印象深かったのは、大手ゼネコンの鹿島建設で「人工重力装置」の開発リーダーをされている大野琢也氏の言葉です。彼は「いつでも“引き返すことができる”ようにしておくことが、宇宙ビジネスに取り組む者としての務めなのではないか」と話しました。

 将来的には、人間が月で暮らす時代が来るかもしれません。それは、月の資源開発や新たな経済圏づくりという意味で、人間にとって魅力的で夢のあることでしょう。しかしそれと同時に、長期間におよぶ宇宙滞在では、先ほどお話ししたように重力の変化によって「歩き方が変わる」「視力が低下する」「筋肉や骨が委縮する」など、人体のさまざまな機能低下を招く恐れがあります。

 この他にも、宇宙放射線による身体への悪影響も懸念されています。仮に宇宙空間で子どもが生まれるようになった時、その子どもが身体的にどう成長するか、現時点では全く分かっていないのです。

 宇宙ビジネスは「未知の世界へのビジネス」です。それだけに、人間にとって何が起こるか分かりません。ですから、少しでも分からないことが発生したならば、すぐに引き返す勇気が必要です。

「お金も時間もかけたのだから」「周りから期待されている重要なミッションだから」という理由でただ突き進むのではなく、分からない時には引き返すことが必要でしょう。自分自身の命や次の時代を担う子どもたちの命を考え、「引き返す勇気」を持ちながら、新たなフロンティアを開拓することが大事だと思います。

 また、宇宙へのチャレンジは、そのプロジェクト自体が失敗と評価されても、必ず人間にとって何かの役に立つものです。地球上の砂漠や極寒の地で人間が生活できる知見、技術が得られるなど、多くの可能性を秘めています。だからこそ、たとえ途中で引き返したとしても、それは失敗ではありませんし、一面的なゴールだけを追うのではなく、いろいろな可能性を発見する姿勢こそが求められていると思うのです。

【前編】大林組の宇宙エレベーター構想、10万メートルの高さでも倒れない「驚愕の理論」とは
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