「Z世代はすぐに転職する」真偽をZ世代に聞く

しゃがみこむ若いビジネスパーソン

Z世代は「転職」についてどう考えているのだろうか (撮影:今井康一)
若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。
企業組織を研究する東京大学の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――たとえば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめとするビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。
本記事では、前回、前々回に続いて、著者の舟津昌平氏がZ世代の東大生3名に、世で語られるZ世代像へのリアルな意見を聞いていく(3名は仮名、敬称略)。

Z世代は転職したがってるって聞くけど…

舟津:若者はよく転職しているし転職したがっていると、イメージとして語られることがあります。みなさんはまだ学生ではありますが、ざっくりでも構いませんので、転職やキャリアについてどうお考えですか。

Z世代化する社会: お客様になっていく若者たち

菊池:僕はシンプルに選択肢が増えただけだと思っています。要は、一昔前は新卒で入社してしまえば、最後までその企業で働くことが固定観念としてあったり、美徳とされていた。なので、そもそも転職が選択肢として考えられていなかったのが、市民権を得て一般的になっていったというイメージです。

舟津:なるほどね。まさに選択肢として浮上しただけといえばだけの話だと。

でも、実際その通りなんですよね。若い人の転職が増えているイメージはあると思うんですけど、早期離職率、入社して3年で辞めている割合って、30年でほぼ変わっていないんですよ。不思議な話で、1年目、2年目、3年目で、だいたい10%、10%、10%で、3割辞めている。選択肢が浮上したとて、実際の意思決定は変わっていないっていうところがリアルなんだと思います。

ただ、会社や上司の側としては、選択肢がちらつくから、やっぱり思考は混乱しちゃうんですよね。中村さんはどうですか。

中村:僕は、1つの会社でしか働けない人間にはなりたくないと思っているので、その意味では転職志向だと思います。キャリアもとにかく選択肢を常に多く持っておきたい。どこでも働けるし、いろんな人から求められる人間でありたいです。

とはいえ、いい会社だったらずっとそこにいてもいいなとも思います。ですので、転職をしたがっているというよりは、自分のキャリアの自由度を高くしたいという自己中心的な欲求があるという感じです。例えば「今働きたくないや」って思った瞬間に辞めても大丈夫な、すぐ戻れるような状況を、幻想に近い理想とわかったうえで、目指したいと思っています。

舟津:1つ素朴に聞いてみたいのが、会社に対して「組織のために」って思うことはありますか。というのは、私は組織論の研究者ですので、組織は給料を与えるだけ、取引相手としてでしか存在しない、という個人のキャリアを強調する文脈では、組織は不要になってしまうんですね。

転職は考えるけど、企業への忠誠心もある

中村:僕はめちゃくちゃあると思っています。たしかに今の言い方だと、超個人主義的ですけど、組織にいるときは、猛烈にその組織に愛を捧げるタイプだと思っています。剣道部に入っていたときとか、塾講師をやっていたときにも、もっと時給のいいバイトがあると言われても、「ここの同僚や生徒に愛着があるから、ここでやりたいんだ」って返していました。だから、転職を考える場面になってみないとわからないですが、そのときは後ろ髪を引かれるんだろうなと思っています。

舟津:そうなんですね。個人化を強調する言説が目立つので、会社や組織に尽くすマインドがあるんだなと新鮮に感じました。

中村:僕が就活している中で、転職をめちゃくちゃされている方々でも、前職の会社のこととか普通に「好きだよ」とかおっしゃるんですよ。「前の会社には今でも、戻れるなら戻りたいと思ってるし」みたいなことを言っていたりするので。だから、僕の認識と同じような人も意外と多いのかなって思っていました。

舟津:それは面白いですね。最近、会社を辞めた人(アルムナイ)と何らかの形で繋がっておきませんか、みたいな仲介サービスがあるんですけど、たしかに需要はありそうですね。原田さんはどうですか。

原田:私は、人生全体を通して何をやるかが一番重要だと思っているので、そのゴールは学生の今は見えてはいませんが、そのための手段として転職はあるのかなと思っています。

ただ、会社への帰属意識がないかと言われると、全然そんなことはありません。もし私が何かやりたいことが見えてきたとして、そう思えたのはきっとその会社で経験を積んだからだと思いますし。ですので、転職はたしかに選択肢としてあるけど、企業への忠誠心、帰属意識は当然のように両立するのかなって思いますね。

舟津:すごくわかります。今って、「日本経済は落ち目だけど、あなただけは助かりましょう」みたいな利己的な生き方が強調されることがあります。でも、なりふり構わず自分だけは生き残ろうっていうのは実は商材の宣伝文句でしかなくて、他者への貢献意識なくてはやっぱり生きていけないと思うんですよね。

今回の座談会で何か1つ結論めいたものを導くとしたら、みなさんには自分とか個っていうのが間違いなくありますけど、他の要因と複雑に絡み合っているというか、バランスがとれている。前回のSNSにしても、まったく知らないわけでもなければ依存しているわけでもなくて、自分の中でコントロールできている。そのうえで自分があるっていうのが大事なことですね。

Z世代として社会に求めることはあるか

舟津:最後に、無茶ぶり的な質問になっちゃうんですけど、Z世代の立場として、あるいは個人の立場としてもいいので、社会に求めるものがあったら教えてもらえますか。「今の日本社会、最高だと思います」みたいなものでもいいので。何か言えることがあれば。

原田:私から社会に対して求めることがあるとしたら、自戒の意味も込めて、自分を省みる人がもっと増えたらなと思います。共産主義とか学生運動で言われる自己批判というわけではないんですけど、「多様性の時代だから、変わらなくていんだよ」とか「そんなうるさいことは言うな。俺は俺なんだ」っていう個人主義も行き過ぎているように思うところもあるので。それでいて、SNSの炎上みたいに、他人ばかり批判している側面もあって、自分を省みる思想がもっと日の目を見てもいんじゃないかなって思いますね。

舟津:ええこと言いますね(笑)。意訳ですけど、自分に甘くて他人に厳しい人が多いと。私もコメントやレビューで批判されることがあるんですけど、その批判がある程度正しいとしても、あなたはどうなんですかってどうしても思うときはありますね。中村さんはいかがですか。

過剰一般化に陥らないために

中村:僕は、俯瞰すること、別視点の可能性を想像することが社会にもっと必要なのかなと思いますね。例えば、「Z世代ってこうだよね」っていう見方もやっぱり危険で、自分がZ世代だったらどうなのかとか、他のZ世代はどうなのかって、結論を出す前に一呼吸置くだけでも出てくる答えが違うのかなって思って。

他の例で言うと、「東大は、東大生はこうです」みたいに言うのもおかしいと感じます。他の大学とまったく変わらないとは言いませんが、同じ地続きの中にあるものです。だから、「こうなんだろ」っていう先入観を持つんじゃなくて、「こうだとされてるけど、実際どうなの?」っていう歩み寄りがあってほしいですね。

舟津:対話的じゃないとは思いますね。俯瞰や対話が大事って、ないから言われるのかもしれないけど、これだけ社会の中で言われているにもかかわらず、ほとんどの人はそんなことしていない。「あなたはZ世代ですけど、こうらしいですね」って言うのは、「みなさん東大生ですけど、頭のいいマウントしまくってるらしいですね」と構造は同じなんですよね。

東大生だろうが、京大生だろうが、一流企業であろうが、同じだと思います。触れ合ってみたら、ああ、いろんな人がおるなとわかる。

中村:おっしゃる通りですね。

舟津:ただその中で、ある程度共通しているものとか、背景にある構造が見えてくると思うので、「なるほど、この人はこういう背景があるから、こう考えるんだな」というのは、まさに対話することで、俯瞰することでわかることでもありますよね。一般化するには飛躍があるにせよ、社会構造は共有されていて、それを見ましょう、ということですね。最後に菊池さんは何か社会に求めることってありますか。

菊池:僕は、広い質問に狭く返そうかなと思って。やっぱり、ここまで誹謗中傷がひどいと、何かしらの規制が必要なのかなって思います。たとえば、芸能人が悪いことをしたとして、別に活動休止するほどじゃなかったとしても、ネットの気分、炎上の盛り上がりという曖昧な基準によって、そうするべきという雰囲気が作られてしまっている。だから局所的な回答ですけど、そうした誹謗中傷を抑制するような規制がいるのかなと。

「オトナ」としてやっていくべきこと

舟津:まず、本筋に関係のないところでリプライすると、規制っていろんなデザインが考えうるんですよね。たとえば町の治安をよくするためには、厳罰化すればいいとは限らなくて、実際に法を犯す人は事後的な結果の重さを予測できない可能性がある。ならば、警官が見回りをした方が効果があるかもしれない。どうやったら実害を減らせるのかは、工夫の余地は多々ありそうです。

でも、誹謗中傷がひどいのはたしかですね。しかも、悪いことをしたとみなされる人に対してノーリスクで正義のポジションをとれる構図がある。だから、本当は個人を守るバッファーとしての組織の役割が社会的に強調されるべきですし、あまりに個人をリスクにさらしていることに疑問を持つのが大事だとは思います。それをSNSネイティブもおかしいと思っていると、記事で公に言えることはすごくいいことだと思います。「オトナ」としては、若者が当然のようにおかしいと思っていることを改善できるよう、努めていかないといけませんね。

みなさん、本日は大変真摯にお答えいただき、ありがとうございました。

(舟津 昌平 : 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師)

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