日本がアメリカにかなわない根本的理由とは何か

9月20日の植田日銀総裁の会見。筆者は前よりはよくなったが、つまらないという。自民党総裁選の討論会もつまらないが、それはなぜなのか。アメリカと比べるとわかるかもしれない(写真:ブルームバーグ)

やっぱり日本はダメだ。アメリカのようには行かない。根本的に何かが違っている。なぜなんだ?

アメリカ大統領候補の討論会が純粋に面白いワケ

27日に投開票される自民党総裁選挙は、当初こそかなり盛り上がったものの、すでに国民一般の関心は失速気味だ。報道はいまだに続いているが、連日、ほぼ同じ議論とキャッチフレーズが繰り返され、自民党員以外は関心を失ったようだ。

一方、アメリカ大統領選挙は、日本には直接関係ないのに、NHKは地上波で、ドナルド・トランプ前大統領とカマラ・ハリス副大統領の討論会90分超を完全生中継した。

同国では視聴者数は5750万人以上と推計されているが、日本でも、NHKをはじめ、多くのニュース番組ではトップ扱い、かつ大々的に報道された。この持ち回り連載で執筆しているかんべえ氏(=吉崎達彦・双日総合研究所チーフエコノミスト)にとっては、選挙分析は仕事だから(趣味でもあるか?)かぶりつくのは当然としても、私ですら、最近の記者会見などではいちばん熱中した(現地PBSのネット配信だが)。うちの妻ですら、私と一緒に90分間飽きもせずに見続けた。

自国の総理候補の政策には関心がないのに、ほかの国の政治ショーには熱中するなんて、日本人は暇なのか?そんなに自国は余裕があり、何の心配もないのか?それともやっぱり単に暇なのか?私は確かに暇でもあったが、アメリカ大統領候補の討論会は純粋に面白い。だから熱中したのだ。

では、なぜ面白いのか?それは後のほうで議論することにして、さて、金融関係者にとっては、今週(9月16~20日)は中央銀行ウィークだった。

まず、FED(アメリカ中央銀行)が金融政策決定会合(FOMC=公開市場委員会)を17~18日に開催、18日にはジェローム・パウエルFRB(連邦公開市場委員会)議長が記者会見した。19日は英国の中央銀行であるイングランド銀行が政策表明。そして、日本銀行が19~20日に政策決定会合を開き、20日に植田和男総裁の記者会見が行われた。

この原稿の9割は日本銀行の決定も記者会見も終わっていない19日に書いたのだが、はっきり言って20日15時半からの植田総裁の記者会見の感想を書けと言われれば、すぐに書けてしまいそうなほど、事前に予想できる。

パウエル議長の記者会見はなぜ充実しているのか?

一方、パウエル議長の記者会見は、いつも充実している。彼の質疑応答での言葉や雰囲気、すべてが何かを伝えてくる。私が、パウエル記者会見ウォッチャーなのは、「なぜ日本はアメリカとこんなにも違うのだろうか」(6月15日配信)でも書いたように、本連載ですでにバレバレだ。

だが、私が早朝にもかかわらず、熱心に毎回見ているのは、しかも、真面目の前に2文字がつくほど真面目なパウエル議長の会見でも、寝ないでいられるのはなぜだろうか? 彼の話は、トランプ氏の議論(口論?)と違って、面白くはない。いったいなぜなのか?

それは、パウエル議長も、質問する記者たちも、本気(マジ)だからである。「マジ?って、オバタ、お前マジ?そりゃあ、中央銀行の記者会見が真面目でないはずはないだろう?」というツッコミが飛んで来そうだ。では、相撲用語で、ガチンコと言ったほうがいいか。パウエル議長も真剣勝負であるのはもちろん、建前論に終始するのではあるが、その建前が「マジ」なのである。だから、記者との対峙もガチンコであり、一問一答における一言一句に価値があり、魂はこもっていないが、情報は詰まっているのである。

パウエル会見に対して、記者たちもガチンコである。記者生命をかけて、というよりは、自身の好奇心をかけて質問してくる。

今回の質問は、まずなぜ利下げが0.25%でなく0.5%なのかということに終始した。重要視しているのはインフレなのか失業なのか景気なのか。今利下げしても手遅れではないのか。そして、その議論のプロセスについて。いつ決めたのか、どんな議論があったのか、さらに、じゃあ今後も0.5%で行くのか、今後の方針はどう決めるんだ?という、将来のことについても質問が及んだ。

どの質問も、私も聞いてみたいことばかり。疑問に思っていたことばかり。そして、同じ質問を別の記者が繰り返すことはない。前の記者の質問を受けてさらに聞く、さっきああ答えたけど、じゃあ次はこうなるってことか? みたいな質問もあった。どれも納得の質問だ。

パウエル議長は、正直に本音を100%答えているわけではないが、それでも明快。煙に巻くことはない。そして、時間が来たら、ラストクエスチョン、終わったら、さっと消える。カッコいい。

好奇心からの記者の質問が圧倒的に少ない日本

これが、日本だとどうなるか?記者はあらかじめ用意してきた(あるいは上司に指示されてきた)質問を、前の質問者が何を聞いていたとしても、繰り返し聞く。好奇心からの質問ではない。

そして、アメリカは、金融市場一筋、あるいはFEDを10年以上追ってます、みたいな人ばかりだが、日本は人事異動で、新しく若い(というか金融市場、金融政策の経験が少ない)が交代で入ってくる。その後ろで、個人的に(?)興味のあるベテラン記者が時間の最後のほうでやや鋭い質問を投げる。だから、たまに私は寝てしまい、15時半からの会見で16時15分ごろから、パッと目が覚めることも正直あった。

しかし、今回の問題は、この違いはどこから来ているのか?ということである。

植田和男総裁は真摯この上ない。黒田東彦前総裁は、木で鼻をくくったような官僚答弁だったが、あれぞプロ、プロの官僚として、記者会見の質疑でのミスはほぼなかった。むしろ、植田総裁は正直すぎて、波紋を呼ぶことが多い。だから、私も植田総裁になって寝ることは皆無になったのだが、それでも、やっぱりつまらない。なぜなんだ?

日本では質問の名を借りた「非難」に

端的に言えば、上述したように、日本の記者の質問がつまらない、ということなのだが、問題はそこではなく、彼らも職業人として、一生懸命やっている質問があれなのだ。それは、なぜなのか?

私は、いまさら、アメリカと日本の中央銀行記者会見での質問の単純なしかし根本的な違いに気がついた。

前述の記事でも指摘したが、それは、アメリカの質問は、好奇心からくるまさに「質問」なのだが、日本の質問は、質問の名を借りた「非難」なのである。

植田総裁、この前はこう言っていたのに、今日はこう言っている。矛盾じゃないのか。さっきこういった、ということは、今後は物価が上がらない限り利上げをしないんですね。庶民は円安で困っている。何とも思わないのか!という具合だ。揚げ足取りか、言質を取るか、あるいは単純な非難。だいたいがこの3つである。

こう書くと、日銀記者会見に集まっている記者は嫌な奴ばかりに聞こえるかもしれないが、そうではない。日本人全員がこういう風なのである。
 つまり、問題は、日本社会、日本文化とまで言ってもいいかもしれないが、そこにある根本的な問題なのだ。

例えば、「モノ言う株主」という言葉があるが、つまり、質問を株主総会でする、経営陣に質問をする、何かを言う、という時点で、それは反対、ということなのだ。日本では議論は存在しない。口を開く、ということは文句か反対か非難、攻撃なのである。

官僚答弁、という言葉があるが、国会での論戦は、政治家の先生方が大臣となった瞬間に官僚的な答弁になる。あれは、官僚が答弁を作成しているから官僚答弁になるのではなくて、あの場では、言質を取られないことだけが重要なので、政治家も答える側になった瞬間に官僚的になるのだ。

官僚答弁に終始していた大臣が、野党になり、質問者になると、突然、攻撃、アジテーションになるのは、何も二重人格なのではなくて、優秀な政治家であり、大臣であるということなのだ。

「わな攻撃と防御」の日本、建前を全力で議論する欧米

だから、議論はどこにもない。国会論戦、というがあれは誰もが知っているように、相手にエラーをさせるためのわな攻撃と、落とし穴にかからないようにできるだけ無駄に動かないようにする防御とのプロの戦いなのだ。だからつまらないに決まっている。

記者会見もそうだ。かつての取締役会もそうだ。日本の多くの会議はいまだにそうかもしれない。グループミーティングと会議はまったく異なるから、まあ会議は儀式、公式の戦いでなければ、ほぼ無駄だと言っていいだろう。それが日本なのだ。

そういう社会的慣習(あるいは文化的背景:ただ文化と呼ぶのには私自身は抵抗がある)であるにもかかわらず、欧米というより英米の習慣、ルール、制度、法律をそのまま持ち込み、そうしないと遅れている、という風潮で押し込まれたから、こんな風にちぐはぐな、やってもやらなくても、実質的には意味のない会議、記者会見だらけなのだ。

日本の建前には心も気合もこもっていない。だから、すぐにオフレコと称して本音を言ってしまう。だから、本音がすぐに新聞やネットに上がって、舌禍で問題になる。欧米人は、本音は墓場まで持って行く。その分、建前を全力で議論する、戦わせるという習慣になっている。だから、本音ではないが、建前のガチンコ勝負なのであって、プロのガチンコ勝負を観察のプロ(ウォッチャー)が見ると、面白いのだ。

結局、大統領選の論戦の面白さ、自民党総裁選のつまらなさ、というのもそういうことなのだ。アメリカでは、永遠に建前。建前で勝負は決まる。日本は、建前を言うが、本音主義、実質主義、なので、建前をしゃべる方も聞く方も、まあ意味ないけど、形だけ、と思ってしまっているから、ちゃんと聞いてないし、しゃべる方も、表面的な見せ方だけちょこっと練習するだけだ。

アメリカの大統領選討論会の「練習」は、そんな生半可なものではないのは、誰もが知っていることだ。本人も人生最大のイベントと捉えているし、スタッフや金(カネ)のかかり方がまるで違う。討論会だけでどれだけのカネがかかっていることか。

だから、日本では政策論争しようとも、どうせ実際は違うよね、と聞いている側は思っているし、しゃべる側もどうせ違うが、後で揚げ足を取られたり、言質は取られないように、具体的な政策提言なのに、とてつもなく曖昧に(しかししゃべり方だけは力強く)主張する。

まあ、なんて日本らしい討論会だろうと思ってみているが、見る側も、日本的なプロで、結局見るところは、コイツ結局いいやつじゃないじゃん、とか、思ったよりも感じが良くて信用できそうだ、とか、人格のイメージの見分け術に関しては、アメリカの聴衆よりもはるかに優れているのではないか。テレビのワイドショーも無駄に見えるコメンテイターも長く成功し続けている人は、ほぼみんな「いい人」「好かれる」人だ。それが日本だ。

もはや本音で論戦を戦わせる必要がある?

しかし、やっぱりこのままでは日本はダメなのではなかろうか。本音で議論を戦わせることが重要なのではないか。金融政策決定会合をやっても、審議委員という社外取締役的なのか、社内の中途採用取締役なのか、わからない人が、後で公開される議事録に残ることを前提に議論して、本当に意味のある議論になるのか。

かつてのように、「円卓(マルタク)」という内部で議論するスタイルのほうが、やっぱりよっぽど実質的にいい議論ができるのではないか。自民党の総裁選挙も、あんな茶番の討論会よりも、密室での冷や汗の吹き出す腹の探り合いで決まるほうがよっぽど本質的で、総理の3年間は党という組織がまとまるのではないか。そしてそれは政治、政策にとってもプラスではないか、という気がしてくる。

かつての密室がダメ、というなら、公開討論は今のままではダメだ。日本はどっちにするのか、あるいは第三の道、日本的な世界にこれまでにない、画期的な社会や組織としての議論の在り方を発明して、イノベーションを起こさないといけないのではないだろうか。 しかし、そのイノベーションを起こすための議論をする場が日本には存在しえないので、私はやっぱり絶望的になるのである。

と書いたが、20日15時半から行われた植田総裁の会見は、いつもよりは少しよかった気がする。植田氏はアメリカで教育され、活躍してきた経済学者であるから、もともと率直で、一生懸命わかりやすく説明しようとしている。

それが日本銀行総裁という枠組み、日本社会という枠組みではうまくバランスが取れないことがあるだけだ。最初の審議委員のときに失言した反省もあるようだ(2008年1月28日付日本経済新聞の「私の苦笑い」というコラム参照)。ただ、植田総裁になってから、彼の率直さが記者たちにも少しずついい影響を与えているように感じる。少しは希望があるか?

ただ、幹事社の冒頭の質問などでは不満も残った。「金融市場が不安定」なら利上げしない、ということの判断基準に質問があったが、もっと遠慮せずに具体的に、「金融市場」とは、本来は国債市場だと思いますが、この件では、為替市場と株式市場のことですよね?などと聞いてほしかった。

しかも、為替の話は別に出てくるから、日銀が「金融市場が不安定なうちは利上げしない」というときの金融市場とは株式市場のことですよね? それでいいですか? などと確認する。

そして、だとすると、株価が不安定ということですが、株価はいつも動いていますよね? 株価が下がったらいけない、悲観的なときが不安定ということですか?それともボラティリティ?変動が大きいのが不安定ということですか? でも株式市場は、日経平均4万円が近くになっており、この数年の上昇から言っても、この30年でいちばん悲観的から遠いですよね? それで利上げできないなら、今後、株価が下落トレンドに入ったら永遠に利上げできないということですか? といったように聞いてほしかった。

20日の植田総裁記者会見は、2%だけ希望が見えた

もう1つ。為替変動も実際には気にして利上げを決定しているのに、物価だけと言い続けるから、市場はどうせ為替で利上げを決めると思っているので、必ず日銀と市場の間に認識ギャップが生まれてしまうのでは? というような有益な質問があった。

植田総裁も重要な論点だ、とコメントしていたが、総裁が、為替を直接のターゲットとしないということだ、と理論的な枠組みを維持したコメントをしたが、本当であれば、以下のような質問をさらにしてほしかった。

「もちろんそうだ。しかし、日銀の極端な金融緩和(異次元緩和など)で為替レートが明らかにファンダメンタルズから異常に乖離したものになって、金融市場にも経済にも大きな歪が出ているとき、これは日銀の極端な金融政策のためだけから生じたひずみなのだから、物価のためとは言え、為替への大きな歪という直接の悪影響(副作用というよりも)が大きく出ているときは、物価と為替市場と両方を直接に考えないといけないのではないか?」

しかし、私の絶望は今回100%から98%ぐらいまで低下し、2%希望が見えた、まあまあの記者会見だった。なお、この会見については私のブログ『小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記』でも追記しているので、読んでいただけると幸いだ(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレース予想などをするコーナーです。あらかじめご了承ください)。

競馬である。

やっと猛暑が終わる気配を見せ始め、短い秋がやってきた。競馬も秋競馬が始まった。サラブレッドは暑さに大変弱く、猛暑対策の話は前にしたし、例えば、矢作芳人調教師も私も、夏は札幌・函館のみの開催を提案している。現在も、馬房に冷房があるところとないところがあり、最近できた調教施設では冷房完備のところも増えてきているようだ。

北海道も、アメリカのボストンも欧州も、昔は冷房がない家が普通だったが、21世紀にはそうはいかない。そのうち日本人は全員北海道に住むことになるかもしれないが、少なくともサラブレッドの8月はそうなってほしい。

ということで、馬に優しい調教師たちは、エリートの馬は2歳であれば6月、7月にデビューさせて、1勝目を挙げさせる。その後、7月後半、8月の夏競馬の間は北海道で休ませ、涼しくなったらJRA(日本中央競馬会)のトレセンに戻し、10月からレースに出す、というのが王道になりつつある。

だから、大物は6月デビューか、あるいは逆に10月以降デビューか、どちらかが多くなっている気がする。古馬に関しては、酷暑の日本を抜け出し、7~8月はアイルランドなど欧州のやや緯度の高い地域で秋の欧州のレースに備えるというのが一流馬の普通のパターンになっていくかもしれない。

オールカマーの本命は母系トウカイテイオー系の馬

さて、22日は中山競馬場で産経賞オールカマー(G2)が行われる(第11レース、芝コース、距離2200メートル)。

昔は地方馬やアラブ馬(サラブレッドではないということ)の参戦を認めていたからオールカマーなのであるが、今は強い馬の秋初戦という位置づけで、オールカマーとはまったく言えない、本命の強いレースとなっている。

ここはレーベンスティール。弱いと言われる4歳牡馬(芝)の中では、例外の一頭だろう。クラシックは無縁、エリート馬が集まる7月のセレクトセールではなく北海道セプテンバーセール出身、そして母の父はトウカイテイオー、北海道沙流郡の生産、とオールカマーに相応しい馬のような気もする。クイズダービー風に、彼に単勝、全部。

※ 次回の筆者はかんべえ(吉崎達彦)さんで、掲載は9月28日(土)の予定です(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

(小幡 績 : 慶応義塾大学大学院教授)

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