デミ・ムーア「61歳ヌード」に込められた深い意味

デミ・ムーア The Substance

『The Substance』のプレミアに登場したデミ・ムーア(写真:REX/アフロ)

“女優”デミ・ムーアが、今、ハリウッドで脚光を浴びている。今週末アメリカで公開される主演作『The Substance』での演技が高く評価され、賞レースにもかかってくるかとささやかれているのだ。

1990年代には最高記録のギャラを稼ぐほど成功したが、実力派の役者というより、人気スターとしての扱いだった。事実、オスカーに候補入りしたことは一度もなく、逆に最悪の演技に対して贈られるラジー賞には8回もノミネートされている。

メジャースタジオの映画に主演したのは、1997年の『G.I.ジェーン』が最後。この20年ほどは、仕事よりも、15歳下の俳優アシュトン・カッチャーとのロマンスなど、スキャンダルで注目された。

61歳にして演技派女優として認められる

だが、カッチャーに不倫されて離婚したのは、もう11年前。その間も地道に映画やテレビドラマに出演してきたムーアは、61歳にして、キャリアを変えるかもしれない作品にめぐりあったのである。

【写真】『The Substance』(2024)の一場面、ストリッパー役が批判を受けた『素顔のままで』(1996)、出演をめぐり摂食障害を抱えるようになった『きのうの夜は…』(1986)など【デミ・ムーアのビフォーアフターを見る】(5枚)

カンヌ映画祭で脚本賞、トロント映画祭でミッドナイト部門の観客賞を受賞した『The Substance』は、女性に若さと美しさを求める社会を風刺する、ダークなユーモアに満ちたホラー映画だ。

主人公エリザベス(ムーア)は、かつて大人気を誇ったハリウッド女優。年齢の影響をいやでも感じさせられる彼女は、あるとき、闇の施術の存在を知る。それは、若いバージョンの自分を創造するというもの。若いバージョンはあくまで自分であり、同時に存在することはできず、本来の自分と7日ごとに交代して生きる。

デミ・ムーア The Substance 

『The Substance』(2024)の一場面(C)Courtesy of TIFF

映画では、ムーアの全裸シーンがたっぷり出てくる。それらのショットは、なるべく美しくセクシーに見せようとするのではなく、正直かつリアルに見せる目的で撮られている。

若いバージョンの自分(マーガレット・クアリー)を見たエリザベスが感動するシーンで、観客は納得できなければならないのだ。ムーアのヌードはこの映画のために必要なもの。それをムーアは文字通り体当たりでこなしたのである。

過去に脱いだときは批判を受けた

ムーアは、若い頃にも何度かヌードになってきた。だが、その頃と今回は違う。過去に彼女が脱いだとき、世間の評判はあまり優しくなかった。

たとえば、ストリッパーのシングルマザーを演じた『素顔のままで』(1996)には、わざわざこんな役をやりたがるなんて、自慢の体を見せびらかしたいのかなどという声が出たものだ。

素顔のままで デミ・ムーア

『素顔のままで』(1996)ではストリッパー役が批判をうけた(写真:アフロ)

この映画で、1200万ドルという当時の女優としては破格のギャラをもらったのも、よい印象を与えていない。当時の夫ブルース・ウィリスをはじめとする人気男優たちはもっと高いギャラをもらっても責められないのに、ムーアは「Gimme Moore」(give me moreにひっかけている)などという意地悪なニックネームで呼ばれることになってしまった。もちろんそれは明らかな女性差別である。

セックスシーンのある『幸福の条件』(1993)も、妻と一夜を共にさせてくれるなら100万ドルをあげるという大富豪の申し入れを受け入れる夫婦という筋書きに反感を覚えた人は少なくなく、興行面ではよかったが、批評家の受けは散々。こんな映画のために脱ぐとはチープだととらえられた。

デミ・ムーア 幸福の条件

『幸福の条件』(1993)では、筋書きに不快感を覚えた人も(写真:Everett collection/アフロ)

妊娠中のムーアが大きなお腹でヌードになった「Vanity Fair」の表紙も、大きな論議を呼んだ。妊娠中の体を自然で美しいものとしてとらえたこの写真は、フェミニストから絶賛される一方、保守派からは強く批判されたのだ。

出版社は、不快だと思う人に留意し、首から下を隠すよう白いカバーをかけたのだが、それでもまだこの雑誌を店頭に置くのを拒否する店があった。お高くとまっているやりづらい人のような書かれ方をした中面のインタビュー記事も、ムーアにとっては助けになっていない。

実は、ムーアにとって初めての仕事は、日本に向けたヌード写真の撮影だ。高校を中退し、依存症で毒親の母と離れて暮らしていたムーアは、「アメリカ人の目に留まることはないから」と言われて、その仕事を受けることにした。そこからモデルへの道が開け、女優業につながっていった。つまり10代のときから彼女はカメラの前で脱いできたのである。

美しい体を維持することにプレッシャー

その裏で、美しい体でいなければならないというプレッシャーは、彼女を精神的にも、肉体的にも苦しめていた。苦悩の始まりは、セックスシーンのある『きのうの夜は…』(1986)への出演。

エドワード・ズウィック監督に、「君を雇いたいけれども、痩せると約束してくれるか」と言われたのだ。そこから摂食障害を抱えるようになり、自分の体重、サイズ、外見でしか自分の価値を判断できなくなったと、ムーアは回顧録で告白している。

デミ・ムーア きのうの夜は…

『きのうの夜は…』(1986)の出演をめぐり、摂食障害を抱えるようになった(写真:Everett Collection/アフロ)

逆に、『幸福の条件』のエイドリアン・ライン監督からは、痩せすぎだと文句を言われた。女性らしいソフトな体を望んでいたラインは太るように命じたのだが、絶対に嫌なムーアは断固として拒否。結局ラインが折れた。

影響は、自分だけでなく赤ちゃんにも出ている。次女の出産直後に『ア・フュー・グッドメン』(1992)の撮影が始まるため、ムーアは妊娠中も体型を保とうと、パーソナルトレーナーを住み込みで雇ってワークアウトを続けた。そんな中で生まれた次女は、生後、なぜかなかなか成長せず、ムーアを不安にさせる。過剰なワークアウトのよって母乳に変化が生じたせいだと理解すると、母として心を痛めたが、それでも激しい運動をやめることはできなかった。

執着からついに解き放たれたのは、『G.I.ジェーン』の撮影が終わった時。女性将校を演じるこの映画のために、ムーアは筋肉をたっぷりつけ、体重62キロのたくましい体になった。ひとつ前の映画は『素顔のままで』だったので、立て続けに極端に違う体を作ったのだ。

今度はまたほっそりした体になるような食事やワークアウトプログラムを始めるべきなのだろうが、ムーアはすっかり疲れていた。

またお腹の空いた日々を送るのも、どれだけ痩せたかで自分を評価するのも嫌だと思ったムーアは、ダイエットも激しいワークアウトもやめて、自然に任せようと決意。炭水化物は控えめにする、ゆっくりと少量ずつ食べるなど、もちろん意識はするが、無理はしない。それは、彼女にとって斬新なことだった。

自然体でいられるように

そんなふうに自然な形で自分の体と向き合うようになって、27年。久々にカメラの前で裸になるにあたり、特別に準備をしたのかどうかはわからない。だが、それはどちらでもよい。

『The Substance』のムーアは、強烈な問題提起をする。このヌードには意味があり、女性たちは共感する。嬉しいことに、この映画は日本の配給もすでに決まっている。女優としての本領をついに発揮したデミ・ムーアをビッグスクリーンで見られる日を、今から楽しみにしてほしい。

(猿渡 由紀 : L.A.在住映画ジャーナリスト)

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