「りくろーおじさん」大阪名物が歩んだ40年の歴史

りくろーおじさんの店

大阪名物として長きにわたって愛される『りくろーおじさんの店』。その背後には、さまざまな企業努力があった(写真:リクロー提供)

40代、関西在住の筆者の『りくろーおじさんの店』のチーズケーキの原体験は小学4年生だ。

箱を開けたとたん、立ち上る甘い香り。ふわふわの生地が、噛んだ瞬間にシュワッと消えて衝撃を受けた。当時の値段はホール(6号サイズ、直径18cm)で500円ポッキリ。「コインを握りしめて行列に並んだ」「切り分ける量できょうだい喧嘩した」など、数限りない思い出がある。そんな関西人は少なくないのではないだろうか。

しかし考えてみれば、『りくろーおじさんの店』はあの頃からずっと行列の店であり続けている。シンプルなチーズケーキが、有名パティスリーが群雄割拠する現代にいったいなぜ? 調べてみると、今年2024年で40周年の節目と知って驚いた。

1回12個を5~10分間隔で、朝から晩まで焼き続ける

大丸梅田店、JR新大阪駅の中央口、そしてなんば本店。ときどき筆者が無性に食べたくなって訪れる『りくろーおじさんの店』(以下、りくろー)はいずれも、常に行列だ。平均で20~30人、年末年始やお盆時期にはもっと並んでいる日もある。果たして、売上高はどれぐらいなのだろう。

【画像13枚】「昔は500円」「今でもワンホール965円を堅持」…。大阪府民に愛されてきた「りくろーおじさん」。美味しそうな焼きたての様子

リクロー株式会社で、企画部本部長を務める中村真士さんに尋ねると、「詳しい数値は言えませんが、どの店も5~10分間隔で1回12個を1日中焼き続けています」との答え。

りくろーおじさんの店

インバウンド客も多いなんば本店。常時20~30人が並ぶ(写真:リクロー提供)

一体何故そんなに売れているのか。最大の理由は、りくろーが創業から大切にしている、「焼きたて、作りたてを提供する」姿勢にある。百貨店内にある小規模店を含め、ほぼ全店にオーブンを置き、粉からすべて手作りしているのだ。

りくろーおじさんの店

店舗のオーブンで、香ばしいキツネ色に焼き上がったチーズケーキ(写真:リクロー提供)

このように語ると、「でも、急いでるときにもすぐ買えるし、ECでも販売しているのでは?」と思う人もいるかもしれない。その指摘は間違いではない。りくろーでは、先を急ぐ客のために「あらかじめ焼き上げたチーズケーキ」を用意している。

これは、店舗ではなく工場で焼き上げて出荷しているもので、EC販売も行っている。店舗に並ぶ際には焼き上げから2時間以上経っているが、レンジで加熱すれば焼きたてふわふわ食感が復活するため、味に大きな遜色はない。店舗によっては、「あらかじめ焼き上げたチーズケーキ」の専用レジが設けられ、時間がない客はこちらで購入できる仕組みだ。

ただし、同社としてはあくまでも「例外」であり、基本は、焼きたて、作りたての提供。カフェを併設する「彩都の森店」では、揚げたてのカレーパンや挟みたてのたまごサンド、ソフトクリームなどの販売もしている。

りくろーおじさんの店

カフェでは焼きたてすぐ、熱々のチーズケーキを味わえる(写真:リクロー提供)

また、もうひとつの売れる理由として、価格も見逃せない。前述した通り、チーズケーキ発売当初の値段はワンコイン500円だった。材料の高騰などがあり、じわじわと値上げはしているが、今もホールで965円(税込み)。

1000円を超えない理由は、創業者の西村陸郎氏(以下、陸郎氏)の「お菓子はお手頃価格であるべきや」という考えを守っているからだ。「お手頃価格なのに、食べて本当においしいことに価値があるんです」と中村さんは微笑む。

「チーズ嫌いも食べられる」チーズケーキを 

値段以外の場面でも、陸郎氏の考えは固く守られている。例えば、陸郎氏は生前口癖のように、「お菓子はやらこう(やわらかく)なかったらあかん」と言っていたそうだ。中村さんはその理由を、「せんべい問屋で丁稚奉公したとき硬かったからでは」と言うが、あながち、間違いでもないのかもしれない。

陸郎氏は16歳のときに大阪のせんべい問屋に奉公し、2年後、和洋菓子の技術を習得したいと製菓会社に再就職。23歳で独立し、1956年にりくろーの前身である和洋菓子の卸問屋を創業した。

そして1984年、北加賀屋店開店時に開発した焼きたてチーズケーキの焼印として、陸郎氏の顔をイメージした「りくろーマーク」が誕生。催事出店時に、「りくろーおじさんの店」という屋号を名乗りはじめたのだという。

りくろーおじさんの店

1956年、大阪市内に創業した和洋菓子の卸問屋(写真:リクロー提供)

1989年、「りくろーおじさんの店」としてなんば本店を開設すると、チーズケーキブームも手伝って、焼きたてチーズケーキが大ヒット。ここから行列の歴史がはじまった。

レシピは、その当時からほとんど変えていないという。陸郎氏がこだわったのは前述のやわらかさに加えて、「チーズ嫌いな人でも食べられるチーズケーキ」だった。驚くことに陸郎氏、チーズがあまり好きではなかったそうなのだ。

そのため、「チーズの匂いが出すぎないチーズケーキ」を目指して試行錯誤し、当時は珍しかったデンマーク産のクリームチーズに行き着く。これと牛乳を合わせることで、現在のチーズケーキの味が完成したのだ。ちょっと甘さが控えめなのは、「毎日食べてもらえるケーキにしたい」という思いからだという。

りくろーマーク

トレードマークとなっている、コック帽子の「りくろーマーク」は包装箱にも(写真:筆者撮影)

「レーズンなし」を1年で販売終了していた

創業からほぼ変えていないチーズケーキのレシピ。だが過去に1度だけ変えたことがある。そして、その陰には、関西人なら誰もが知っている(?)言い争いがある。

説明しよう。りくろーのチーズケーキの底には、味わいのアクセントにとレーズンがちりばめられている。それが、「あり派」と「なし派」の真っ二つに分かれるのだ。このため、りくろーでは約1年間、「レーズンなしチーズケーキ」を販売していた時期があるそうだ。

リクローのチーズケーキ

底にちりばめられたレーズン。「あり派」「なし派」で盛り上がることでおなじみだ(写真:リクロー提供)

当然、「なし派」からは好評だったようだが、販売は終了した。なぜなのか。

「長く愛され続けるロングセラー商品はいずれも、基本のレシピを変えていません。ならば弊社も妥協せず、レシピを変えないで100年、200年続けて、いつか愛される味になることを目指したいと思ったんです」と、中村さんは説明する。

関西人の筆者にとって、「りくろー」はずっと身近な存在だった。ワンコインで食べられた時代も、1000円以内で食べられる今も、何気なく買う存在である。それゆえ、そこまで深い信念、強い覚悟に基づいたものだったとは……と、良い意味で驚いてしまった。

後編ー大阪名物「りくろー」カット売りは絶対にしない訳 「家族で楽しんでほしい」気持ちがコト消費につながるーでは、レシピを変えないなかで行われたレーズンの「ある変更」や、家族で楽しんでもらうための戦略をうかがっていく。

後編の記事ではこんな写真を紹介

円周に沿って並べられるレーズン

円周に沿って並べられるレーズン(写真:リクロー提供)

包装箱の側面

包装箱の側面に、レーズンが入らないカット方法が記載されている(写真:筆者撮影)

オープンキッチン

行列に並びながら、製造の様子が見られるオープンキッチン(写真:リクロー提供)

「プルプルゾーン」

クッキングシートを剥がし、その衝撃でプルプルと揺れる様子が見られる「プルプルゾーン」(写真:筆者撮影)

りくろーの紙袋

新幹線や空港でよく見かける、りくろーの紙袋(写真:リクロー提供)

40周年の焼印が入ったチーズケーキ

現在発売している、40周年の焼印が入ったチーズケーキ(写真:リクロー提供)

(笹間 聖子 : フリーライター・編集者)

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