「81歳で新人漫画賞」を受賞した漫画家の正体

ビッグコミック青年コミック

「ビッグコミック&ビッグコミックオリジナル 第11回青年漫画賞」で、中原とほる氏の『野球で話せ』が松本大洋賞を受賞した(筆者撮影)

9月5日、「ビッグコミック&ビッグコミックオリジナル 第11回青年漫画賞」の審査結果が発表された。そこで注目を集めたのが、松本大洋賞を受賞した『野球で話せ』という作品だ。プロ野球の新人テストを受けに来た高校生が主人公のドラマで、松本氏は「軽さと清潔感のある画面、チャーミングさと不思議さのある絵で、キャラクターやモブの描き方などにもとても魅力を感じました。セリフにも重量があり、読んでいて心に響くものが多くありました」と高く評価する。

「ビッグコミックオリジナル」

「ビッグコミックオリジナル」(小学館)2024年9月20日号p277より

80代で漫画新人賞を受賞

賞金100万円と掲載権を獲得した同作は「ビッグコミックオリジナル」(小学館)9月20日号(9月5日発売)に掲載されている。あの松本大洋が賞賛する作品とはどんなものか……と雑誌を開いてびっくり。扉ページにこんなアオリ文句が打たれていた。

「史上最高齢受賞!! 81歳、渾身の62P!!」

は、はちじゅういっさい!? 作者の中原とほる氏に関しては、誌面にもウェブ「ビッグコミックBROS.」にもプロフィール情報がなく、受賞コメントも掲載されていない。そこで試しにネットで検索してみたら、なんとご本人のホームページがヒットした。

「経歴」をクリックすると、「1942年5月30日生まれ。39歳(遅い!)の時、少年マガジンの『ちばてつや賞』で佳作となり漫画家をめざすようになる。現在、勤務医をしながら漫画を描いています」との記述が。なるほど、まったくの新人というわけではなかったのだ。それどころか、1993~1994年にかけて『ドクトル・ノンべ』という作品がアフタヌーンKCで2巻まで単行本化もされている。

その後はなかなか商業誌で作品を発表する機会に恵まれず、それでも本業の傍ら創作活動は続けていたらしい。そして、ついに今回の受賞。ご本人のX(旧ツイッター)アカウントもあり、今年の2月には「恥ずかしながら、この歳で、漫画新人賞に応募して入選した夢を見た」との書き込みがある。それが正夢となったわけだ。

“遅咲き”の漫画家が増えてきた

1942年5月30日生まれということは現在82歳のはずだが、誌面で「81歳」と紹介されているのは投稿時の年齢ということだろうか。受賞作『野球で話せ』は、とてつもない才能を持ちながら、うまく言葉を発することができない少年が、テスト入団でプロ野球の世界に入り大活躍するストーリー。意思を伝えられないことで誤解を招くが、その試練が彼を成長させていく。

素朴なタッチながらデジタル処理も駆使した画面(というか、Xの投稿によればフルデジタルらしい)は、言われなければ81歳の作品とは思えない。球団オーナーがどう見てもナベツネだったり、キャッチャーが古田敦也っぽかったり、態度の大きい先輩投手が伊良部秀輝っぽかったりするのはご愛敬。実力派がひしめく「ビッグコミックオリジナル」の中で、堂々たる存在感を放っている。

『野球で話せ』

中原とほる『野球で話せ』/「ビッグコミックオリジナル」(小学館)2024年9月20日号p290-291より

純粋な新人とは言いがたいが、80代でこのような新人対象の漫画賞の受賞は、やはり“事件”であろう。同じ誌面に短編『ベイビーショック』が掲載されている第10回青年漫画賞受賞者の村上香氏は19歳なのだから、実に60歳以上の年齢差だ。

その村上氏のように、かつては10代でデビューするのが普通だった。大卒後、松下電器(現パナソニック)を経て27歳でデビューした弘兼憲史氏などは、当時“遅咲き”と言われたものだ。しかし、昨今は30代、40代デビューも増えてきた。弘兼氏のように社会人経験を経てデビューすることは決してマイナスではなく、むしろ武器になることも多い。近年隆盛のエッセイマンガでは、それこそ描き手の経歴・職歴そのものがネタになる。

そうした流れに先鞭をつけたのは、青木雄二氏だ。1990年に『ナニワ金融道』で衝撃のデビューを果たしたとき、青木氏は45歳。鉄道会社職員、町役場職員、パチンコ店店員、印刷・デザイン会社経営など、さまざまな職業を経て漫画家となった。いわゆる“マチ金”を舞台に、業と欲が渦巻くコテコテの人間ドラマは、そんな雑多な社会経験あればこそ描けたものだろう。酸いも甘いも噛み分けた人間ならではの観察眼から生まれる人物描写は、ディープの一語に尽きる。

40代デビューの例としては、『カレチ』『国境のエミーリャ』などで知られる池田邦彦氏もその一人。鉄道関係のライターとして活動後、第54回ちばてつや賞一般部門で大賞を受賞し、43歳で漫画家デビューした。古びた団地に暮らす高齢者たちの哀歓を描いた『ぼっち死の館』が話題となった齋藤なずな氏は、アルバイト的な仕事を転々としたのちスポーツ新聞でイラストルポの仕事を手がけ、40歳で漫画家に。現在59歳の池田氏はもちろん、78歳の齋藤氏も現役で活躍中である。

60代でデビューしたハン角斉

そして、デビュー年齢で青木雄二氏を大幅に超えたのが、ハン角斉氏だ。狂気じみた殺人犯の正体に虚を突かれる短編『山で暮らす男』でヤングスペリオール新人賞「編集長金一封」受賞。当時64歳で初めて雑誌に作品が掲載された。そして2022年に初単行本『67歳の新人 ハン角斉短編集』が刊行される。

『67歳の新人 ハン角斉短編集』

ハン角斉氏は、小学生の頃から漫画家になりたかったが挫折。整骨院を営む傍ら45歳にして再びペンを執り、投稿を繰り返すも落選続きだったという。それでも諦めず20年ほどの時を経てデビューにこぎつけたのだから、その執念には頭が下がる。

単行本にはデビュー作を含む6編を収録。モテない男のペーソス(哀愁)がしみる『親父のブルース』、余命宣告された男の思わぬ最期を描く『黒い蝶』、幼い娘を殺された母の絶望と救済の物語『案山子峠』など、いずれも妄想と現実が反転するような仕掛けをはらむ。

細密なペンタッチも印象的で、謎の収容施設からの逃走劇『眠りに就く時…』の草木や星空、『模様』の顔にアザのある少女の描写には偏執狂的なものすら感じる。画面のインパクトにおいても青木氏に優るとも劣らない。

『67歳の新人 ハン角斉短編集』

ハン角斉『67歳の新人 ハン角斉短編集』(小学館)ビッグスペリオールコミックスp184-185より

ハン角斉氏が憧れの作家として名前を挙げる池上遼一氏は1944年生まれの80歳。現在もヒット作『トリリオンゲーム』(原作:稲垣理一郎)で健筆を振るっている。前出の弘兼氏も3年後には80歳になるが、余裕でバリバリ描いているに違いない。

弘兼氏も含む1947~1949年生まれの団塊世代には、今も現役の漫画家が大勢いる。ざっと思いつくだけでも、本宮ひろ志、かわぐちかいじ、西岸良平、尾瀬あきら、小山ゆう、さだやす圭、諸星大二郎、弓月光、大島弓子、山岸凉子、青池保子、萩尾望都など。いずれもまだまだ現役で描き続けると思われる。人生100年とも言われる超高齢社会において、これからは80代の漫画家、何なら80代の新人漫画家も珍しくなくなるのかもしれない。

(南 信長 : マンガ解説者)

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