「4人家族がバラバラに」 日常が壊れた人々の現実

つかれない家族

震災後、家族の事情から住まいを2カ所にして暮らすNさんにお話を伺いました(漫画:ハラユキ)
数回に分けて、能登半島地震後の家族の生活について紹介しています。前回は、「現在の能登と復旧が遅れたワケ」、そして今回は「能登から遠方に避難して暮らしている家族」を取材しました。高齢者や乳幼児、障害者など配慮者向けの「福祉避難所」についても紹介します。

地震で、家族の住まいが2カ所に・・・

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避難所から妻の母宅へ

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さまざまな事情があり

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福祉避難所を転々とした家族も

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今は「みなし仮設」のアパートに

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笑うしかない日々

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被災地の公務員という立場

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週に1回、父子たちの生活をチェック

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今後の生活に悩みを抱える避難家族

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住まいが定まっても落ち着かない気持ち

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輪島市で震災後に新規開業した宿泊施設「ゲストハウス黒島」。オーナーは金沢からの移住者で、開業準備中に建物が全壊したものの、新たに古民家を購入し開業したという。輪島市は仮設住宅に移る人も増え、少しずつ復旧・復興が進んでいる(写真:Nさん提供)

マンガの中で紹介した「福祉避難所」は、一般の避難所での生活をするのが難しい高齢者・障害者・妊産婦・乳幼児などの要配慮者のために設備や人材を備えた避難所です。普段は福祉などで使われている施設を災害時に避難所とすることが多いようです。

福祉避難所の運用システムは自治体によって違うので、私は自分の住む東京都杉並区について調べてみました。杉並区では、名前が「福祉救援所」となり、事前に「地域のたすけあいネットワーク」というシステムに登録しておくと、よりスムーズに支援を受けやすくなるようでした。家族に要配慮者がいる場合には、防災準備として、地域の福祉避難所の仕組みを調べておくのは大事なことではないでしょうか?

制度化されたきっかけは2007年の能登半島地震

とはいえ、今回の能登半島地震の場合は、施設や職員の被災などにより、当初の予定どおり開設できない事態も各地で起きました。実は、この福祉避難所のシステムは、2007年の能登半島地震をきっかけに制度化されたもの。しかし、今回は地震の被害が大きすぎて、この制度が十分に機能しなかったのです。また、福祉避難所でも難しい要配慮者もいました。福祉避難所のシステムには課題がまだ残っていると言えるでしょう。

能登では、学校などは再開していますが、それでもまだ数多くの人が遠方避難したままです。6月にもう一度大きな地震が起きたことも、二の足を踏ませる理由のひとつになったことでしょう。いろいろな理由から、すでに能登に帰ることを断念した人もいます。その決断は、誰に責められるものでもありません。

一方で、数々の問題があっても、能登を離れないご家族もいます。次回は、そんな「震災後も、能登に住み続ける家族」を紹介します。

(ハラユキ : イラストレーター、コミックエッセイスト)

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