「365日全国泊まり歩く」彼が浪人で得た価値観

濱井正吾 浪人 シュラフ石田

全国各地を泊まり歩いているシュラフ石田さん(写真:石田さん提供)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。
今回は1浪して佐賀大学に進学して、就職。現在は全国各地を泊まり歩く生活をしているシュラフ石田さんにお話を伺いました。
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ザ・ノンフィクションにも取材された生活

今回お話をお聞きしたシュラフ石田さんは、5年間のサラリーマン経験を経て、現在は全国各地で泊まり歩く生活をしている方です。

毎日「今晩泊めてください」というフリップを街角でかかげて、出会った人の部屋に泊めてもらう生活をしていて、YouTubeで動画を投稿しています。その様子は過去にフジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』でも取材されました。

拠点を置かない生活を続けている石田さんは、「この生活を一生続けたい」と語ります。

そう思うようになった理由には、彼の受験の失敗が関係しているそうです。浪人生活が、彼の人生をどのように方向づけたのでしょうか。

石田さんは、千葉県市川市出身。父親は会社員、母親は専業主婦の家庭で育ちました。

小さいころの自分自身に関しては、「引っ込み思案だった」と語ります。

「小学校・中学校は、地元の公立でした。人見知りが激しく、交友関係もそこまで広くなかったので、クラスでは目立たないほうでした。不登校になるレベルではなかったのですが、特定の子からお腹にパンチをされたり、からかわれたりすることもありましたね」

成績に関しては、中学時代は240~250人のうち100番前後の順位をキープ。

「高校は目指す学校もなかったですし、先生から『ここだったら行けるよ』と言われた学校がよさそうだったので、推薦入試を受けました。面接で将来何になりたいかを聞かれて、何も浮かばなかったので咄嗟に『社長になりたいです』と言ったのは覚えています」

こうして入学したのが、東京にある私立の東洋高等学校でした。

千葉大学の理学部を目指す

高校に入ってからの石田さんは、友達は少なかったものの、目にみえるいじめはなくなり、性格も次第に外向的になっていったようです。しかし、勉強に関しては、まったく力が入らなくなりました。

「中学生のときまではまだ勉強していたのですが、高校に入ってから、全然しなくなりました。入ったコースが特進科だったので、勉強環境のレベルが上がったことが大きいと思います。入学したころの成績は真ん中くらいだったのですが、ズルズル下がって、1年生の後期くらいには下位3分の1が定位置になってしまいました」

濱井正吾 浪人 シュラフ石田

高校時代の石田さん(写真:石田さん提供)

勉強のモチベーションを落としてしまった石田さんですが、進路に関しては、1年生の最初の段階から、千葉大学の理学部生物学科に行きたいとぼんやり考えていたそうです。

「小学生のときに卒業文集に『宇宙飛行士になりたい』と書きました。幼いころから未知のことに興味があったのだと思います。そのため、2年生のときに理系コースを選びました」

しかし、勉強を進めていくにつれて、彼は数学が絶望的に苦手だということに気づいてしまいました。

「数ⅡBを履修するようになった途端に難しすぎて、これを理解するのは無理だと思いました。理系クラスのまま3年生に進むのですが、元々生物を除いた理系の科目は、英語・国語・社会の成績より悪かったこともあり、この年の初めには文系で大学受験をしようと決意しました」

文系に変更する前の模試では、理系の偏差値は生物を除いて40台、文系科目はいずれも50を少し超える程度。千葉大を志望していたものの、E判定しかとったことがありませんでした。

そこで志望校を法政大学に切り替えることに。しかし「理系の夢をあきらめたものの、具体的に文系でこんな仕事に就きたい、といったビジョンはありませんでした」。

予備校には通っていなかったものの、コツコツ受験勉強を続けた石田さんは、最後の模試で初めて法政大学でC判定を取るまで学力を向上させました。

この結果を受けて、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の4学部に出願。しかし、結果は振るわず全落ちに終わりました。

「行くならMARCH以上じゃないといけないという変なプライドがあったのです。思えば、高校が推薦での入学だったので、人生初めての筆記試験で油断がありました。どうせどこかは受かるだろうと思っていたんです。楽観的な性格が招いた事態でした」

祖母の家で浪人を開始

こうして石田さんは浪人を決断します。浪人を決断した理由を聞くと、「さすがに大学は出ておきたかった」との答えが返ってきました。

「当時、大学は行って当たり前のものだと考えていたので、当然経験しなきゃいけない通過儀礼だと思っていました。親には申し訳ないのですが、1年勉強させてくれと頭を下げて、浪人をさせてもらいましたね」

そんな石田さんに落ちた理由について尋ねたところ、「勉強をしていないこと」がすべてだったと振り返ります。

「受験が近づいてきたとき、僕はサッカーゲームの『ウイニングイレブン』にはまっていて、勉強よりもゲームをやっていた時間のほうが長かったのです。受験の前日も『ウイイレ』をやっていて、それでも受かると思っていました。今までと同じ環境にいるとまたゲームをしてしまうと思い、千葉の田舎のほうに住んでいる祖母の家に、参考書だけ持って住ませてもらいました」

「娯楽もないし、勉強に集中できると思った」と語る石田さんにとって、この生活はとてもよかったそうで、「1日のリズムが固定された」と振り返ります。

千葉の田舎での生活は、朝起きてから少し勉強し、祖母と昼ごはんを一緒に食べて、夕方くらいまで勉強。それ以外の時間は適当に散歩したり、スーパーに行ってご飯を作って食べる、といった健康的な日々を過ごしました。

「1日の勉強時間は6時間くらいですね。勉強漬けとまでは言えませんが、浪人する以前よりははるかにしていたと思います。これまでの勉強のおさらいをするわけだし、1年あるから狙えるだろうと考えて志望校を5教科7科目が必要な千葉大の文系にしました。

秋からは勉強の質と量を高めるため駿台津田沼校に通いました。そこでもずっと朝から集中して勉強できたのは、浪人生活前半のリズム構築が大きいと思います」

千葉大学に受かると思っていたが…

秋から一気に受験モードに入った石田さんは、模試でも千葉大のC~B判定を記録します。順調に勉強を続けた結果、センター試験も7割とまずまずの成績を記録。自信を持ってB判定が出た千葉大学教育学部を受験しました。

しかし、結果はまさかの不合格。受かると思っていた石田さんは焦りました。

「小論文は少し出題意図が理解できず、焦った記憶があるのですが、それ以外は特に失敗した感じはありませんでした。だから、実際に落ちたと知ったときはびっくりしましたし、とても悔しくて湯船でボロボロと泣いてしまいました。

現役のときは何も悔しくなかったので、自分なりに頑張って結果が出なかったのはつらかったですね。後期は一応出願していましたが、受かると思って滑り止めの私立は出していなかったので焦りました」

千葉大学を受けるにあたって、数Iや世界史Aといった、勉強量が少なくても点数が取れる科目を選んでいた石田さん。ほかに受験資格がある大学があまりなく、奈良教育大学か、秋田大学、佐賀大学のどれかに出そうと考えた末、「あったかそうな街でのんびりできそう」だと思い佐賀大学に出願しました。

後期試験で石田さんは佐賀大学文化教育学部に無事合格し、進学することに決めました。

第1志望校に受からなかったものの、佐賀大学に進んだ石田さんは、「心から落ちてよかった」と浪人の日々を振り返ります。彼は浪人してよかったことについて、「人生にはうまくいかないこともあると学べた」と語ってくれました。

「現役と浪人のときに志望校で連敗したから、人生の厳しさを学ぶことができました。志望校に落ちたことによって、佐賀に行くことになりましたが、この選択はその後の自分の人生においてはめちゃくちゃ大きかったなと思います。

思ったとおり、おおらかな空気の中でのんびりできましたし、誰も知らない土地に行く経験をしたことで、ヒッチハイクをしてみたり、アジアの国々を旅してみたり、興味関心のあることをいろいろとやってみることができるようになりました。この経験が、今の物怖じしない性格につながっていると思います」

また、彼の浪人生活で大きかったことを聞くと「祖母と半年住めた経験」と答えてくれました。

「千葉の祖母の家に住んでいたときのことは、今でも覚えています。毎日一緒にご飯を食べていたのですが、勉強の話は一切せず、他愛もない話をしていましたね。今思えば僕に気を遣ってくれていたのかもしれませんが、孫である僕が一緒に住むことを、祖母がすごく喜んでくれていたのがとても嬉しかったです」

社会人経験経て、全国泊まり歩くように

見知らぬ佐賀の地でさまざまな経験を積んだ石田さんは、大学を4年で卒業したあとに大手交通機関の子会社に入社します。

そこでコンビニに配属されて店長になり、5年間の社会人生活を送りました。それからは仕事を辞めて現在まで5年間、いろんな土地に行って、街角で声をかけてくれた人の家に泊まりながら生活を続けています。

濱井正吾 浪人 シュラフ石田

街中で泊めてくれる人を探す石田さん(写真:石田さん提供)

彼は最後に、「浪人生活と今の生活は密接に結びついている」と話してくれました。

「最初は仕事を辞めて世界1周をしようと思い、海外に行く前にまずは日本から攻めようと思っていたのですが、日本各地でその土地土地の人と話しながら生きていくことにはまりました。

2019年の春から毎日人の家に泊めてもらう生活をしているのですが、明日の寝床もわからないような生活なので今日・来週・1年後どうなるかも予想できないのが楽しいですし、いろんな人からさまざまな話が聞けてとても面白いです」

失敗で人生の楽しさに気づけた

「浪人時代に受験を失敗したことは、今から見れば心からよかったなと思いますね。人生でうまくいかなかった経験は、その先でどうつながるかわからないですし、佐賀に行ってなかったら、こういう生活をしていないと思います。失敗によって経験できる人生の綾も、楽しさの1つだと気づかせてくれたのは、自分にとってかなり大きかったと思います。

今は泊まる家も次第に増えているのですが、以前泊めてくださった人の家に1年後に泊まりに行くと、その人の人生にも変化があって、それを観測できるのも楽しいので、海外にはもう行かずにこの生活を死ぬまで続けたいと思っています」

現役・浪人の失敗を通して、現在の生活を前向きに捉える石田さんは、きっとこれからも多くの人と出会い、人生を楽しんでいくのだと思いました。

石田さんの浪人生活の教訓:環境が人の心持ちを変える

(濱井 正吾 : 教育系ライター)

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