"斜面の魔術師"作った「集合住宅」の衰えない人気

ゆりが丘ヴィレッジ 斜面住宅

住棟が連なる川崎市麻生区の「ゆりが丘ヴィレッジ」(写真:サムデザイン提供)
思わず足を止めて眺めてしまうような、街中にある少し変わった形をした物件ーー。
いったいなぜ、そのような形になったのか。そこには、どんなドラマがあり、どのような生活が営まれているのか。
連載「『フシギな物件』のぞいて見てもいいですか?」では、有識者や不動産関係者に話を聞き、“不思議な物件 ”をめぐるさまざまな事情に迫る。

斜面に貼りつくように建つ集合住宅

樹木が生い茂る斜面に、存在感を放つ集合住宅がある。

ここは神奈川県・川崎市にある「ゆりが丘ヴィレッジ」。1986年に建てられた、斜面地の上に階段状に連なる「斜面住宅」である。

【写真25枚】上空から見た圧巻の光景。自然豊かな斜面住宅の気になる内部や、間取りも

小田急線の百合ヶ丘駅から徒歩10分ほどの静かな住宅地。新宿まで電車で約30分という比較的アクセスのよいエリアで、自然の豊かさも感じられる。

住棟がいくつも並んでおり、住戸は調べてみると80ほどあるようだ。印象的で味わいのある建物は、ヴィンテージマンションとしても知られている。

ゆりが丘ヴィレッジのある川崎市や隣の横浜市は多摩丘陵に位置し、傾斜地の多い街だ。丘や高台を見ると、斜面に家がぎっしり並んでいる。

ゆりが丘ヴィレッジのほかにも、斜面に建つ印象的な集合住宅は存在する。そのうちの1つが、川崎市高津区久末の斜面にある「ヒルサイド久末」だ。

井出敦史さんは、ヒルサイド久末に暮らす1人。もう暮らして10年以上になる。

東急田園都市線の鷺沼駅からバスに揺られて約20分。バス停を降りて丘に向かうと、森のような場所がある。樹木が生い茂る中に「ヒルサイド久末」は建っていた。筆者が歩いたときは、雨上がりで緑がみずみずしく、セミの声が鳴り響いていた。

「景色の見え方が365日異なり、同じ景色は1日もありません。外の緑が迫ってくる感覚を味わえるのは、斜面の住宅だからだと思います」

緑豊かな部屋の内部

ヒルサイド久末は、3つの住居棟にわかれ、総戸数65戸。斜面に建てられているからこそ、住む階によってその景色は異なる。

ヒルサイド久末 斜面住宅

住棟は段々畑のように段状に連なる。屋根は防水性の高い切妻屋根(写真:サムデザイン提供)

高い階からの眺望は良く、下の階は緑に包まれ、まるで森の中にいるような気分を味わえる。どの階にもそれぞれのよさがあるのだ。

部屋の内部も広く、112〜144平米ほど。奥行きのあるバルコニーもある。

ヒルサイド久末 斜面住宅

ヒルサイド久末の竣工時の間取り。広くゆったりとられた間取りで、暮らしをのびのび楽しめる(図:サムデザイン提供・パンフレットから引用)

ヒルサイド久末 斜面住宅

ヒルサイド久末の一室。大きな窓に植栽が見える(写真:サムデザイン提供)

ヒルサイド久末 斜面住宅

ヒルサイド久末のバルコニー。奥行きがあり第2のバルコニーとして気ままに過ごせそうだ(写真:サムデザイン提供)

ヒルサイド久末の1985年竣工当時の分譲価格を調べると、価格は3300万〜4200万円台とあった。

その時期はちょうど不動産バブルの時代とも重なる。一方でこの物件では、分譲価格はサラリーマンがローンを組める金額に設定した。

斜面地にあるがエレベーターはない

「ヒルサイド久末」には、エントランス、各住戸にアクセスする片廊下など、共用部が少ない。さらに、エレベーターもない。

斜面住宅のエレベーターの場合、設置にもメンテナンスにも費用が大きくかかる。家を買ったけれども、管理費が高くて住めない。そうならないようにエレベーターは外して設計されているという。竣工当時はやった投資用マンションとは大きく異なり、安く・長く住み続けることができる。

各住戸へは、階段や空中廊下を使ってアクセスする。

丘の上の住宅で暮らすことを考えれば、階段の上り下りは自然なことだが、年齢によっては負担に感じる人もいるかもしれない。

ヒルサイド久末 斜面住宅

両脇の緑を抜けて住戸に向かう空中廊下。周辺の木々によって季節を感じられるドラマチックな場所だ(写真:サムデザイン提供)

井出さんは「同じ斜面住宅で、エレベーターがないゆりが丘ヴィレッジでは、住人同士で住み替えが行われたこともあると聞きました。上の階で暮らしていた方が足を悪くされ、下の階の若い夫婦と住居を交換して住み続けていらっしゃるそうです。住宅を大切にしているからこその住まい方かもしれません」とも語る。

竣工から約40年の月日が流れ、家族構成が変わったことでリフォームをする住戸もある。設計時から、建築を支える骨組み部分をなるべく少なくするなど、大規模な修繕やリフォームを見越して作られている。これも長く住むために施された工夫の1つだ。

実は、話を聞かせてもらった井出敦史さんの父は、「斜面の魔術師」と呼ばれた井出共治さん(1940~2010年)。斜面において、周辺環境とともに魅力的な集合住宅を建てた建築家である。SUM建築研究所(現:株式会社サムデザイン)を設立し、集合住宅や個人住宅、医療施設などさまざまな建物を手がけた。

息子の敦史さんも建築家で、株式会社サムデザインの代表を務めている。共治さんの設計手法も踏襲し、住宅や別荘、福祉施設や保育園などの設計に携わってきた。ちなみに事務所は、共治さんが斜面地に設計した「HOMES20」にある。

斜面住宅 

1990年竣工の「HOMES20」。横浜市保土ケ谷の斜面地に建つ(写真:筆者撮影)

なぜ、斜面の魔術師・井出共治さんは、斜面に集合住宅をつくるようになったのか。

斜面住宅を手がけるようになった理由

敦史さんは「父はよく『戸建てを超える集合住宅を作りたい』と言っていました。広くていい環境に安く住んでもらいたい、という考えのもと、斜面地の住宅を設計していたと聞いています」と語る。

共治さんが斜面の開発に力を入れたのは1980年代半ばごろ。マンションが大量に建てられ、団塊の世代が購入し始めたころだ。

都心の好立地や駅近の敷地は大手デベロッパーが開発し、共治さんのもとに仕事はまわってこない。

ならば自ら開拓しようと、親しい不動産屋を訪ねて土地を探し始めた。そこで目をつけたのが「斜面」だった。

「なぜ斜面かといえば、平坦な土地よりも価格が非常に安いから。建物は南向きがいいとされているため、北向きの斜面はさらに安価です。方位や場所、景色のよさなどから、“料理をするとおいしくなる斜面”を探したそうです」

ゆりが丘ヴィレッジ 斜面住宅

ゆりが丘ヴィレッジのある川崎市や隣の横浜市は多摩丘陵に位置し、傾斜地の多い街だ。丘や高台を見ると、斜面に家がぎっしり並んでいる(写真:筆者撮影)

ゆりが丘ビレッジ 斜面住宅

ヒルサイド久末の翌年に竣工した川崎市麻生区の「ゆりが丘ヴィレッジ」(写真:サムデザイン提供)

北向きの斜面も仕掛けによってはいい場所になる。やりようによってはいい物件が建てられる場所を求め、都市開発における将来的な交通網の発展まで視野に入れて調査した。

「土地を見極め、さらに絵も作っていました。設計して模型を作り、構造計算も行う。収支計算までして、利益が出る計画だと判断できたら、デベロッパーのもとへ『やりませんか』、と持って行ったようです」

ヒルサイド久末もまさにこの方法だ。

川崎市高津区久末にある土地は、駅から離れ、スーパーも近くになく、とても不便な場所だった。高低差が約25mという急斜面で、粗大ゴミが捨てられていたような場所を、多くのデベロッパーは売れない土地と判断していたのだ。

ヒルサイド久末 斜面住宅

ヒルサイド久末が建つ斜面。急な傾斜地であることがわかる(写真:サムデザイン提供)

「父はうまく環境を作れると思ったんでしょうね。蓋を開けてみれば倍率は約7倍、1日で完売したそうです。見に来た人は気に入ってすぐに決め、抽選になったと聞いています」

斜面住宅にはさまざまな種類がある

斜面住宅と一言で言っても、その形はさまざま。

斜面に沿うように建てた住宅もあれば、斜面をカットして擁壁(ようへき:土砂などが崩れ落ちるのを防ぐための壁)を作り、その上に建てる手法もある。土地には特徴があり、特に斜面は個性が強いため、設計の仕方はそれぞれ変わる。

ヒルサイド久末とゆりが丘ヴィレッジに続いて、1987年に「ペガサスマンション大倉山」(横浜市港北区)が竣工。

さらに、1991年には東京・八王子に7戸×6棟のひな壇上の「テラス42(現:ヒルサイドテラス平山城址)が完成した。ほかの斜面住宅とは異なる形状だが、横浜市保土ケ谷の「HOMES20」も斜面地に建てられている。

テラス42 斜面住宅

東京都八王子市に建つ「テラス42」(写真:サムデザイン提供)

斜面に段状に建つ斜面住宅に共通しているのは、先にも触れたようにエレベーターやエントランス、片廊下を設けないなど、管理費を抑える工夫がされていることだ。住戸も広くバルコニーやルーフテラスもあり、自然に囲まれている。共治さんが斜面を生かして手がけた建物の数は、15にものぼる。

ただ、ここで強調しておきたいのは、共治さんは斜面に住宅を作りたかったわけではないということだ。可能性にあふれた集合住宅を実現できるのが、斜面だったのだ。

日本の戸建ては区分所有者がいる。庭や眺望を求めても、限られた環境で実現するのは難しい。そんな住宅環境を工夫次第で変えられるのが、斜面住宅だと共治さんは考えていた。

また、「鳥が見てもきれいな住宅を作りたい」とも語っていたという。斜面はもともと里山であり、里山に埋もれるような集合住宅にしたかったそうだ。住宅を建てて終わりではなく、「景観を戻す」という考えのもと、建物と周辺環境を含めて設計を進めていった。

たしかに、共治さんの斜面開発には「景観を戻す」という考え方が一貫してある。里山に溶け込むような住宅をつくるために、長い目で見た植栽計画が導入されている。

敷地内に植えられた木は、周辺の雑木林の植生に合わせている。木の成長を見通して、竣工時に樹間を空けて植え、時を経たいま、住宅を包み込むように木々が茂っている。共治さんが願ったとおり建物は自然の中に溶け込んでいる。

軽井沢 斜面住宅

井出敦史さんが同じSUM建築時代の同僚のTENJIN STUDIO加藤克彦さんと手がけた木造平屋の「斜面を受け止める家」(2013年)。斜面に対してV字に配置し、勾配に合わせて屋根をかけている。斜面地ではさまざまな住宅の表現ができる(写真:サムデザイン提供)

「父は、造園家でランドスケープデザイナーの田瀬理夫さんに周辺環境の設計を依頼し、協働していました。田瀬さんには10年後、20年後を完成とした環境を作っていただきました」

住人たちは「誇り」だと感じている

筆者はヒルサイド久末とゆりが丘ヴィレッジの存在感を肌で感じようと、遠くからも眺めてみた。ぐるりと見渡すと周辺の斜面にたくさんの家が見えるが、共治さんが手がけた集合住宅は木々に囲まれ、まさに里山のようだ。そこだけ不思議な存在感を放っていた。

斜面住宅は今も人気が高く、空室が出てもすぐに埋まると敦史さんはいう。長く暮らす住人は、建物にいま、どんな思いを持っているのだろうか。

「誇りだとおっしゃる方もいます。住んでいる人が愛してくれて、ずっと守っていく。そんな住まい方ができる家だと思います。周辺の環境は住人が緑化の会を作り、世話や管理をしています。父がイメージした理想的な住まい方をしてくださっていると感じます」

2011年度には、地域社会に長きにわたって貢献した建物に贈られる日本建築家協会「JIA25年賞」を「ゆりが丘ヴィレッジ」が受賞。2013年度には「ヒルサイド久末」も受賞した。

植栽や管理まで長期スパンで計画し、今も大切にされている斜面の集合住宅。建物が環境や街並みを作り、里山に溶け込んでいく。

「新築が素晴らしいという考えもありますが、住まいに味が出てくるのは時間が経ってから。その考え方はこれからも守っていきたいと思います」

【そのほかの写真を見る】上空から見た圧巻の光景。自然豊かな斜面住宅の気になる内部や、間取りも

テラス42 斜面住宅

テラス42を下から見上げる。雛壇のように住宅が重なる(写真:サムデザイン提供)

(鈴木 ゆう子 : ライター)

ジャンルで探す