「積極財政派」「財政再建派」提言に見る希望と絶望

失われた30年

「失われた30年」に起きた逆説的現象とは(写真:78create/PIXTA)
本来であれば格差問題の解決に取り組むべきリベラルが、なぜ「新自由主義」を利するような「脱成長」論の罠にはまるのか。「令和の新教養」シリーズなどを大幅加筆し、2020年代の重要テーマを論じた『新自由主義と脱成長をもうやめる』が、このほど上梓された。同書著者の一人でもある中野剛志氏が、マクロ経済政策の視点から財政政策を論じる。

「積極財政派」「財政再建派」2つの提言

新自由主義と脱成長をもうやめる

自由民主党には、積極財政派の財政政策検討本部(本部長・西田昌司参院議員)と財政再建派の財政健全化推進本部(本部長・古川禎久元法相)とが存在し、それぞれが岸田文雄首相に提言書を提出した。

同じ政党内で、財政政策に関し、対照的な提言が行われるというのは、実に興味深い。議論もせずに見解を統一させるよりも、自由な論争を続けることのほうが重要であり、それこそが自由民主政治のあるべき姿であろう。

もっとも、政府の財政制度等審議会(財政審)や経済財政諮問会議の民間議員の提言は、自民党とは異なり、一枚岩になって、財政再建派のほうに与している。

例えば、財政審は、建議「我が国の財政運営の進むべき方向」の中で、こう述べている。

「既存の社会経済システムを大胆に変革することで、企業の投資を促し、民間主導の自律的な経済成長を実現していくとともに、財政健全化に向けた揺るぎのない姿勢を国内外に示し、財政に対する市場の信認を確保していくべきである。そのためには、現行の財政健全化目標(2025年度の国・地方のプライマリーバランス黒字化、債務残高対GDP比の安定的な引下げ)を堅持し、その実現に向けて、規律ある「歳出の目安」の下で歳出改革の取組を継続すべきである。(中略)現行の財政健全化に向けた取組を一歩も後退させてはならず、政府は高い緊張感を持って財政運営に臨むべきである。」

これに対して、自民党の財政政策検討本部の提言は、プライマリーバランス黒字化目標に「断固反対」だとして、財政審の建議と真っ向から対立している。

しかし、この提言を実際に読みもせず、「政治家によるバラマキの要求」などと侮ってはならない。というのも、そこに書かれているのは、簡潔だが、驚くほどレベルの高い理論的な内容だからだ。

財政政策検討本部の提言のポイントは、プライマリーバランス黒字化目標に代わる新たな財政政策の指標を提案しているところにある。

それは、「『ネットの資金需要』(企業貯蓄と財政収支の対GDP比)をマイナス5%程度に誘導し、維持する」という指標である。

これは、簡単に言えば、次のような考え方に基づく。

まず、企業貯蓄がプラスであるということは、投資不足を意味する。したがって、経済が成長するためには、企業貯蓄はマイナスでなければならない。

次に、「『民間部門の収支』+『政府部門の収支』+『海外部門の収支』=0」であるから、海外部門の収支を無視すれば、「『民間部門の黒字』=『政府部門の赤字』」が成り立つ。

要するに、民間が貯蓄超過の時は財政赤字になるということであり、民間が投資超過の時は財政黒字になるということだ。

「失われた30年」に起きた逆説的現象

もし、民間が貯蓄超過にもかかわらず、財政赤字を強引に削減したとしたら、何が起きるか。それは、国民所得の減少を通じて、民間貯蓄が減少することになる。その結果、GDPの縮小を通じて、対GDP比政府債務残高はかえって悪化することにもなりかねない。

つまり、財政赤字の削減努力によって、財政健全化(対GDP比政府債務残高の低下)から遠ざかるという逆説的な現象が起き得るのだ。

そして、この現象こそが、「失われた30年」に起きたことだった。

1998年以降、日本経済における「ネットの資金需要」はマイナスどころか、ほぼ一貫してプラスであり続けた。それにもかかわらず、日本政府は、プライマリーバランス黒字化目標の堅持など、財政支出の抑制に固執し続けた。そのことが、長期停滞のみならず、財政悪化をももたらしたのである。

したがって、企業貯蓄がプラスの間は、財政赤字は拡大してよい、いやむしろ、拡大すべきだということになる。

そして、財政赤字を拡大してよいのならば、需要を創出し、企業投資を促すための政府支出の拡大や減税が可能となる。もちろん、防災、社会保障、環境、教育、科学技術、少子化対策、デジタル化、安全保障などへの支出を拡大することもできる。こうした積極財政により、短期のみならず、中長期的にも持続する経済成長が可能となる。

では、財政赤字は、どこまで拡大できるのであろうか。

企業貯蓄がマイナスに転じたら、つまり投資超過になれば、経済は成長する。ただし、民間投資が増えすぎて、ネットの資金需要がマイナス10%になったら、バブル経済となる。バブル経済を引き起こさないようにするには、ネットの資金需要をマイナス5%程度に維持すべく、財政赤字を削減する必要がある。つまり、財政健全化が求められるのは、民間投資が過剰になった場合のみだということである。

そして、その赤字財政支出の上限として、財政政策検討本部は、「ネットの資金需要をマイナス5%程度にする」という財政指標を提案しているのだ。

「マクロ経済政策」視点が欠落している財政審

実は、財政政策検討本部の提言は、経済成長と財政健全化の両方が重要であるという点において、財政審と一致している。しかし、両者の最大の違いは、次の点にある。

財政政策検討本部は、「ネットの資金需要」を財政指標にするという提案に明らかなように、財政赤字を拡大すべきか縮小すべきかを決めるのは、財政収支ではなく、マクロ経済環境だと考えている。財政政策を「マクロ経済政策」として論じているのである。

『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』書影

これに対して、財政審の建議は、マクロ経済の状況如何にかかわらず、「プライマリーバランス黒字化」を堅持すべきだとしており、財政支出の抑制がGDPに与える影響を無視している。「マクロ経済政策」という発想が欠落しているのだ。

だから、財政審は「プライマリーバランス黒字化」が「債務残高対GDP比の安定的な引き下げ」と矛盾する可能性について一顧だにしていないのである。

また、財政審は、企業が貯蓄超過の状態で、財政健全化を優先しつつ、民間主導の経済成長を実現するために「既存の社会経済システムを大胆に変革する」などと述べている。しかし、そのようなマクロ経済学の根本原理を無視した「社会経済システムの変革」などは実現不可能である。それは、マクロ経済政策というものを理解していない素人が抱きがちの「夢想」に過ぎない。そのことを、我々は「失われた30年」という犠牲を払って思い知ったはずだ。

このように、自民党財政政策検討本部の提言は、財政審の建議よりも、理論的にはるかに優れている。与党の一部の国会議員のほうが、経済学者などの有識者よりも、マクロ経済政策を正しく理解しているのだ。

ここに、我が国の希望と絶望がある。

ちなみに、自民党財政政策検討本部の提言は、次のような言葉で締めくくられている。「マクロ経済のバランスを無視して歳出抑制に邁進してきた財務省に猛省を求める。」

(中野 剛志 : 評論家)

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