「りんご」の鉄瓶が伝統工芸の世界にもたらす新風

田山貴紘さんとタヤマスタジオの仲間たち

伝統工芸である南部鉄器の世界に革新を起こすタヤマスタジオ。右端が代表の田山貴紘さん(写真:タヤマスタジオ提供)

大谷翔平選手のInstagram投稿で話題になった南部鉄器は、400年以上の長い歴史を持つ岩手県の伝統工芸だ。その南部鉄器の世界では近年、若手職人によるイノベーションが起きている。

盛岡市の南部鉄器職人、田山貴紘さんもその一人。AIを活用して新たな職人育成の仕組みを構築し、持続可能な伝統工芸のありかたを追求している田山さんに話を聞いた。

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前回の記事:大谷選手Instaで話題の「南部鉄器」9代目の挑戦

南部鉄器の歴史に2つの産地

昭和のころには全国の家々にあった黒い鉄瓶の多くは岩手県で作られた南部鉄器。その産地は、盛岡市と奥州市。

江戸時代、城下町・盛岡では、この地を治めた「南部」藩の藩主が京都から茶の湯の釜を作る職人を招いたのが始まりだ。

一方、岩手県「南部」の奥州市では、平安時代の終わりごろに奥州藤原氏のもとで武器を作ったのが発祥とされ、江戸時代には伊達藩の庇護のもと、庶民が使う農具や暮らしの道具が作られた。

しかし近代になると取りまく環境は一転。人々の生活様式の変化に加え、戦時中は軍需最優先のため、原材料の鉄はもちろんのこと、鍋や釜まで供出され、1941年には鉄器製造が禁止されるなど、存続が危ぶまれる状況に陥った。

【写真】盛岡市の南部鉄器職人、田山貴紘さんの工房や、人気商品の様子(9枚)

南部鉄器の伝統的な製造風景

江戸時代から変わらない南部鉄器の伝統的な製造方法(写真:タヤマスタジオ提供)

技術を途絶えさせないため、1959年に盛岡と奥州、両地域の鋳物組合が共同で「岩手県南部鉄器協同組合連合会」を設立。これが現在知られる「南部鉄器」という名称の始まりとなる。

つまり、来歴の異なる2つの産地で作られた製品の総称が「南部鉄器」。

川の砂と水と粘土を使い、手作業で鋳型から作る伝統技法にこだわる小規模な工房から、工業化によって比較的、安価な製品を作ることのできるメーカーまで大小さまざまな製造元がある。

ひと口に鉄瓶と言っても、1万円前後のものから数十万円のものまでさまざまなのは、こういった事情がある。

鉄瓶めぐる多角経営で起業

そのような中、「kanakeno」のブランドで鉄瓶を製造・販売する南部鉄器職人の田山貴紘さん(盛岡市)は、職人が1つひとつ手づくりする昔ながらの伝統的な技法にこだわって事業を展開。

20~50代の職人を雇用し鉄瓶を製造するほか、商品を手に取れるカフェや店舗の経営も手掛ける。

田山さん

「工芸が存在する意味を社会に問いたい」と語る田山さん。革新的な手法を持ち込みながら、社会に発信したいのは、経年変化し“寂びる”道具である工芸が持つ価値だという(写真:筆者撮影)

古い写真館をリノベーションしたカフェ

古い写真館をリノベーションしたカフェengawa(盛岡市)では鉄瓶で沸かしたコーヒーや紅茶を提供している(写真:タヤマスタジオ提供)

「歴史のある工芸を今の社会の中に取り戻したい」、その思いが原動力だという田山さん。

手づくりの南部鉄器は、高価格で手に取られにくいという課題と、高齢化が進む中で若い職人を育成しなければいけないという2つの課題がある。

田山さんは両課題を同時に解決する「あかいりんご」と名付けたプロジェクトで、比較的リーズナブルな4万円台の鉄瓶を実現させた。持続可能な伝統工芸のモデルとして評価され、革新的な工芸の担い手に贈られる「三井ゴールデン匠賞」を受賞するなど注目を集めている。

「赤いりんご」

丸みをおびたフォルムが愛らしい鉄瓶「あかいりんご」(写真:タヤマスタジオ提供)

営業職からUターンし南部鉄器職人に

田山さんの父・和康さんは「現代の名工」にも選ばれた南部鉄器職人で、中学卒業直後から定年退職するまでの約50年間、盛岡市内で江戸時代から続く老舗工房に勤め上げた。

また祖父もユネスコの無形文化遺産にも登録されている郷土芸能の「早池峰神楽」で長老を務めるなど、伝統を重んじる家系で育った。

一方、田山さんは高校卒業後に上京し、首都圏の大学と大学院でバイオを学んだ後、都内の大手健康食品メーカーに就職。営業職として全国を飛び回る日々を送った。

田山さん

盛岡にUターンし起業した田山さん(写真:筆者撮影)

生まれ育った盛岡では、街なかにいくつもの南部鉄器工房があり、盛岡の人たちには身近な存在だったが、東京で生活してみると、同世代の若者は誰も南部鉄器を知らないことに衝撃を受けた。

南部鉄器とは無縁の20代を送っていたが、東日本大震災をきっかけに、「自分にしかできないことをしたい」と思うように。それまでのキャリアや生い立ちの棚卸しをしたことで、父がその道を追求してきた南部鉄器や、祖父が継いできた郷土芸能などへの思いを新たにしたという。

「自分の中には地域の伝統文化が根づいていることに気がつきました。南部鉄器の技術を身に付け、そこに会社員として培った営業のスキルがあれば、自分にしかできない形で南部鉄器の世界で新しいことを起こせると思ったんです」

鉄器づくり100の工程を検証

「悔しさ」も原動力だったと田山さんは振り返る。

「父は高い技術のある職人として評価されていましたが、それでも決して経済的に裕福だったわけではありません。南部鉄器がもっと稼げる産業になるためには、自分がチャレンジして南部鉄器業界を変えてやる、そう思っていました。当時は『南部鉄器業界をぶっ壊す』なんて息巻いていましたね」

2012年にUターンし、定年退職し独立していた和康さんに師事した。当初から課題として念頭にあったのは、深刻化する職人不足だ。長引く不況で職人の成り手は減少。海外で南部鉄器が注目され、輸出は伸び始めていたのに人手が足りず、生産が追い付かない事態になっていた。

南部鉄器の世界は、ひとつの鉄瓶を仕上げるまでに全部で約100の工程があり、「10年修行してやっと一人前」と言われてきた。

和康さんが全工程に携わるまで30年かかったと聞いていた田山さんは、まずは自身が一人前の職人になることを目指しつつ、制作に必要な全工程を把握したうえで、育成にかかる時間やそれ以外のコスト、ボトルネックになりがちな工程などを検証することにした。

それには和康さんが「教え好き」で技術を言語化することに長けていたのが幸いした。結果、田山さんは自ら実験台となり、職人に必要な技術の全体像を短期間で理解していった。

その体験を通し、「現代の名工」にも選ばれた父のような熟練の技や美的センスが必要な工程もあれば、比較的習得しやすい工程もあることに気づいたという。

若い職人を育てるシステム

田山さんは2013年に自身の会社・タヤマスタジオを立ち上げ、南部鉄瓶の製造・販売を行うブランド「kanakeno」をスタートさせた。

当初は鉄瓶のラインナップを2種類に絞り込んだ一方で、若い世代に南部鉄器を知ってもらう市民講座「てつびんの学校」を盛岡や東京で開催。鉄瓶の歴史や制作方法、鉄瓶で沸かした白湯の味を伝えた。

その取り組みが功を奏し、2017年に6万円台、2018年に8万円台(金額はいずれも当時)で発売した商品は「てつびんの学校」やイベントで実際に触れた人たちからの注文が相次ぎヒット作となった。

しかし田山さんには、もっとたくさんの人に身近な商品として届いてほしい、という課題感が残ったという。

その課題から生まれたのが「あかいりんご」のプロジェクトだ。

経験の浅い職人が一つの鉄瓶を作るのに必要な技法を身に付けながら、最初の鋳型作りから仕上げの着色までを1人で担当することでコストを削減。職人育成と低価格の実現を兼ね備えた画期的な仕組みを作り上げた。

3色で展開する「あかいりんご」

3色で展開する「あかいりんご」。シンプルなデザインが特徴(写真:タヤマスタジオ提供)

多くの工房では、各工程を習得してから次の工程に進むのが一般的。しかし田山さんはそのやり方は今の若者の感覚や働き方改革が進む時代性に適していないと判断した。

「鉄瓶づくりの全体感を把握し、なぜその工程が必要なのかを身をもって体験しながら習得するほうが、今の若い世代の志向に合っている」と言う。

若手職人の作業を見守る田山さん

若手職人の作業を見守る田山さん(写真:タヤマスタジオ提供)

タヤマスタジオでは職人として5人を採用。20~50代のうち3人は未経験者で、2人は新卒採用から育成してきた。

1人で全工程を担うことで、その鉄瓶への責任感を持つことにもつながり、ECサイトから寄せられるユーザーの声が職人の成長につながる効果も感じているという。

大学・スタートアップと連携しAI活用も模索

さらに、このあかいりんごの取り組みが多方面から注目されたことをきっかけに、岩手大学と製造業向けのAIサービスを手掛けるスタートアップと3者協働でのAI導入の実証実験がスタートした。

和康さんが鉄瓶を作る際の思考をAIで再現するという試みで、ベテラン職人がそれぞれの作業工程で、何を考えどのポイントを重視して作業するのかといった情報を言語化して構造化した。

職人を育成する様子

タヤマスタジオでは新卒の採用にも取り組み、職人を育成している(写真:タヤマスタジオ提供)

「南部鉄器職人の育成はこれまでOJT頼みでしたが、AIを導入したことで若手職人が自主学習できる機会が生まれ、失敗の原因となる要素をあらかじめ取り除いたり、失敗によるロスを減らすことができる」と田山さんは言う。実証実験後、現場で活用していく予定だという。

今後は、全国の工芸の担い手たちと連携して「ともに工芸の価値をつくっていきたい」という田山さん。

「工芸の世界でチャレンジし続ける姿勢を示すことで、新しいマーケットを作り、工芸に新しい人材や投資の流れを呼び込んでいきたい」と先を見据えている。

【写真】盛岡市の南部鉄器職人、田山貴紘さんの工房や、人気商品の様子(9枚)

(手塚 さや香 : 岩手在住ライター)

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