原動力は「選手強化」大規模アイスショーの舞台裏

2023年5月26日「ファンタジー・オン・アイス2023」幕張公演オープニングの様子。国内外のトップスケーターが一堂に会し、人気ミュージシャンとコラボレーションする(撮影:梅谷秀司)
日本で毎年開催されるアイスショーの中でも独特の地位を築いてきた「ファンタジー・オン・アイス」。著名なミュージシャンが出演することでフィギュアスケートファンに知られる、国内アイスショーの代表格だ。
アーティストとスケーターのコラボ、サーカスを彷彿とさせるフライング・オン・アイス、ムービングステージの使用など、新しいことにも挑戦し続ける。前編に続き、後編ではCICによる一社制作体制、座長に近い立場でこのショーに関わってきた羽生結弦さんに注目する。
前編:「大規模アイスショー」が人気を獲得した独自性

経営安定のために必要だった“看板商品”

前編でも触れたとおり、「ファンタジー・オン・アイス」は、珍しい制作体制を取っている。イベント企画・制作を専門とするCICが一気通貫にショーを作り上げ、運営しているのだ。共同主催、後援、開催地の企業を中心とする協賛企業など関係先は多いが、ショーの中身に関しては多くのことがCIC一社で完結するため、小回りがきき、制作上の自由度が高くなる。そして、外注費用も抑えられる。

CICは、なぜこうした運営スタイルをとるようになったのか。

同社の真壁喜久夫社長は、日本のアイスショー文化の立役者の一人として知られる人物だ。2001年、勤務していたイベント制作会社からフィギュアスケートを含むイベント部門を独立させる形でCICを設立。同年、フィギュアスケーターの中でも当時とくに人気のあったフランスのフィリップ・キャンデロロさんを招いて開催したのが、「フィリップ・キャンデロロ ジャパンツアー2001」だった。

「私たちは当初、受注仕事で売り上げを立てる制作会社でした。でも、経営を安定させていくには、よそから受注した仕事だけでなく、“自社商品”を持たなければいけない。そこで、私自身の得意分野、フィギュアスケートでイベント主催事業を確立しようと考えたんです」(真壁社長)

【写真】羽生結弦さんや荒川静香さんなど、「ファンタジー・オン・アイス2023」の様子(7枚)

そもそもアイスショーという文化は欧米が先行し、日本では「フィギュアスケート=冬季五輪」というイメージでしか知られていない時代が長かった。「フィリップ・キャンデロロ ジャパンツアー2001」は、CICが自らの力で立つための第一歩であると同時に、日本にエンターテインメントとしてのフィギュアスケートを輸入する取り組みでもあった。

真壁喜久夫(まかべ・きくお)●日本大学芸術学部卒業後、イベントのアルバイトに従事。1999年に株式会社シーアイシー創業。2001年からアイスショーを各地で開催するほか、多数のスポーツイベントを手がける(写真:CIC提供)

手探りの中で主催したこのショーは集客に苦戦し、2000万円の赤字となった。創業間もないCICにとっては非常に厳しい結果だったが、そこで諦めず開催した翌年の「フィリップ・キャンデロロ・ファンタジー・オン・アイス2002」では黒字を出せた。

翌2003年はまた大赤字になってしまい、その後「ファンタジー・オン・アイス」と銘打ったショーが復活するのは2010年のことだ。が、フィギュアブーム前夜、2000年代初期に主催したこの一連のアイスショーの経験がCICの方向性を決めたという。

「当初は、ビジネスを軌道に乗せるため、自社の看板商品をつくるため必死でした。ところが最初の年、2001年のショーが終わった後、日本スケート連盟から『選手にとって貴重な経験になった』とお礼を言われたんです」(真壁社長)

「感謝されたら、もう続けるしかない」

フィギュアスケートがマイナー競技だった時代の日本では、トップ選手でも大勢の人の前で演技をする機会は少なかった。日本の選手にとって、不慣れな環境で行われる試合は心細さや緊張と戦う場でもあっただろう。

一方、アイスショーの盛んな国や地域の選手には、観客の反応を見ながら演技をしてきた経験がある。競技においても、ショーで培われた表現力、ジャッジや観客へのアピールなどの面で、大きな差が出てくる。この差を埋めるのにCIC主催のアイスショーが一役買うこととなった。

また、日本がフィギュアスケート強国になる前は、海外のトップスケーターや一流の振付師との接点を持とうにも、国際大会の場くらいしか機会がなかった。トップ選手はどのような練習メニューをこなし、どんなふうに滑り、どう跳ぶのか。それを間近に学べるアイスショーは、本番だけでなく事前の練習も含めてよい刺激になる。

民間企業のCICが、海外のスターを招き日本で開催したショーは、図らずも日本の選手に観客の前で演技をする機会、世界レベルのスケートに触れる機会を提供したのだ。ショーには、後に五輪で日本代表として活躍することになるスケーターも出演していた。

「社業発展のために企画したショーでしたが、選手の強化につながると感謝されてしまったら、もう続けるしかない。うれしかったんです。1年目に大赤字を出しながら、2年目に再び主催したのは、日本のフィギュアスケートが強くなっていくために何かできることがあるなら、という思いからでした。その思いは今も変わりません」(真壁社長)

しかし、アイスショーを事業として続けるためには黒字化しなければならない。選手に強化の場を提供するためには、安定した利益を出せる仕組みが必要だ。

トリノ五輪金メダリストで現在はプロスケーターの荒川静香さん(撮影:梅谷秀司)

CICは2000年代初頭の主催経験の中で、世界各国のスケーター、スケート関係者とのネットワークを構築し、企画から集客までのノウハウを蓄積できた。併せて、2006年トリノ五輪以降のフィギュアスケートブームが追い風になる。

女子では荒川静香さんのトリノ五輪金メダル獲得や、浅田真央さんのトリプルアクセルに注目が集まり、男子も高橋大輔さんがアジア人として初めて2010年のバンクーバー五輪で銅メダル獲得、世界選手権優勝を果たした。次々にスター選手が生まれる中で、「ファンタジー・オン・アイス」にとって、とりわけ大きな存在となったのが羽生結弦さんだ。

2013年に羽生結弦さんを大トリに

ソチ五輪、平昌五輪金メダリストで現在はプロスケーターの羽生結弦さん(撮影:梅谷秀司)

フィギュアスケート界と密接に関わってきた真壁社長は、ショーの出演者だけでなく、将来の出演者候補となりうるスケーターを探すことにも努めてきた。シニアに上がる前から注目のスケーターだった羽生さんとも2008年頃から交流があった。新生ファンタジー・オン・アイスには2010年の第1回から出演をオファーし、2013年公演では、ソチ五輪を前に初めて大トリを任せた(以降、2023年公演まで出演時には大トリ)。

2014年に羽生さんがソチ五輪金メダリストになってからは、人気が拡大する一方だった。羽生さんのファンの間には、「ニース落ち」「ソチ落ち」といった用語がある。いつどの演技を見てファンになったかを意味するもので、「ニース落ち」なら2012年世界選手権から、「ソチ落ち」なら2014年五輪からファンになったことを指す。以降も新たな「○○落ち」が次々に生まれた。

そんな羽生さんがほぼ確実に出演するショー(怪我の治療中だった2016年を除く。また、2020、2021年はコロナ禍で開催されず)。しかも、実質座長のような立ち位置である。チケットは入手困難が続いた。

2023年幕張公演初日は、地震によりショーが一時中断された。羽生結弦さんは終演後、観客を気遣う異例のマイクパフォーマンスを行った(撮影:梅谷秀司)

羽生さんは、オープニングなどで中心的な役割を果たし、大トリの演技を終えれば会場は総立ち。さらに、終演後はリンクから退出する出演者を労う側に回る。

出演者の1人というよりは、ショーの成否を自ら担おうとするかに見えるが、「実質座長」はCICからの依頼によるものなのだろうか。尋ねてみると真壁社長は「それは曖昧です」と言う。「座長をお願いします、と話をしているわけではない。ただ、彼はずっと、そういう意識で出演してくれていると思います。私も、彼が先頭に立って、みんなを引っ張っていってくれると期待している。なんといっても五輪2連覇のトップスケーターですから」。

「ファンタジー・オン・アイス」の歴史は、羽生さんと制作側との切磋琢磨の歴史だったともいえる。「彼が出演するショーなのだから、当然、クオリティーの高い、ナンバーワンのショーにしなきゃいけない。私たちも負けられない、と思ってやってきました」。

羽生さんは、「アイスショーではジャンプを含め演技の各要素を失敗しにくい難易度に抑える」という従来のあり方を率先して変え、プロ転向後もオープニングから4回転ジャンプを跳んでいる。すべての演目が終了した後に行われる「ジャンプ大会」でも高難度ジャンプに挑む。そうした積極的な姿勢はほかの出演者にも伝播し、とくに若い選手にとって刺激になってきただろう。

ショーの大きな売りであるアーティストとのコラボ演目でも、羽生さんは曲を深く研究し、皆を驚かせるような演技を用意してくるという。

「彼と同じ時代にフィギュアスケートの世界に身を置き、その進化を間近に見られたのは本当に幸運なことでした。ショーでも全力を尽くしてくれるから、私たちも演技を見るのが毎年楽しみです。“羽生結弦出演ショー”だからチケットを買う、というお客さんが多いのもわかっています。でも、1つ肝に銘じているのは、彼の人気にただ乗っかろうとするのは違う、ということです。私たちは私たちで、より良いショーをつくるために努力をする。そうしていかなければ、未来はないんです」(真壁社長)

「羽生結弦単独ショー」という“競合”

フィギュアスケートの世界はこの数年で大きく変化し、集客に苦戦するショーは少なくない。「ファンタジー・オン・アイス」も、例えば2023年の宮城公演では、とくに初日である金曜日の公演で、会場後方に多くの空席が出た。コロナ禍以降、平日夜のイベントの集客が難しくなってきているとはいうが、理由はそれだけではないだろう。

会場の立地やアクセス面は要因として大きいが、もう1つ考えられるのが、羽生結弦さんの単独ショーや座長公演と観客が重複することに伴う集客不調だ。2022年のプロ転向以降、羽生さんの単独公演や座長公演が盛んに行われている。

もっぱら羽生さんを応援するファンであれば、より多く羽生さんの演技を見られる単独ショーや座長ショーの優先度が高くなるのは想像にかたくない。羽生さんがほぼ確実に出演することがほかのショーとの差別化要因の1つになっていた「ファンタジー・オン・アイス」に、「羽生結弦単独ショー・座長ショー」という“競合”が現れたのだ。

「彼の単独ショーや座長ショーの影響は、やはりあると思います。当社もその運営に関わっているのでわかっているし、現状を楽観視してもいない。ただ、お客さんを奪い合うというよりは、お互いに高め合いたいという気持ちです。『ファンタジー・オン・アイス』は、多くのスケーターやアーティストが一緒につくり上げるエンターテインメント。その魅力をうまく打ち出していきたい」(真壁社長)

チケットの売れ行きが非常に好調だったこの10年、ショーの内容を充実させるための投資には力を入れてきた。2023年に初めて導入したムービングステージ(SNS上ではロボット掃除機になぞらえて「ルンバ」と呼ばれた)もその一環だった。

真壁社長は、「この10年が特別で、それが元に戻るということなのかもしれない」とも吐露する。

10年の間、自身もスターの演技に魅了されつつ、しかし経営者としては「スター依存」への危機感を持ち続けた。だからこそ、「“フィギュアスケートファン”、“ファンタジー・オン・アイスファン”を増やしたい」という変わらぬ思いを強調してきた。

2023年幕張公演でアンサンブルスケーターがムービングステージ 、通称「ルンバ」に座る様子。新鮮だったが、非稼働時は菱形の「ルンバ」の一角がステージからリンクに突き出す形で設置されたため、スケーターの軌道が制限されているのではないかとの声が上がった。2024年の「ルンバ」は非稼働時はステージに埋め込まれる形となり、鑑賞体験の質向上に一役買った(撮影:梅谷秀司)

真壁社長の話を聞いたのは2023年公演後、少し経ってからのことだった。2024年公演はどうだったのか。5月24日の幕張公演初日を取材した。

印象的な点を2つ挙げると、まず、前述したムービングステージ、「ルンバ」の運用が洗練されていた。青木祐奈さんと城田優さん&安田レイさんのコラボ演目である「A Whole New World」(ディズニー映画『アラジン』主題歌)では空飛ぶ魔法の絨毯のように使われ、観客をどよめかせた。

2023年の公演では初導入したムービングステージの特長を生かしきれなかった。観客からは、「ルンバ」によってむしろ鑑賞体験が損なわれているとの声が多く上がった。そうした初年度の不満を解消し、「『ルンバ』だからこそ」生きる演出を2年目にして実現した形だ。

ディープな「ガンダム祭り」

2つ目は、アニメ「ガンダム」シリーズを前面に押し出すプログラムづくりだ。参加アーティストであるT.M.Revolution/西川貴教さんはコラボプログラム向けに4曲のパフォーマンスを行ったが、フィナーレ「HIGH PRESSURE」を除いた3曲がガンダム関連の楽曲だった。例えば、羽生結弦さんとのコラボプログラム「ミーティア」は「ガンダムSEED」シリーズの劇中歌だ。

ガンダムファンの琴線に触れる選曲である一方、初日時点では会場内に「何の曲だろう?」と戸惑う観客もいたように感じられた。「WHITE BREATH」や「HOT LIMIT」のような大ヒット曲を多数持つ西川さんであるだけに、それを期待して来た観客を落胆させるリスクをはらむ、かなり思い切った選曲といえる。

数々のガンダム曲を歌ってきた西川貴教さんと、ガンダムファンスケーターである羽生結弦さん、田中刑事さんらが集結したことで実現したディープな「ガンダム祭り」である。

SNSでは関連ワードが複数トレンド入りし、これを機に「ガンダムSEED」を見てみたいという声も少なくない。アイスショーでガンダム曲が演じられたことを知ったガンダムファンからの反応もある。

全演目終了後、ステージ側に出演者がずらりと並ぶ。写真は2023年公演で、リンク中央付近から出演者に向けた拍手を促す羽生結弦さん。これは「ファンタジー・オン・アイス」の恒例行事であり、2024年も同様だった(撮影:梅谷秀司)

また、「ファンタジー・オン・アイス2024」幕張公演では、羽生結弦さんの立ち位置にも変化が見られた。全演目終了後、カーテンコールのような場面で出演者のまとめ役となるのは例年通りだが、演技(とくにオープニング、フィナーレ)においても2023年公演より多くの見せ場が作られた。また、出番自体が増え、前半では「ダニーボーイ」、後半大トリでは「ミーティア」と2つのプログラムを演じた(2023年のソロ演目は大トリの「if…」のみだった)。

ショーにおけるさまざまな工夫と挑戦は続くのだろう。今後、CICが目指す「アイスショーが日本のフィギュアスケーターの強化につながる」という好循環は維持できるのか。その中で、誰がどのような役割を担っていくのか――。華やかなショーの舞台裏に、現在進行形のもう1つの“戦い”がある。

(山本 舞衣 : 『週刊東洋経済』編集者)

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