社会保障拡充に協力的な財界と反発する労働組合

社会保障拡充をめぐり、労働界が反対し、経済界が協力的という世界的にみてあべこべの珍現象が日本で起きている(写真:poosan/PIXTA)

「社会保障は金持ちから貧困層への再分配にあらず」で論じたように、社会保障が行う再分配の主目的は「消費の平準化」と「保険的再分配」である。

そして人が生きていくうえで直面する「支出の膨張」と「収入の途絶」という生活リスクに対応することを苦手とする賃金システムの欠陥を補うために、消費の平準化をはたす賃金のサブシステムとして、労使が、賃金比例で財源を折半で拠出する方法が、19世紀末にドイツ帝国で考案された。

これは、私保険のアナロジーによって社会保険と呼ばれたが、この所得再分配制度がはたす役割の本質は、「支出の膨張」と「収入の途絶」に対応できない賃金のサブシステムであった。

「消費の平準化」は総需要の下支えも

昨年12月に、子ども・子育て支援金について議論していた全世代型社会保障構築会議の経過報告をするために経済財政諮問会議に出かけた。このとき、消費の平準化と賃金のサブシステムの話をしているので紹介しておこう。なお、この日は、消費の平準化を図るための賃金のサブシステムと経済政策との関係について話もしている。

◆2023年12月5日経済財政諮問会議議事要旨より
(新藤議員:内閣府特命担当大臣) 権丈先生は、社会保障制度は国民連帯に基づく再分配の仕組みであり、負担と呼ぶことに抵抗があるとおっしゃっているとお伺いした。また、再分配を通じて社会を安定させ、消費増を通じて経済成長に資するというお考えであることも伺っている。 経済成長と整合的に、社会保障の給付と負担のバランスを確保していく。全世代型社会保障という概念を打ち立てて、国民の理解をいただく。その点について、具体的にどうすればよいのか、御意見を頂戴したい。
(権丈全世代型社会保障構築会議構成員) 私自身は、提供体制の改革とか、医療保険の改革を恐らく日本で一番厳しく言っている人間だと思う。
そのうえで、再分配政策がどういう意味なのかという話を少しさせていただきたいのだが、10月のこども未来戦略会議で話をしたように、社会保障に必要とされる財源というのは、戦争で負けたときの賠償金とか、あるいは住専のときの不良債権への国民の負担とはまったく異なる。さらには、封建時代の五公五民の租税、年貢と、家計に再分配することがメインとなった福祉国家に必要となる財源を、同じ負担という言葉で呼ぶのには抵抗があるということをずっと言い続けている。
現代の福祉国家、再分配国家が行っていることは、みんなが稼いで得た所得をプライベートに使ってよいお金と、連帯してみんなの助け合いのために使うお金に分けて、後者を今すぐ必要な人に分配し直しているだけのことである。
先ほどの十倉議員と同じ話になるのだが、先週の全世代型社会保障構築会議で話したように、経済成長という現象は、結局は財・サービスへの「物欲」と現金や資産への「金銭欲」の葛藤の中で、一人一人が、物欲が金銭欲に勝ったときに起こる現象である。
社会保障という再分配政策は、人々の将来不安を緩和して金銭欲を抑える。これが、十倉議員がおっしゃっていた話につながっていく。また、今すぐ必要な人に所得が再分配されるので、社会全体の消費性向、つまり物欲を高め、消費を下支えすることになる。
この会議に参加している多くの人たちは、月賦で買いたいものがほとんどないという状況だと思うが、「消費の飽和」が経済の天井となっている今の時代では、世の中に安心と平等をもたらす社会保障というのは、経済政策としても極めて有効な手段になり得る。だから、十倉議員が言われた中長期のグランドデザインを示すこと、そして、社会保障と税の一体改革をもう一度考えていくことは、極めて重要な意味を持っていると思う。
財源調達の在り方について、まず押さえておいていただきたいことは、介護給付費は65歳以上で98%を使っていて、医療給付費は60%、年金給付の老齢年金は83%を占めていることだ。こうした高齢期に要するお金に対して、賃金システムというのは、歴史上うまく機能できなかった。誰もが長い人生で直面する「支出の膨張」と「収入の途絶」というものがあるが、これに賃金システムがなかなか対応できないから、19世紀後半に資本主義が一般化した、ドイツ帝国のビスマルク以降、賃金比例・労使折半という賃金のサブシステムが準備されてきた。
このサブシステムが果たしている役割をわれわれの世界では「消費の平準化」、コンサンプション・スムージングと言う。これはキーワードであり、高齢期に集中する生活費に若いときから関わって、将来、自分がその制度を利用するという形で支出を平準化しているから、われわれはコンサンプション・スムージングと呼んでいる。消費の平準化を主にはたしている社会保険は、社会保障給付費の9割近くを占めていて、国民の圧倒的多数の人たち、つまり中間層の生活を守っている。
加えて、この国で求められているのは、子育て期における「支出の膨張」と「収入の途絶」に対応できていない賃金システムの欠陥を補うサブシステムを、新たに構築しようということだと思う。そこに、これまでのサブシステムの財源調達手段、賃金比例・労使折半という財源調達の仕組みを使いましょう、ということが、今、議論されているのだと思う。もちろん、全世代でこども・子育てを支援する理念を形にするために、後期高齢者医療制度のような、年金からの特別徴収という仕組みもしっかりと活用する必要がある。 加えて、5月のこども未来戦略会議で私が示したように、公的な医療や、介護、年金保険など、高齢期の生活費を社会化していることはよいことであるのだが、そのおかげで使われずに済んで残された資産を含む相続財産に対しては、社会保障を目的とした相続税などを設けてはどうかと、ずっと言い続けてきている。
同時に、全世代で参加して社会保障を支えることができる消費税を含めて、一体改革を考えていくことができれば、若い人たち、高齢期の人たちに対する将来の安心、安定を与えて、消費を怖がることがないような時代ができると思う。 社会保障の財源調達面を負担と呼ぶのに頷けないので、社会保障という再分配制度というのは、皆で連帯して助け合う仕組みを持っておく、ただそれだけのことであることを広く理解してもらいたいと思って、さまざまな発言をしているが、これが理解されずに、社会保障は負担を強いるだけのものと誤解されたままだと、国民は大きな将来不安を抱えたまま生きていくことになる。社会保障の存在が経済に与える影響も、先ほど言ったプラスではなく、マイナス方向に働いていくことがあるので、この誤解を解いていくことを私の仕事としてずっとやっていきたい。

私が、発言の中で「十倉議員と同じ話になるのだが」と論じていた十倉雅和諮問会議議員、経団連会長は次の発言をする。

公平・公正は歳出改革だけではできない

(十倉議員) ・・・今、権丈先生が非常に意義深い、意味の深いご発言をされた。私はそれほど上手く言えないのだが、岸田総理が掲げている新しい資本主義は、歴代の経済政策と何が違うか。やはり成長と分配の好循環、分配という言葉を入れたところだと思う。そして、権丈先生が言われるように、分配を一番具現化するのは社会保障であると思う。
今の若年層がなぜ結婚しないか、なぜ子供を持たないか。可処分所得が少ないというのもあり、それは大きな部分であるが、やはり将来不安がある。将来不安は何か。将来不安というのは、少子高齢化が止まらないこと、そして、日本の財政問題が大丈夫かということ。この2つを同時に象徴的に表しているのが社会保障制度である。だから、何回も何回も同じことばかり申し上げて申し訳ないが、全世代型社会保障改革は中長期の視点で、大きな改革の絵姿を示したうえで進めることが絶対に必要だということを、経団連としては言い続けている。
歳出改革はもちろん大事であり、まず実行しなければいけない。しかし、公平・公正の話は歳出改革だけではできない。やはり給付と負担のバランスをどう考えるかということが非常に大事になってくる。高齢者も含めた全世代での応能負担の徹底、マイナンバーを活用して、給付と負担をしっかり行う、これが非常に大事である。そのうえで、われわれ企業は応分の負担をするのはまったくやぶさかではない。

私も、十倉氏の言う、「将来不安」が若い人たちの人生選択に影響を与えていると考えており、「公平・公正の話は歳出改革だけではできない」と思う。なお、十倉氏は、1月の諮問会議で、賃金のサブシステムの話もされている。

◆2024年1月22日経済財政諮問会議議事要旨より
(十倉議員)・・・成長と分配の好循環の分配とは、単に賃上げだけを意味するものではない。先日、この経済財政諮問会議の場で、全世代型社会保障構築会議の権丈先生がおっしゃっていたように、社会保障政策には再分配の機能もあり、賃金システムを補完するサブシステムとして、税と社会保障制度の一体改革が必要だと考える。繰り返しになるが、若年世代を中心にある、国民の漠とした将来不安の払拭に向けて、今後の人口減少を踏まえた全世代型社会保障制度の構築が急がれる。

経済学説史を専門とされる京都大学の根井雅弘教授は、『経済学の学び方』の中で思想家としてのJ・S・ミルを論じる箇所で、「わが国では、十倉雅和氏が経団連会長に就任して以来、このような傾向が顕著になった」(126ページ)と論じている。

「このような傾向」とは、経済成長至上主義の呪縛から解放される傾向である。根井教授は、十倉氏が新年メッセージ(2022年)の中で、サステナブルな資本主義、社会的共通資本、持続可能な全世代型社会保障に触れていることを紹介し、「昔の財界首脳からは期待できなかったものである」と論じている。

私も似たようなことを考えていた。かつて経済界が揃って年金保険料の事業主負担から逃れるために基礎年金の財源を消費税に求めていた時代があった。あの頃の経済界では、賃金のサブシステムとして設計されていった今回の支援金制度は実現できなかったと思っている(「基礎年金の税方式化 大半の国民は損に 企業が専ら得をする」『週刊東洋経済』2008年6月7日号)。

支援金に反対する人たちは、労使折半の拠出額を合算した額を示して、負担であることを印象づけてその多さのイメージを与えようとする。だが労使折半の額を足し合わせて示すことは、この国の将来のために労使折半の使用者負担分を協力しようとしている経済界のスタンスを表すには適切ではない。と同時に、支援金制度に協力的な経済界と猛反発する労働界の違いはどこから生まれているのかということも、ついつい考えてしまう(「子育て支援めぐり『連合と野党だけ』猛反発のなぜ」)。

子ども・子育てを支える支援金の話は、元々は、2017年の自民党政調会「人生100年時代の制度設計特命委員会」に提出した次の図から始まった。

高齢期向けの年金、医療、介護保険という、主に人の生涯の高齢期の支出を社会保険の手段で賄っている制度の持続可能性を脅かす最大の要因は少子化である。そこでこれらの制度が、自らの制度における持続可能性、将来の給付水準を高めるために支援金を拠出し、その資金が子ども・子育てを支える。

制度が具体的に設計されていく法制上の手続きの過程で、複数の制度から集めるのを避けるために、介護保険の賦課ベースを包含し、かつ年金からの特別徴収(天引きの仕組み)を持つ医療保険が代表して支援金を集めてこども金庫に拠出して、こども金庫からこども・子育てのために所得を再分配するというふうになっていった。その際、2021年骨太方針に書かれていた「企業を含め社会・経済の参加者全員が連帯」した新たな枠組みを考えていく中で、この国に住む参加者全員が関係している皆保険下の医療保険の賦課・徴収ルートを活用するということに議論は収斂していった。

医療保険の賦課・徴収ルートを活用する意味

繰り返しになるが、介護保険の賦課ベースは医療保険のそれの部分集合であり、医療保険、介護保険の両方に、高齢者には年金給付からの特別徴収という天引き制度がある。支援金制度は、高齢者への年金からの特別徴収を踏襲することになるので、高齢者からの支援金拠出は、公的年金の協力の下に実施されることになる。いわば既存の高齢期向けの社会保険が勢揃いで子育てを支援する仕組みが設計されていったわけである。

諸々の事情ゆえに支援金に反対しようと決めている人たちは、医療保険の賦課・徴収ルートを活用する側面をとらえて、「医療保険料の流用」と言いたいようであるが、実態はまったくそうではない。しかしながら、誰が、どういうふうに反対するのかは事前に予測できていたことから考えても、この件、話せばわかる話でもない。

次の図は、賃金システムの欠陥を補う再分配制度(サブシステム)の、日本における、現段階の全体像である。

長期保険としての介護保険

これまで長く介護、医療保険は短期保険と考えられてきたが、それらの主な保険料拠出時期と給付の集中時期を踏まえて消費の平準化の考えに基づけば医療と介護は、年金と同じく、長期保険と見るべきである。

賃金という分配システムの欠陥を補正するサブシステムとしての再分配制度を完成させるためには、この図にある2つの隙間を埋める必要がある。

それは、「子育て支援『事業主負担』で賃上げ機運は萎むのか」にも書いていたように、国民年金の被保険者が、現在20歳から59歳までであるところを、20歳から64歳まで拡張して国民年金の被保険者期間を45年とすること。そして、長期保険としての介護保険に関しては、被保険者を、ドイツをはじめとした他国の介護保険のように、医療保険の賦課ベースに揃えることだ。

支援金の次の課題は、賃金のサブシステムとしての年金、介護における、これら自然な姿の実現である。

(権丈 善一 : 慶應義塾大学商学部教授)

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