Z世代を不安にさせるビジネスがなぜ流行るのか

スマホを見る若い男性

Z世代の若者たちは、様々な不安に駆られている。そのような不安がビジネスの種にされているという(写真:nonpii/PIXTA)
若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。
企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――たとえば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。
若者をおかしくさせているものがあるとすればそれは何か。そして、社会がZ世代化しているとはどういう意味か。同じく経営学者で東京大学大学院総合文化研究科教授の清水剛氏による『Z世代化する社会』のレビューをお届けする。

様々な不安に駆られるZ世代

この本は、とりあえずはZ世代と呼ばれる若者たちについて書いた本である。とりあえず、と書いたのは、実際にはZ世代の若者たちについて語ることを通じて、若者たちが映し出している現代の日本社会の構造についても検討している本だからである。つまり、この本は若者論であると同時に、現代のわれわれが生きているこの社会について論じている本であるということになる。

Z世代化する社会: お客様になっていく若者たち

著者の舟津さんは本人の表現を借りれば「ゆとり世代」で「自己認識としては完全にオジサン側の」大学教員、ということになるが、客観的に見れば日本の経営学界の若手のスターであり、2023年に東京大学に専任講師として迎えられた新進気鋭の研究者である(ちなみに完全にオジサンである評者から見れば、舟津さんはまだまだオジサンとはいえない世代であり、「若手」という言葉はこのような評者の認識を反映している)。

研究者としてはすでに2冊の著書を出しておられるが、3冊目となるこの本は飄々とした文体で、ジョークとセルフつっこみ(個人的にはこれが気に入っている)を交えながら若者について、そしてわれわれの社会について語っている。

さて、まず舟津さんがZ世代の若者たちをどのように描き出しているかを見てみよう。この本で舟津さんは、例えば「『コスパ』のよい最適を目指す」「繊細で聡い」とか、実際にZ世代の若者である大学生たちと話をしながら、そこで実際に感じたことを語っている。しかし、ただ語るだけでなく、その背後にある論理を探し出そうとする。

その中で、この本のキーワードとなっているのが「不安」である。Z世代の若者たちは、様々な不安に駆られている。友達がいないのは不安だし、友達に共感されないのも不安、就職が決まるかどうかわからないのも不安、就職しても成長が感じられないのも不安……と不安の種は尽きない。

不安だから、不安のない世界であるテーマパークに通い、みんながやっていることをやろうとし、就活を早くから始め、成長を実感できるように転職しようとする。さらには、(自己を否定されるように思うために)叱られることを恐れ、「アンチ」に対して否定的な態度を取る。このように、不安に動かされるZ世代の若者たちの心理を舟津さんは対話をもとに描き出す。

金儲けがむき出しになった「不安ビジネス」

そして、経営学者としての舟津さんは、そのような不安をビジネスの種にするオトナたちをも描き出す。推し活をしていれば不安を感じない若者に向けて、「推し活」で幸福になれるとシンクタンクは言い、友達と違っていたら不安になる学生に1年生から就活を勧める。そして、自己の成長を求める若者たちにいささか怪しげなビジネスのインターンをさせる。舟津さんは「不安ビジネス」と表現しているが、要するに不安に動かされる若者たちを商売の種にしているわけである。

かつ、舟津さんがいみじくも指摘しているように、不安には根拠がない(なくてもよい)。Z世代の若者たちの不安には必ずしも根拠はない。友達がいなくたって、あるいは共感されなくなっても元気で生きていけるかもしれない(というか、おそらくそうだ)。しかし、不安に根拠はないから、若者たちは不安になり、それを商売の種にするオトナたちが出てくる。

ところで、上の不安ビジネスの説明を見たときに、どこかで見たような気がする、という気はしなかっただろうか? 「幸福になれる」「成長できる」「安心できる」……そう、怪しげな新興宗教あたりがお金儲けをするときに使うフレーズである。「先祖が泣いている」「霊がついている」「修行して新しいステージに登れる」などという言葉を使って不安を煽るのが宗教を騙るビジネスの特徴であるが、上のような不安ビジネスはその新しいバージョンと言えるかもしれない。

ただし、古きよき?宗教を騙るビジネスと現代の不安ビジネスには一つ大きな違いがある。かつての怪しげな新興宗教は、「魂の救済」のような形で、一応の正しさというか、ある種の倫理性を主張する。単なる嘘かもしれないが、一応お金を投じることが何らかの意味で善であると主張するわけである。しかし、現代の不安ビジネスはそのような正しさや倫理性を主張するでもなく、ただ根拠のない不安を煽る。言ってしまえば、金儲けがむき出しになったビジネスなのである。

経営者も労働者も不安を抱えている

なぜこのような「不安ビジネス」が存在し、不安に駆られる若者たちをターゲットにしているのだろうか。

この点を舟津さんは明示的に述べてはいないが、この本を読みながら私が考えたのは、企業の経営者や労働者たちもまた不安だから、ということだった。経営者は失敗すれば責められる、あるいはクビになるかもしれない。そうでなくても、株価が上がらなければやはり批判される。労働者も、業績が悪ければ給料が下がるかもしれない、最悪の場合、会社がつぶれて職を失うかもしれない。

そのような不安に駆られる経営者や労働者が、確実に、かつ環境問題だの人権問題だのを気にすることなくお金を儲けようと思えば、この不安ビジネスはなかなか賢い方法である。別に無理やり生産して環境負荷を高めるでもなく、サプライヤーに無理を言って人権問題を引き起こすわけでもなく、ただ不安を煽れば、顧客がみずから(お金のない若者たちさえも!)お金を払ってくれる。

不安を感じる経営者や労働者にとってこれほどよいビジネスモデルが他にあるだろうか。いや、ない。そしてもちろん、経営者や労働者たちも、若者たちと同様に「根拠のない」不安に駆られている可能性がある。

もし、このような理解が正しいとすれば、われわれが生きているこの社会は、根拠がない(かもしれない)不安に駆られた経営者や労働者たちが、やはり根拠がない(かもしれない)不安に駆られる若者たちをビジネスの種にしている社会ということになる。このような理解は、この本の「Z世代化する社会」というタイトルや、本文における「Z世代はわれわれの――Z世代以外を含む――社会の構造を写し取った存在であり、写像」であるという指摘と奇妙に響き合う。

すなわち、この本が描き出しているのは、不安に動かされる「われわれ」の社会の病理なのである。

このような社会に対して、われわれはどのように対応すればよいのだろうか。言い換えれば、われわれはどのように社会を変えていけばよいのだろうか。舟津さんはいくつかの処方箋を提示している。例えば「余裕を持つこと」「満点人間を目指さないこと」であるが、要するに不安を打ち消すためには、余裕を持って欠点を受け入れる、ということになる。この処方箋の中でとりわけ興味深いのは「理由を探さないこと」である。

つまり、不安に根拠がないのと同様に、信頼にも根拠がない。根拠がなくても自己を信頼し、あるいは他人を信頼すれば、不安を打ち消すことができる。根拠がなくても信頼すればよいのである。

企業とは本来、将来の不安を消すことができる存在

これはオトナたちにも言える。根拠がなくても自信を持って経営し、あるいは自信を持って働き、未来に向けて「俺たちはこれをやるんだ、俺たちならできるんだ」と言っていればよいのである。

感染症と経営:戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか

企業というのは、そのような意味で未来を示し、将来の不安を消すことができる存在である、というのが評者の意見(この点に関心があれば拙著『感染症と経営――戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか(中央経済社、2021)』をお読みいただきたい)だが、これは企業でなくても、自分でも友達でも家族でも地域社会でもよいのかもしれない。

いずれにせよ、誰かを信じることで、不安に動かされるわれわれの社会から抜け出すことができるというのは、希望に満ちたメッセージだと思う。

ということで、軽い文体とは裏腹に、社会に対する重い問題提起と、一方での希望に満ちたメッセージのある本なのである。単なる若者論として読んでいただいてもよいとは思うが、ぜひ「われわれ」の本として読んでみていただきたい。

(清水 剛 : 東京大学大学院総合文化研究科教授)

ジャンルで探す