GW盛況の異色フェス「板橋の高校生が企画」のなぜ

板橋×ネパールの異文化フェス

盛況だった「ネパールのバザールで文化が混ざ~る」(以下、写真はすべて筆者撮影)

4月28日。ゴールデンウィーク最初の週末を迎えた東京・板橋区の平和公園(最寄り駅は東武東上線上板橋駅)は、大勢のネパール人で賑わった。

ネパールの民族衣装を来た人々が伝統的なダンスを踊り、ネパール料理のブースからスパイスの香りが漂ってもくるが、一方で和太鼓が響き渡り、射的や綿あめのブースも並んでいて、日本人の来客も多く、なかなかのごちゃ感だ。

それもそのはず、イベントの名は「ネパールのバザールで文化が混ざ~る」。板橋区に住む日本人と、ネパール人の交流を目的にしたフェスだ。

当初想定した5000人をはるかに上回る推定1万5000人前後が2日間で来場。ここまでこぎつけるには日本側・ネパール側、双方の苦労があった。

板橋区平和公園はおおぜいの来場者で賑わった

文化の違う人々が1つのフェスをどうやってつくっていくのか。その裏側に密着するうちに見えてきたのは、本当の意味での交流の探り方と、外国人のパワーをテコにした地域おこしのヒントだった。

きっかけを作ったのは地元の高校生

フェスのきっかけをつくったのは、高校生なのである。地元板橋の城北高校3年生、鈴木拓哉さんだ。

「小学生のころ、父の仕事で上海に住んでいたんですね。インターナショナルスクールで学んでいました。でも、帰国して公立の学校に通うようになると、日本との文化の違いというか、すごくつらい時期があったんです」

そんなきっかけから、鈴木さんは文化の異なる人たちがどう付き合っていけばいいのか考えるようになった。地域の日本語教室を手伝ったり、外国人の多い自治体の取り組みを調べたりしながら、より実践的な場を作ってみたいと思い続けていた。

そのころ、上板橋北口商店街にも加盟しているネパール&インド料理店「スルエシー」を営むケーシー・カルキ・ゲヘンドラさんも考えていた。

「上板橋に住んで、もう16年です。下町で緑も多くて、子育てしやすいところですよ」

そんな街で日本人の妻と店を切り盛りし、子どもは日本の学校に通わせ、一家で暮らしてきたが、昔はわずかだった外国人が増えてきたと感じる。同胞のネパール人も多い。それなら、もっとお互いの交流が進むようなイベントができたら家族のためにもいいなと考え、ケーシーさんは商店街に話を持ちかけてみたのだ。

受け取ったのは商店街の理事も務める板橋区議の間中りんぺいさん。そこへSNSを通じて鈴木さんからのDMも届く。それなら、と間中さんは両者をつなげてみたのだ。

「面白いと思ったんです。板橋にはなにかをがんばりたいと思っている人たちがたくさんいます。その人たちにやりたいことをやってもらえたら、区全体の力が上がるんです」

共同代表として挨拶をする高校生の鈴木拓哉さん。後ろで見守るのはケーシーさん

こうして裏方に徹することになった間中さんのサポートのもと、なんと高校生の鈴木さんを共同代表として準備が始まったが、そこからは困難の連続だった。

文化のギャップを埋めるのが大変!

「なにが大変って、コミュニケーションです」

鈴木さんもケーシーさんも間中さんも口をそろえる。ネパール側の出店者やパフォーマーたちとの窓口は日本語堪能なケーシーさんが務めたが、文化のギャップを埋めるのはなかなかにしんどかったようだ。

何度も何度も行われた顔合わせや打ち合わせのひとコマ。ケーシーさん(左)や、板橋区議の間中さん(左から3番目)、ネパール人の大人たちと堂々と渡り合う鈴木さん(左から2番目)が印象的だった

例えばブースの並び順。「自然と異文化交流になるような形にしたかったので」(鈴木さん)、日本の店とネパールの店を交互に配置すると決めたが、対してネパールの出店者から声が上がる。

「日本人はなにごともキッチリやるので、ネパール人とは合わないんじゃないか、分けたほうがいいんじゃないか、なんて言われて」(ケーシーさん)

パフォーマーとしてネパールから有名な歌手を呼ぼう、という意見も根強かった。在日ネパール人の中には日本で言う「県人会」的な組織があり、そこで開くお祭りには故郷のアーティストを招くのが通例だ。

そのイメージがあったのかもしれないが、「これはネパール人がネパール人のためにやるイベントじゃないよ、日本人との交流だよ」とケーシーさんが説得して回った。

だから日本に住むネパール人の芸達者たちによるステージを、ということになったのだが、今度はわれもわれもと志願者が殺到。それを断り切れずに苦慮するというネパール人の人間関係はちょっと日本人ぽくて面白くもあるのだが、結果として日本人とネパール人が半々のはずのステージは、ネパール側がかなりの尺を取ることになった。

フェスではネパールと板橋への愛を歌い上げるユニットも登場

そうなると心配なのは音響だ。会場となる公園の規則では、スピーカーで音を出していいのは3時間まで。だからひと組あたりの時間はどうしたって少なくなる。そのあたりを運営陣から両国に伝えていく。

「大きな音が出る演目はなるべく早い時間にやろう」「騒音が出ないような音響の配置を」「マイクやスタンドなどはネパール側が手配して、足りない部分を日本側で補おう」……そんなことひとつひとつを日本人とネパール人で共有していった。

「カレー」が提供できない!?

関係各所との協議も欠かせない。飲食ブースではガスボンベの配置などを消防署に伝える必要があるし、当日のチェックもある。ごみは前もって清掃事務所に申し込み、フェス後に収集してもらわなければならない。地元警察署にはフェスの規模や目的などを知らせておく。

さらに保健所を回ったときに、困ったことを知らされた。

「カレーが提供できない!?」

ネパール料理の1つでもあり、日本人にはわかりやすいメニューであるカレーだが、衛生上の理由から板橋区のイベントで取り扱うには制限があるのだ。そのことを出店者に知らせ、またどうすればカレーを出せるのかケーシーさんが保健所の助言を求める。

予算をどうひねり出すかも課題だった。公園使用料、テントやイスやテーブルなどのレンタル、電気代、音響、会場に飾る旗……出費はいろいろあるが、ケーシーさんの「営業」が実りネパール側の協賛がけっこう集まってくる。おもに日本で成功したネパール人経営の企業だ。

それに経費を削減するためのアイデアもみんなで考えた。

地域の祭りにときどき現れる地元密着のプロレス団体「いたばしプロレスリング」に協力を仰ぎ、出張プロレスを打ってもらうとともにリングを提供してもらい、試合以外のときはステージとして利用すれば、イベント会社を通じてステージを設営するより安上がりではないか……。

ポスターをデザインしたのも高校生

こうして日本人とネパール人が知恵を絞り、汗を流していくうちに、フェスのタイトルも決まった。「混ぜること」や「ごちゃついた感じ」をテーマに「ネパールのバザールで文化が混ざ~る!」と命名。

なんともキャッチーなタイトルをポスターに落とし込みデザインしていったのは、これまた高校生だ。

「芸大志望の同級生に頼んだんです」(鈴木さん)

インパクトたっぷりのポスターを、地域の学校や商店街、そして新大久保など都内各所のネパール人の集住地に撒き、それぞれがSNSで拡散もしていく。

こんな活動を続けていくうちにだんだんとフェスは大きくなっていった。ついには、これを機に友好を深めるべく、ネパール大使が板橋区長を表敬訪問するという出来事にまで発展。

鈴木さん、坂本健・板橋区長、在日ネパール人の重鎮たち

鈴木さん(右から2番目)、坂本健・板橋区長(右から3番目)、在日ネパール人の重鎮たちでテープカット

それだけに苦労も増えたようで、間中さんはこう苦笑する。

「多文化共生ってこんなに難しいのかと思いましたよ」

だが鈴木さんには大いに刺激になったのか、

「ケーシーさんたちネパール人と会って話すたびに、ひとりひとりに文化があるんだなって感じて。外国人の見方が変わりました」

と言う。

板橋区も年々、外国人が増えている。人口57万4768人のうち、いまでは3万3390人が外国籍だ(2024年4月現在)。

従来から多かった中国、韓国に加えて、ネパールとベトナムの伸びが著しい。新参の人々は留学生や会社員、その家族が中心だが、外国人の増加に伴いトラブルも目立つようになってきた。

「ごみ出しの問題など、地域からの苦情が増えています」(間中さん)

そんなこともあってか、日本人からの視線には偏見も混じる。鈴木さんは友達に、近所にも増えている外国人についてどう思うか聞いてみたことがあるそうだ。

「外見が違うし、怖いよねって答えもあって。それでも、同じ板橋区民だと思ってるよって言う人もいました」

付き合い方を模索しているからこそ、こんなイベントを通して顔を合わせる機会が必要なのではないか。そんな空気も日本人側にはあったようだ。

「(フェスをつくる上で)たいへんだったのはコミュニケーション。でも、このイベントをやる意味は、そのコミュニケーションにあると思う」

ケーシーさんが言った。

多くのネパール人が詰めかけた

いよいよ当日。フェスは4月27日、28日と行われたのだが、驚くほどの人数が上板橋に詰めかけた。お昼前後は地元の日本人が多かったが、だんだんとネパール人が増えていく。両日とも夕方には会場のほとんどがネパール人で埋め尽くされたほどだ。

2日目の日曜夕方はネパール人の観客でごった返した

ネパール料理のブースはどこも大にぎわいで、片言の日本語で声を上げてお客を呼び込む店員の姿もある。

ネパールの国民食である水餃子モモ(左)はとくに人気だった

カレーなどは結局、「上水道につながったシンクと手洗い設備」を前もってブース内で用意することで保健所が定める条件を満たし、取り扱えることになったようだ。

射的や綿あめといった日本のブースは、ネパール人の子どもたちが興味津々。親にお小遣いをねだって綿あめを買って喜ぶ様子は、日本人の子どもと変わらない。

綿あめとかき氷はネパール人の子どもたちに大人気。「日本語がわかる人も多いし、違和感ないですよね」と店主

そしてネパール人に大ウケだったのは「いたばしプロレス」だ。身体を張ったコントのようなやり取りや、大迫力の技の応酬は、言葉や文化の壁を超えるものがあったようで、リングは歓声に包まれた。

いたばしプロレス

「いたばしプロレス」は国境を超えて盛り上がるエンターテインメントだと実証された

しかし、課題もいろいろとあった。日本人のお客は未知のネパール料理にも興味を持ってチャレンジする人が多いのだが、ネパール人はそうでもないのだ。

「ネパール料理以外のものを食べる習慣があまりないんです。だから心配はしていたのですが……」(ケーシーさん)

せっかくの交流イベントなのに、日本の店だけお客が少ないのである。またネパール人の多くはヒンドゥー教徒だが、日本の店の中にはタブーの牛肉を出すところもあって、残念ながらそこのお客は日本人中心。どういう料理なのかよくわからないという不安もネパール人にはあったようだ。

ネパールの飲食ブースは大人気。しかしネパール人が日本のブースで食べる姿は少なかった

これを改善しようと初日が終わった後の反省会で鈴木さんから提案があり、ネパール人にも日本の店をもっと楽しんでもらうよう、日曜日はケーシーさんから呼びかけてもらった。

さらにネパール語で料理や使っている食材の説明を掲示する店もあり、いくらかはネパール人の興味を引いたようだ。

ネパール語を併記するブースも

これだけ人が集まるイベントは魅力的

また、これはほかのイベントでもよくあることだろうけれど、騒音、ごみ、タバコ、違法駐車といった苦情も寄せられ、その都度スタッフが対応に走った。

それでも、当初想定をはるかに上回る人数が2日間で来場。その盛況を前に、ある飲食ブースの日本人は言う。

「これだけ人が集まるイベントというのは商店街として魅力です。駅からこの公園まで日本人もネパール人もみんな歩いてきますから。その間に、こういう店があるんだ、面白そうな街だなって思ってもらえたら」

実際、かなりの数のネパール人が地域の店を利用したと間中さんは言う。

「スーパーマーケットやコンビニ、ラーメン店など、ネパール人がすごく入ってくれて。経済効果がありました」

ケーシーさんは言う。

「いろんな反省はありますが、すべて勉強です。来年に生かしたい。今回で終わらないで来年以降も交流を続けないと、意味がないと思うんです」

本当の意味で“混ざーる”にはもう少し時間がかかりそうだが、それでもこうしたイベントを開こうという人々がいることが大切なのだと思う。果たして板橋の新イベントとして定着するだろうか。

(室橋 裕和 : ライター)

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