王子HD、「薬用植物の王様」に注力する切実な事情

北海道の農場で収穫した甘草の根(写真:王子ホールディングス)

製紙業最大手の王子ホールディングス(HD)が、国内で栽培が困難とされる薬用植物「甘草(カンゾウ)」の大規模栽培を進めている。今後、漢方薬の原料である生薬や食品の添加物、化粧品の原料などでの活用を目指している。

北海道で立ち上げた研究所を拠点に、甘草栽培に着手してから約10年。苦難を乗り越えて大量栽培技術を確立してきた。なぜ同社は甘草の栽培に力を入れるのかを探った。

「もはや製紙企業ではない」

王子HDは2012年10月に王子製紙などを傘下に持つ、持ち株会社として発足。その2年後の2014年に経営理念を刷新し、「もはや製紙企業ではない」という強烈なメッセージを社内外に打ち出した。

当時、王子HDが発行した「王子グループレポート2014」では、「主力事業の一つである製紙業の外部環境は近年急激に変化し、単純な製紙業だけを見れば、市場環境はもはや縮小へ向かっていくというのが実情。『もはや製紙企業ではない』という言葉は、製紙業につらなる古い文化・意識を払拭する意味を込めたもの」という趣旨が記載されている。

経営理念でうたわれた「革新的価値の創造」を推進する部署として、2014年4月にこれまでの研究開発本部をイノベーション推進本部に組織変更し、重点的に取り組む領域が打ち出された。

その中で、製紙企業として、紙の原料となる植林研究で培ってきたノウハウなどが活かせる分野として、漢方薬の原料となる薬用植物の栽培に取り組むことになった。

薬用植物の研究については2013年に北海道の下川町に設立された医療植物研究室(現在の王子薬用植物研究所)が中心となり行われたが、薬用植物の中でも同研究所が白羽の矢を立てたのが、甘草の栽培だ。

甘草は医療用漢方製剤の原料となる生薬の中でも、最も多く使われている。日本漢方生薬製剤協会(日漢協)の調査によると、2020年度の国内の生薬の総使用量(305品目)は約2.8万トンだが、そのうち約7%に当たる約2019トンが甘草となっている。

漢方薬メーカー最大手のツムラが販売する129品目の医療用漢方製剤のうち、約7割に当たる94品目で甘草が使用されているという。代表的な製品は、風邪のひき始めなどに処方される葛根湯だ。

甘草の効能としては、抗炎症作用や抗アレルギー作用、解毒作用、鎮痛作用、去痰作用などが知られている。

ほぼ100%を中国からの輸入に依存

だが生薬の多くが中国産で、日本産の比率は小さい。生薬全体では8割が中国産で、甘草についてはほぼ100%を中国産に依存している。日漢協によると、日本産の甘草が使用されたのは2019年度の68キロ、2020年度の122キロとごく少量で、それ以前に日本産が活用された調査結果はないという。

甘草は中国を中心に、パキスタンやアフガニスタンなど中央アジアで自生している野生種が広く使われている。ただ甘草の需要増加に伴う資源枯渇や、中国による輸出規制など政治的な要因で、国内で安定的に入手できる体制が求められていた。

王子HDが甘草栽培に踏み切った背景には、こうした見通しに加えて、国内外に民間企業として最大の約60万ヘクタールもの社有林を持ち、優良品種の選抜や育種など、製紙会社として長年にわたり蓄積された技術やノウハウを、甘草栽培にも十分に生かせるのではないかという算段もあった。

ただ、経験のない甘草栽培はそう簡単ではなかった

「苗の作り方から植え方、収穫の時期、肥料の選定など、何から何まで手探りでした」――。

王子薬用植物研究所の事業本部生産部長の佐藤茂氏は、同研究所がある北海道上川郡下川町や名寄市の農場で、2人の研究員とともに甘草栽培に取り組み始めた当時を振り返ってこう語る。

多年生植物である甘草は、種を播いてから収穫するまでに通常は5~6年かかる。毎年毎年課題をクリアして育てていかないと収穫にはたどり着けない。栽培当初は、種を播いて苗になる割合である「得苗率」が3割ほどだったり、雑草に悩まされたりするなど、苦労の連続だったという。

それでも植林事業で培った苗木育成のノウハウをもとに改良を加えたり、肥料の栄養素やあげ方を工夫するなど試行錯誤を繰り返し、得苗率を9割以上に高めることに成功したという。

「得苗率が大幅に向上したことで、2017年から大規模栽培に踏み込むメドが立ちました」(佐藤氏)

大規模栽培技術の確立に成功し、年間トン単位で甘草を収穫している(写真:王子HD)

2016年11月に王子HDは、「薬用植物『甘草』の国内短期栽培技術確立のお知らせ」というニュースリリースを発出している。そこには、通常は5~6年かかる栽培期間を約2年に短縮する技術を確立したことや、日本薬局方で定められた甘草の有効成分基準である「グリチルリチン酸含量2%以上」を達成できたことが盛り込まれている。

こうして同社は、試験栽培を終え、栽培面積を拡張することで大規模栽培技術の確立にステップアップする。その結果、2021年以降は年間トン単位での甘草の収穫に成功している。

「今後も毎年5~10トン以上の甘草を収穫できる体制が整っている」と、同研究所・取締役事業本部事業部長の八田嘉久氏は自信を見せる。

漢方薬の業界団体は歓迎ムードだが…

中国産甘草に依存している漢方薬メーカーは、国産甘草の大規模栽培の動きをどう受け止めているのか。

製薬会社など58社を会員に持つ日本漢方生薬製剤協会の生薬国内生産検討班・班長の小柳裕和氏は、「輸出規制などのリスクがある中国産の生薬に代わって国内産が確保できるのは願ってもないこと。甘草はとくに国内での栽培が難しく、王子HDの動きには注目している」と話す。

農林水産省も生薬の輸入量のうち7割が中国産に依存している現状を憂慮し、漢方生薬業界に対して国内産の栽培拡大を後押している。こうした動きの中で、王子HDの国産甘草の大規模栽培成功は「チャイナリスク」を排除する意味からも朗報であることは間違いない。

ただ、現状で国内の製薬会社・漢方薬メーカーが王子HD産の甘草を積極的に活用するかについては不透明だ。理由は3つある。

まず1つは、中国からの甘草の輸出が目に見えて減っている訳ではないことだ。確かに中国産生薬の輸出規制などつねに政治的なリスクはつきまとう。ただ、現状で喫緊の課題としてそれが顕在化している訳ではない。

2つ目は甘草に含有されているグリチルリチン酸の量の問題だ。中国で自生している甘草にはグリチルリチン酸が3~5%も含有されているものが多いという。

一方、王子HDが大規模栽培に成功した国産甘草は、日本薬局方で定められた甘草の有効成分基準である2%を超えているが、野生の甘草よりも含有量は少ないと見られる。価格面でも自生している甘草のほうが安く、含有量や価格面を考えると、国産甘草が中国産にすぐに取って代わるということは考えにくい。

3つ目は薬価の問題だ。漢方薬には公定価格が決められており、現状では中国産に比べて、生産コストが高い国産の栽培甘草を取り入れる動機に乏しいと見られる。

ただ、国産の甘草が中国産に比べて、品質で見劣りするということでは決してない。王子HDが現在力を入れているのが食品や化粧品など漢方薬以外の用途での活用だ。

1万トンのうち8割は食品、化粧品などの用途

「あまり知られていないが、国内で流通している甘草は漢方薬など医薬品の用途よりも、食品や化粧品などほかの用途のほうが多い」(八田氏)

北海道医療大学薬学部の高上馬希重教授らが2011年に甘草について研究した成果報告書によると、甘草の国内の輸入量は年間約1万トンとなっている。漢方薬など医療用途では約2000トンと2割程度に過ぎない。

甘草はその名称の通り、食品に甘みを加える添加物(甘味料)などで広く使われている。たとえば国内では、醤油や味噌などに甘草抽出物の「グリチルリチン酸二ナトリウム」が配合されているうえ、飲料やお菓子の添加物としても使用されている。

「当社が育てた甘草をエキスやパウダーにして口にすると、野生の甘草とは違った風味がする。食品との相性は非常に良く、その強みを打ち出していきたい」。八田氏はこのように語る。

同社が栽培した甘草は野生甘草と比べて、比較的短い年数で採取する。そのため、グリチルリチン酸の濃度は野生甘草より低いという特徴があった。ただその一方で、栽培甘草には野生甘草特有の癖やえぐみなどが少なく、食品の添加物としてなじみやすい。

甘草を医薬品以外の用途で活用するのであれば、日本薬局方で定めたグリチルリチン酸2%以上という基準は適用されない。生薬としての活用では弱点となっていたこの点も、食品用途での活用では逆に強みとなる可能性がある。

甘草を活用した食品としては、すでに王子HD産の栽培甘草が、製茶メーカーに採用され、「甘草茶」として発売されているという。

今年夏ごろに製造・販売予定の甘草エキス入りトマトジュース(写真は試供品:王子HD)

また、今年夏ごろには、王子薬用植物研究所がある北海道・下川町の農産物加工研究所と共同で開発した甘草エキス入りトマトジュースの製造・販売が、下川事業協同組合から予定されている。

さらに甘草は化粧品やシャンプー、歯磨き粉、シェービングフォームなど、ごく身近な製品にも広く使用されている。甘草抽出物の「グリチルリチン酸ジカリウム」には抗炎症作用があるからだ。

化粧品については、一部の化粧品メーカーとの共同開発が進んでおり、顧客に対してサンプル品の提供が始まっているという。

「今後、食品や化粧品などをテーマとした展示会やイベントに積極的に出展し、国内産の甘草の魅力をアピールしていきたい」(八田氏)

2030年度目標は1000億円

「脱・製紙企業」の実行部隊、イノベーション推進本部が立ち上がってから10年。現在の研究テーマは主に3つだ。

1つ目はセルロースナノファイバーをはじめとした「木質由来の新素材」。2つ目は「メディカル&ヘルスケア」。甘草など薬用植物の大規模栽培のほか、木質由来の医薬品の開発も行う。3つ目は「環境配慮型製品」。CO2排出量削減やプラスチック使用量低減などの環境問題の解決に向けた新製品開発を推進している。

王子HDでは、これら3テーマは研究段階の取り組みも多く、現在の売り上げ規模などは非公表だが、2030年には売上高1000億円の達成を目論む。

このうちセルロースナノファイバーなど木質由来の新素材の開発や、環境配慮型製品の開発は、ほかの製紙会社でも重要課題に挙げている。ただ、薬用植物の大規模栽培については、王子HDだけが取り組んでおり、今後大きく花を咲かせる可能性を秘めている。

(高見 和也 : 東洋経済 記者)

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