「早い者勝ち」が実は通用しなくなっている背景

例えば、スターバックスではモバイルオーダーで商品を注文・支払いをすれば、列に並ぶ必要はない(写真:Angus Mordant/PIXTA)
資本主義社会では、「早い者勝ち」は通用しない。今や企業は自社にとって都合がいいように誰が優先されるべきかを設定し、それによって利益を生み出している。では、「早い者勝ち」以外に優先順位を決める方法はどんなものがあるのだろうか(本稿は、『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』から一部抜粋・再構成してお届けします)。

無意識に所有を主張しようとしている

私たちは1日何十回も、自分の欲しいものの所有権を誰が管理しているのか、特に考えもせずに見極めている。飲み物を買いに行く間どうやって席を確保しておくかとか、ビーチのどこにタオルを広げるかを決めるとき、私たちは意識せずに「どうやったらこれを自分のものだと主張できるか?」と考えている。社会でうまくやっていける大人になることの一部は、目の前の状況でどんな所有権ルールが適用されているのかを察知する能力にあると言えるだろう。  

多くの場合、早い者勝ちが主流だ。たとえばスーパーマーケットの駐車場では早い者勝ちがデフォルトとなっており、先に入場した車が空いている好みのスペースに停めることができる。他の方式にしたいなら、駐車場のオーナーは別のルールを誤解しようのないほど明確にしなければならない。

たとえば特定のスペースに「許可車両のみ」とか「身体障害者用」などと大書してあるのはその一例だ。ビーチでも、映画館でも、レストランでも、最高裁の傍聴席でも、そうした特別ルールは存在する。  

あなたが次回行列に並ぶときには、先頭の人が並び屋だとしたらいくらもらっているのかと想像して時間を潰すのもいいが、それとは別に、行列方式の他にどんな選択肢がありうるのか考えてみてほしい。

貴重な希少資源の所有者は、他の方式を選ばず、ひたすら行列させて先頭の人に資源へのアクセスを与える方式を選んだのだろうか。それとも特定の行動を誘導するために、早い者勝ちと何か別の方法を組み合わせるハイブリッド方式を採用しているのだろうか。

単純に早い者勝ち方式を選んだとすれば、この方式が所有者の(隠れた)目的の実現に都合のいい技術的・道徳的選択肢だったことになる。その隠れた目的は、あなたにもっと払わせることかもしれないし、相乗りの奨励や競争の回避かもしれない。あるいは、顔を青くペイントして熱狂的に応援してもらうことかもしれない。

「早い者勝ち」か「評価の高い順」か

目的を察知したら、あなたはこう自問するといいだろう。どうやったら所有権をうまく設計して人々の行動をこちらの思い通りに誘導できるだろうか。昔ながらの早い者勝ち方式が利益を最大化する最善の方法だと決めつけるべきではない。親としてあるいは教師として、自分が一番だったと自己申告した子どもに報いるべきなのか、それとも現に列の先頭にいる子どもに報いるべきなのか。

あるいはエアビーアンドビーのような民泊のホストとして、一番先に申し込んだグループを優先するのか、それとも評価の高いゲストに限定するのか、それともあなた自身が独自基準でゲストを選別するのか。  

もちろん早い者勝ちには優れた点が多い。運用しやすく、公平性や平等性という私たちの直観的な物差しにも適合する。聖書の昔から採用されているのも理由あってのことにちがいない。

だが早い者勝ちは原始的な方法であり、容易に攻略されたり裏をかかれたりするという弱点がある。得られるはずの価値が得られないことも多い。また、望まぬ客を招き入れる結果になることも多々ある。その結果、希少資源の所有者は早い者勝ちで所有権を与えるやり方を考え直すようになった。

行列代行のような仲介事業者が資源を買い占めて富裕な希望者に転売することもあるが、所有者自身が新たな方式を設計することも少なくない。全員に均一価格で売ることをやめ、一握りの希望者にのみ特別な体験を販売するというふうに。こうしたハイブリッド方式を導入することで、希少資源からより多くの価値を引き出すことが可能になる。  

所有権に関する錬金術のようなテクニックは、単にチケットの買い手からダフ屋へお金が移転する以上の意味がある。行列代行のスタートアップは、ある種の社会革命への道を示したと言える。静かな革命ではあるが、革命には違いない。起業家たちは、時間をお金に置き換えれば利益を得られると気づいたのだ。

並び屋に金を払うのは「不公平」なのか 

早い者勝ちが今後どうなるかということは、社会の主要な価値観にかかわる論争の一部をなしているのだが、そうと認識されることはめったにない。

行列は問題なのか、それとも解決なのか。金で雇われた並び屋と競争することなく一般市民が最高裁で傍聴できるようにすべきなのか、傍聴のために数千ドル払う用意のある弁護士やロビイストで席が埋まるほうが社会にとってより価値があるのか。

最高裁は学生団体のために傍聴席の一部を確保すべきだろうか。それとも席をオークションにかけ、その収益で高校生をガイド付きの最高裁見学に招待すべきだろうか。あるいは、アクセス方法をすっかり変えることも考えられる。

たとえば動画のストリーミング配信を行い、誰でも無料でオンライン視聴できるようにする。本書の著者である私たちはこの方法に賛成だ。パンデミックによるロックダウンの間、裁判所は音声のライブストリーミング配信を行ったが、それで司法の運用に支障をきたすということはなかった。

何に価値を見出すかは人によってさまざまだ。だから誰のものかを決めるルールは、そのさまざまな意見のどれか1つに報いるものだと言える。

昔ながらの早い者勝ちは、列の先頭を確保して辛抱強く待つ時間のある人に報いるシステムである。時間は誰でも平等に持っており、誰にとっても1日は24時間しかない。これに対して遅い者勝ちは、お金に報いることが多い。このシステムは、時間はないがお金はある人、正確に言えば他人の時間にお金を出す用意のある人に有利になる。  

企業が設けているそれぞれの「所有」のルール

このことを理解していれば、世界で成功している企業が顧客にどんなサービスを提供しているか、解明できるようになる。たとえばスターバックスはモバイルオーダーが優先されるアプリを提供している。ユナイテッド航空は頻繁に利用するロイヤルカスタマーを優先搭乗させている。ウォルマートは買い物が「20アイテム以下」の人のための列を用意している。

Mine! 私たちを支配する「所有」のルール

長続きする企業は従来の早い者勝ちのルールを少しばかり調整する術に長けており、利用者に時間、または、お金またはその両方を使わせる、それも喜んで使わせることができる。  

所有権の設計は、チョコレートアイスとバニラアイスのどちらを選ぶか決めることとはわけが違う。そこには重要な価値観が懸かっているのだ。経済のそこここで、希少資源の所有者は所有権の影のルールをひそかに変えてきた。早い者勝ちから遅い者勝ちへ、時間からお金へ、平等から特権へ。こうした変更はどれも所有者の利益にはなっても、必ずしもあなたの利益にはならない。

こうして選択されたルールは永続的なものではないし、必然でもない。それでも、現代の生活に必須のモノを巡る人々の相互作用の中で、消費者として、また市民としての行動を規定することになる。

(マイケル・ヘラー : コロンビア大学教授)

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